不思議な出会い光枝 -10ページ目

不思議な出会い光枝

人生とは何か?楽しく老後を暮らすためにはどうしたらよいのか?など色々書いて行こうと思います。

こんにちは、冴神剣です。皆さんは自分がとても辛い事があった時、きっと周りの友達や家族の人達が励ましてくれると思います。こう言った支えを元にに少しづつ立ち直って行く事が出来るって素晴らしい事なんですよ。こうやって励ましてくれる時には、きっと温かな笑顔で家族や友達は励ましてくれていると思います。笑顔は私達の心をとても落ち着かせてくれるものだからです。言葉はなくても、人の笑顔を見るだけで心が落ち着いたりもします。そして、その笑顔が頭の中に一生残り、その笑顔を思い出す度に力が湧いて来ませんか。人の笑顔とは一瞬の事でありながら、印象としては強く心に残るものなのです。自分では気がつかないうちに、皆さんの笑顔で何人もの人が元気づけられ、支えられて来たかも知れません。笑顔とは人を支えるものなのです。どんな言葉よりも、どんな高価な物よりも、どんな美味しいものよりも、笑顔は素敵な宝物なのです。笑顔が人を支え、自分を支えていると言う事を忘れずにいれば、きっと楽しい生活を送って行く事が出来ると私は信じています。今の社会の中で今、もっとも必要とされているのは辛い出来事があった時、皆さんは落ち込んでしまいますよね。ですが、落ち込んだりくよくよ考えたりしていては中々元気にはなれません。辛い事があった時、周りから貰う笑顔の他に、自分が笑顔になる事で元気になることが出来るのだと言う事を知る事にあるのです。落ち込んでいる時に、自分の落ち込んだ顔を鏡で見ると、更に落ち込んでしまいます。ですが、鏡を見て笑ってみたり、それが無理であれば、自分が笑っている時の写真を見て見たりして、このような笑顔が早く出せるようにと自分を奮いた立てみてください。辛くて笑顔を出せない時こそ、笑顔が一番必要なのです。そして、辛い事を「辛かった~」と思うよりも、笑顔で「人生いろんな事があるな~」なんて笑いとばしてみせたら良いのです。考えれば考えるほど辛くなってしまうので、考えない事が大切とも言えますね。こうやって笑顔を伴って自分自身で乗り越えて行く事で一日でも早く元気になれる日がやって来る事は私は常に願っています。笑顔になる事で、辛かった事も笑って過ごす事が出来る様になるのです。周りからの笑顔で元気になるだけでなく、自分自身の笑顔によって、元気になっていくよう私と共に皆さんも努力して見ませんか。私達はどんな時に辛いと感じると皆さんは思いますか。その基準は人それぞれ違うと思います。例えば、裁縫が得意な人は、裁縫が楽しいと思いますし、苦手な人は楽しく思えませんよね。このように人がどう思うかによって、辛いのか楽しいのかは常に変わり始めるのです。得意。不得意と言う事も皆さんにはありますよね?基本的には気持ちの持ちようだと思われませんか。考え方さえ変えれば、辛い事も楽しい事に変える事が出来ます。前向きに何事もこなしていく事によって、楽しい人生を過ごして行く事が皆さんにも出来るのです。同じ人生なら辛い人生よりも楽しい人生の方が良いに決まっています。笑顔のある生活を送り、辛い事も楽しい事に変えていき、楽しい人生を送って今日も明るく良い1日にして行きましょう。

