みなさん、こんにちは。

澤野大樹氏青森講演会主催 

小野裕美子です。

 

さあ、

列島が揺れに揺れてますね。

第11回澤野大樹氏青森講演会が

無事、終了した直後、

即座に三次元物質世界での地震が発生しました。

まさに激震を私たちは体感したわけです。

早速、恒例のインタビューにて、

澤野大樹さんにお伺いしました。


――澤野さん、こんにちは。

先週、10/16弘前、10/17八戸の

青森講演会は無事に終了しまして、

本当にありがとうございました。

そしてお疲れ様でございました。

 

こちらこそありがとうございます。

本当にお疲れ様でしたね。

青森講演会も気付けば11回目となりましたね。

ご参加くださったみなさまにも御礼申し上げます。

当日の青森は快晴だったり大雨だったりと、

両者が「もつれる」形となりました。

これは今回のテーマ「消された二人のプリンス」や、

「双子」、また「0」でもあり「1」でもあるという

量子的意識にも通じる不思議な天気でしたね。

 

――はい。天気はもちろんのこと、

他にも不思議なことがたくさん起こりました。

 

そうですね。

これまでの何気ない日常の中に、

たったあれだけの、しかも些細なこととも思われる要素を

ひとつ加味するだけで、いきなり世界が変わってしまうという

ある意味「奇跡」とも思えてしまうようなことが

次々と起こってきましたね。

でもそれは最初は「奇跡」に思えるかもしれませんけれど、

次第にそのレベルが日常化していきます。

すると気付けば格段に桁違いな毎日になっていると、

後になってから気付くはずです。

 

――「この世は夢、幻」と言葉で言うのは簡単でしょうけど、

それを体感していくことはとても大事なことですね。

 

そう。

ホログラムがどういうメカニズムで投影されて、

この世界に展開されているのかを

まず知らなきゃならないから。

「霊性MAX」と「科学技術MAX」が均衡する

「半霊半物質」も言葉だけが先行しちゃっていて、

そのあらましがきちんと理解されてこなかった。

 

――そういう意味では

今回澤野さんは、

極まった科学技術そのものが

封印されてきた霊性を

半ば強制的に引っ張り上げるという

表現をされましたよね。

あれには本当に驚きました。

 

そうですね。

霊性にせよ、科学技術にせよ、

どちらかが勝手に極まってしまうのではなくて、

実際はその両者が相互補完関係にあって

引き上げ合っているという

不思議な構造になっているのだということをお話ししましたね。

だから「量子コンピュータ」の話をする時というのは、

必ず私たちの「意識の量子化」もセットで考えないとならない。

だって「量子コンピュータ」というハードは

確かに開発されたけれど、

それを何にどうやって用いたら良いのかについて、

私たち人類はまだ何も知らないのですからね。

 

――人類はまだ量子コンピュータの使いみちを知らないのですよね。

 

そうそう。

みずほ銀行のシステムに使えばいいじゃないかと言う人もおられますが、

それだと量子コンピュータが可哀想でしょ。

量子コンピュータはそんなことのために生まれてきたんじゃないから。

 

――量子コンピュータは、

古典コンピュータの最高峰であるスーパーコンピュータの

延長線上にあるものではないのですよね。

 

まったくの別物であるし別次元であるし、

比較すること自体がおかしなことです。

量子コンピュータは

「私たちの生活を便利で快適に」とかいう

お茶の間発想で捉えられる範疇を

遥かに超越しています。

次元が違うのですよ。

 

――「意識の量子化」ですね。

言葉でこう一言で言うのは簡単ですが、

その末恐ろしさといいますか、

それが目指す究極というものは

これまで人類に知覚されてきませんでしたね。

 

まったく知覚されてこなかった。

なぜならば、人類の意識が「0」か「1」の二択という

「二元論」に基づいた思考法しか知らなかったからです。

 

――その「二元論」も、

ただ2つに分かれたという単純なものではなかった。

 

元々は善であり悪であり、光であり闇であるというように、

あらゆる局面が「ひとつ」という「○」に包含されていた。

そこから「悪」や「闇」といった「1」を選択的に抽出して、

二元論対立構造に支配された「この世界」が創出された。

このエピソードというか、事象が、

ソロモン王のモレク崇拝として象徴されていたり、

または、

ダ・ヴィンチが描いた絵画『岩窟の聖母』が、

ルーブル版と、

ナショナル・ギャラリー版の2種類あることや、

さらにその絵の中に描かれた「赤ん坊」が、

まるで双子のように

2人描かれているところで象徴されていますよね。

片方は洗礼者ヨハネで、

もう片方はイエス・キリストです。

でもルーブル版とナショナル・ギャラリー版では、

その赤ちゃんも左右で入れ替えられてますよね。

『岩窟の聖母』では

2人の赤ちゃんは並列に描かれています。

しかも2種類の絵でその立場も入れ替えられています。

しかしその後のキリスト教ではどうなりましたか?