おはようございます冴神剣です。皆さん毎日、仕事に育児に忙しい毎日を過ごしてはいませんか。そんな中で少しでも家事は減らしたいですよね。例えば掃除機かけ。毎日しているこの家事を、うまくやれば、2日、3日に1回に減らす事も可能だとしたら皆さんどう思われますか?どうやってそんな事出来るのよ? と思われませんでしたか。毎日掃除機をかけているのにまったく、ホコリってどこからやってくるのイライラするわ。毎日ちゃんと掃除機をかけていても、一日たてば、床の隅にはホコリが溜まる。嫌になっちゃいますよね! しかし、このホコリが溜まらなくなる方法って、無いと思うでしょ?それが、あるんです!それは、「部屋に、”角”の部分を作らない事」“角の部分”って?何よ?とますます解らなくなりましたか?四角い部屋だったら、四隅は”角”となります。しかし、部屋の中には、四隅以外にも、沢山の”角”があります。例えば、奥行きの違うタンスを並べた時、前面が凸凹になりますね。此処が”角”です。又、「とりあえず」と、何の気なしに、宅配便の箱や、百貨店の紙袋などを床に置いてしまう事がありませんか? 此処にも、”角”が出来ます。つまり、家具や荷物など、床に物が沢山あって、それが一直線でない凸凹したラインを作っている場合、その部屋がたとえ円形だとしても、”角”が沢山ある事になります。そして、皆さんご存知の通り、ホコリと言うものは、常に”角”に溜まるものなのです。廊下だって、人が通る真ん中ではなく、両脇(壁と床との”角”部分)に溜まっていませんか? と言う事は、”角”が沢山あればあるだけ、ホコリの溜まる部分も沢山ある、と言う事なのです。物の多い部屋は、だから何もない部屋に比べて同じ使い方をしていても、ホコリが早く、沢山溜まってしまいます。それに対し、「何も置いていない部屋」は、ホコリが溜まる部分が、部屋の隅だけに限られますから、汚れにくいし、掃除機をかけるとしても、隅だけかければ良いので、あっと言う間に終わります。また、時間が無い時は、隅だけをフロアモップでサーっとなでて、一箇所に集めたホコリをティッシュでくるんで捨てれば、そこそこOK。掃除機をかけなくても済んでしまいます。「何も置かない部屋」は無理ですが、たとえば、「家具の前面を揃えて直線を作る」「家具以外の物を床にじか置きしない」を心がけるだけで、グンとホコリは溜まりにくくなります。小さなお子さんがいない、日中外出している家族の多いお宅なら、週に2回程度の掃除機かけでも、けっこう大丈夫になるはず。すぐには無理でも、少しずつトライしてみてください!

おはようございます冴神剣です。皆さんは、幸せの先に何が見えますか?私は皆さんに問いたい。幸せとはなに? 恋愛? お金? 友情? 安心? 自由? これらを手に入れれば 不幸ではないのだろうか?しかし、私はその全ては 幸せではないと考えます。一時の高揚はあっても すぐに心は孤独に戻るのを私は知っています。皆さんは、何の為に生きてるのでしょうか? 自分の価値をあげる為? いいえ違いますよね。では、自分の心を満たす為?それも違いますよね。答えは自分の為ではありませんか?人は満たされない心を満たしたいだけ、 人は幸せを感じたいだけ 、人は自分の為に生きたいだけなのかもしれません心は死ぬまで肉体と言う殻の中にあるもの。それは、 自分の心が分かるのは自分だけ 、自分が他人の心は分からないように 誰にも自分の心は分からない。人が交わえるのは 肉体と言う殻と殻だけなのです。人は人の殻しか見えない 。殻の中に本当の心があるのに 殻の中に本当の自分がいるのに。そんな悲しみの声が私には聞こえてなりません。 殻の中の心に手が届く人がいる。 本当の自分に触れられる人がいる 。その人との生きる喜びの共有 それこそが私が考える本当の幸せだと思います。しかし、 幸せとはあってないようなものであり、あるのは 幸福感と言うものだけかも知れません。 どんなに愛するものを手に入れても どんなに沢山の富を手に入れても 幸せの中に浸っていると 幸せを感じなくなってしまうのが人間の弱さでもあるのです。私もそうです幸せでありながら不幸を感じてしまう。 そして さらなる幸せを求めて人生とは何かと彷徨ってしまうのです。 いろいろな経験をしてきた私ですが皆様に一言最後に皆様の胸に刻んで欲しい言葉があります。「 生きる事は自分の為にあるのだが 本当の幸を 考えるのであれば人の為にどう幸せにしていくかを考えるべきなのです。 」

こんにちは、冴神剣です。月の出る夜に淀みない瞳を見る。そう、穢れのない瞳を見る。その健康的な手足は、すらりと伸びて力強く。それ故に、その少年の熱き拳はいつでも真っ直ぐで歪みがない。それが、男の志と言う少年自体を表すかのように。拳には、その性格が出る。それ故に相対すると言葉と交わすより手っ取りばやいと言う言葉も。まぁ、理解も出来ます。男の拳とは生きざまが出るのです。馬鹿みたいに真っ直ぐしか出来ないのもあれば、正義か悪か解らぬ馬鹿もいる。千差万別。故に、その熱き拳は真っ直ぐ過ぎれば解り易い。かといってやたらめったに拳をあげたら良いと言うものでもない。私が言える立場ではないが、教えるのは、扱い方だけ。あり方さえ学べば、その道を違うような馬鹿な少年ではない。危なっかしい所もある少年だが、実直な男だ。その点は大いに信頼しているからこそ教えようと言う気にも私はなった。その少年の修業を終了させて、己が人生の修行に入って数日目。灼熱のような炎の中は、己自身も焼くような気分になる。ごうごう焼ける窯の熱は、己の無駄な所を溶かしつくすかのようで、滝のように流れだす汗は己自身の弱気心を洗い流すようだ。弾け飛ぶ汗を見ながら、無心に。拳を打つ。空を打つ。己の弱さを打つ。心を打つ。信心。忍耐。気迫。闘志。何度とない痛みと苦闘で、己の心は何倍にも強くななる。拳は鋼となり刃となる。心はは優しく、常に平常心、人の心の痛み深く人の心の痛みを知るには憂いあるもの。馬鹿ゆえに正直者。さて、華は何にしたものか。少年の瞳をあしらったかのような向日葵はさすがに迫力に欠けるだろうと苦笑して、今の季節を私は思う。「桜か」と静かに一言発した少年はらりと舞い散る桜は、鮮やかにして美しく。そして、儚い。「花見酒も良い季節になった」私が笑えば、少年がじゃあ天ぷらはいかがですかと言う気がした。少年よ人の道から外れる事はするなと告げてある。男の拳とは弱き者を助ける為に使うものそれが免許皆伝のようであり。少しばかり、我が子ののような少年が離れていくようで寂しいものもです。詳しく聞きたい人は冴神剣まで連絡ください。

おはようございます冴神剣です皆さんは、不払いと過払金請求を踏み倒してますか?踏み倒しをする人は、次第にそして確実にそのすそ野を広げています。実際に、子供の給食費の不払い、保育料や授業料と言った当然払うべきお金から病院にかかった時の治療費に至るまで身勝手な不払いは尽きません。生活が苦しいと言った訳でもなく、定期収入があって余裕もある人が支払いを拒否する理由は一体何処であるのでしょうか。中でも面白い現象が給食費の不払いです。時の流れに沿って、今でこそ給食費の支払いも便利な口座振替を利用するようになりましたが、それに切り替わる前は給食袋に現金を入れ子供達に直に学校へ持たせたものです。その時には給食費の不払いなんてまず見られなかった現象ではなかったと思います。持たせるのを忘れただけでも肩身の狭い思いをした親は多かったはずです。それなのに今の時代なぜ平然と給食費を踏み倒す人が急増するのか?それは私が考えるにひとえに口座振替の魔術、つまりお金が瞬間移動する事で誰が払っていて誰が払っていないかの区別が周りの人間には付きづらいからとの無責任な思いがこうした行動を引き起こしているのかも知れませんね。従って、国民一人、一人の安易な考えが莫大な赤字を生む原因と言えなくもないのです。また、払い過ぎたものは返してもらうのが当たり前と言った借り手側に強い意思表示が芽生え、高利で借りた借金に対する「過払い返還請求」のブームに繋がっています。過払い金請求は「合法的な踏み倒し」なのか?これは、高い金利時代に借りたお金に対する「払い過ぎ」を取り戻そうと言うもので、弁護士や司法書士に依頼する事で条件さえ合えば簡単に返還される、言わば合法的な「踏み倒し」と言えます。一方で、「過払い返還請求」の意味を履き違えたとんでもない事件でひと波乱あったのを皆さんはご存知だろうか。埼玉市役所の福祉課を親族と共に訪れた無職男性(53)が訴えたのは「生活保護受給者の自分には水道料金の減免がありながら、誰もなんの説明もしてくれなかった。ずっと払い続けてきた水道料金をどうしてくれるんだ!」と、落とし前をつけろと言わんばかりの剣幕だったそうです。この男性が腹にすえかね市役所にまで乗り込んできたのもあながち間違いではないと皆さん思いませんか。問題はそれに対応した職員の方ではないかと私は思います。結局、その剣幕に押し切られた福祉課の課長や係長が虚偽の決済書を書いたり自腹を切り現金を渡すなどして、4時間に渡って大騒ぎを展開したクレーマーにやっとお引き取り願ったと言う訳だが、こう言う形の対応の仕方はやはり皆さんマズイでしょう。上記の例から見て取れるように、まだまだ少数派だと侮る事なかれ! これまで比較的おとなしくしていた「弱者」が確実に「強者」に変貌している現代社会の実態がそこにあるのです。今後、赤信号を皆が手を繋いで渡るようになったらこの国はどうなるのでしょう。これから先の舵取りが、政治社会に重くのしかかっている事を、ぜひ国民の皆さんは自覚して欲しいと思います。そして、自分に過払い金があるかどうか知りたい方は冴神剣にご相談下さればいつでも相談にのります。

こんばんは、始めまして冴神剣と申します。皆さんは、浮気についてどのように思われますか?私の所には様々な相談者が来ます。今回はこんな相談だったのですが、皆さん共感出来るのでしょうか。20代半ば、女性関西大学院を出て都内で専門職をしているそうです。外見は普通、服装や化粧などは地味な方であり、。WithとかMOREみたいな感じですね。浮気はこれまでした事もさた事もなく、ごく普通の男女交際をして来たと言う事です。交際経験5人。元々は恋愛時間割くタイプではなく、ドライだと周りには言われているそうです。彼氏本命同じく20代半ばで会社員。大学サークルきっかけで出会い、交際二年。仕事で月の半分以上は海外でほぼ遠距離。誠実かつ献身的な性格です浮気相手(以下Mとします)の職場上司2つ年上)。同じ職種だがとても有能で、女性は入社当初から漠然と憧れていたそうです。その為仕事や周りの人との接し方についての悩みをよく相談したりして最初は私が一方的に(上司として)慕っていた。同じ職場彼女(女性と同期。以下Sとします)がいる。以下、浮気に至る経緯です<経緯>二か月前から告白される。半年程前から女性とMで2人で会う機会が増えていて、「ひょっとしたら異性として好かれているかもしれない…」と思い始めていた。しかし、この時点では向こうは彼女であるSさんと別れていなかったし、女性に彼氏がいる事も知った上で告白して来た。その事に違和感を感じながらも私もMに惹かれていたのは事実だったのでつい期待を持たせるような返事を返してその日は別れた。今思うと此処で思わせぶりな事を言ってしまったのが良くなかったと思う。それは、一か月半前からSさん彼女)に○○(私)の事が好きになったから、と言って別れて来た、と告げられる。Mは「もちろんそっちも彼氏と別れるよね?」と言いたげな態度。当然と言えば当然ですね。この時点でSさんと私との友情は破綻Mに、今の彼氏に不満はないし、別れる決心が付かない。彼女がいるまま告白して来た事で貴方の事が100%信頼出来るとは言えないし、(誠実な)彼を振るリスクは取れない。もう少し気持ちが固まるまで待って欲しいと伝える。こう言う答え方をしてしまったのは本命彼同様Mの事を失うリスクも又とれなかったから。の返事は一応了承だったが、会う度にほぼ付き合ってるような態度・行為をしてしまう。(ここで事実上(女性の)「浮気」が開始)浮気を初めてからこの一か月の心境の変化報告はこうだった。彼氏本命)に無性に会いたくなり、真夜中に電話をかけたりしてしまう。からの連絡も異常に待ってしまう。つい携帯を開いたり、Facebook見たり。常時男性どちらかから連絡や関心の表現無いと落ち着かないようになった。これまでは家に帰ったら仕事の為の勉強をしていたが、その能率も明らかに落ちた。相手が2人になった事で恋愛が占める物理的な時間数が増えたかだと思う。常に何か焦燥感に駆られる。これまで漠然とあった「彼に愛されている」という安心感幸せ感がなくなった。彼の事を思い出しても、罪悪感や自分やMに対する嫌悪感に苛まれ落ち着かなくなる。その結果彼氏に対する(事実無根の)猜疑心も湧き始める。テニスの壁打ち状態で鬱々。両者に対する愛情がそれぞれ半分ずつになった(減った)気がする。それまで双方に違った形純粋な思慕の念を抱いていたが、間違いを犯した事でそれらが傷ついてしまい、以前のように愛情に胸を張れなくなった。結果どちらに会っても態度は散漫になり、デート満足度も低い。いつも満たされない。良心の呵責最初のうちは「一度くらい浮気してみても良いかもしれない」と軽く考えていたが、自分はそんな器ではないと思い知った。本命彼は勿論MにもSさんにも悪い事をしたと言う意識が拭えず、何をしていても気分がふさぐ。腐ったナベを被って暮らしているような心境。TVドラマなどで恋愛ものを見るとヘコみ、食欲が減退。眠れなくなる。「死後さばきにあう」という文言が気がつくと頭に浮かんでいる状態。彼女の結論はこうでした。浮気精神的にタフな人だして良いものだと解りました。浮気二股精神的にタフで、自分の言動に責任が持てる人がするものそうじゃないと周りの沢山の人を傷つけてしまうのはもちろん、自分人生や心、信念や大切にすべきものも傷ついて、どんどんダメな生涯になっていくと思う。自分が今そう言う坂道を下ってるような気がして仕方ない。もう二度とこんな事はしないし、落とし前はしっかり付け、受けるべき罰は受けようと思う。と言う事でした。皆さんこの話を聞いてまで浮気したいですか?又は浮気をされたいですか?そうなる前に冴神剣に相談ください。