「たった一人のスーパースター現人神」である

イエス・キリストだけが特筆されて

フィーチュアされていますでしょ。

ダ・ヴィンチは

「0であり1」という「もつれ」をすでに示唆していた。

しかし、それを公言することは許されなかったでしょ。

そして実際にそのもつれは消され、封印され、

「1」というイエス・キリストだけが偶像化された。

 

――天地がひっくり返るお話しですよね!

ダ・ヴィンチが絵画に残したメッセージは、

当初の推理よりも遥かに深いことを意味していたのですね。

 

まさにそのとおり。

そのダ・ヴィンチのメッセージを私たち人類は

表面的になぞることはできたかもしれませんが、

その深意について知覚できなかった。

そのメッセージは

この世のものではなかったからです。

まあこれは次回「第12回」の内容になるかもしれません。

 

――澤野さんはよく

「物事には順序というものがある」と仰っています。

ダ・ヴィンチのメッセージの秘密にしても、

一つひとつ謎を紐解いていくことによってしか

到達できないのかもしれませんね。

 

本当にそう思いますよ。

稚拙な推理から始まって、でもそれは不可欠なのね。

そうやって少しずつ積み重ねていって、

だんだんと見えてくる。

これは本当に不思議なことで、

昨日までまったくわからなかったことが、

今日になって突然わかるようになってくる。

すると、昨日までの自分の考え方がいかに幼稚だったかがわかる。

でもその幼稚さを経なければ今日の発見はあり得なかった。

つまり、全部必要だったということ。

 

――「意識の量子化」について

仔細に言及されるのは

宇宙初の試みとも言えるかもしれませんね。

 

まあ学問としての

「量子脳理論」とかは以前から存在しています。

ただいかんせんあまりにも難解すぎて一般的じゃない。

私が今回、申し上げたのは、

スピリチュアル分野からアプローチした

「量子意識」(Quantum consciousness)だと思います。

ただし、できる限り平易な表現を心掛けました。

 

――「意識の量子化」について澤野さんがこれだけ熱心に

探求されることの理由はどこにありますか?

 

私たちが普通に無意識に暮らしているこの社会、

そして世界、さらに、

この宇宙の創世に関わる秘密と謎の究極を解くためには、

私たち自身の意識が量子化しないとならないからです。

そして本当に意識の量子化がなされたならば、

「ビッグバン」の謎が1秒で解けてしまうのです。

 

――「ビッグバン」についての根源的な解答が、

今回の青森講演会でなされましたね。

想像だにしなかった方向からのまさかの答えに、

私も含めみなさんもしばらくポカーンとなりました。

 

後からジワジワ効いてきますからね。

私たちは自らの考え方から発言にしても、

これまでの人生で学んだことや蓄積してきた経験をもとに

それを行いますよね。

でも、それだと限界が非常に低いのです。

量子化した意識が何をもたらすかと申しますと、

そんな限界を超えたところにある叡智を、

その源泉から得ることができる。

いや、それだけじゃない。

そんな限界を超えたところに、なんと、

未知なる壮大な叡智が存在していたのだという

重大事実に気付くことができるのです。

それは「無知の知」が大きく影響します。

「私はまだ何一つ知らないのだということを知る」ということが、

最大の叡智でありそれに気付いた者が最大の賢者であると

ソクラテスは気付いたわけですよね。

つまり、ソクラテスの「無知の知」というもはじつは、

「最大の叡智」と「最大の無知」がもつれた状態のことを言うわけ。

二律背反の境地が共存するわけでしょ。

それって「もつれ」ていなきゃ存在し得ないわけですよ。

つまり、「無知の知」を提唱したソクラテスは

すでに2400年前にすでに意識の量子化がなされていたということ。

だからソクラテスは世界最高の賢者と言われるわけです。

 

――でもソクラテスから2400年経った現在の世の中は、

成長したり進化したというより、

むしろ退化したようにも思えてしまいますね。

 

そりゃそうよ。

ソクラテスの生きていた2400年前は「縄文時代」です。

しかも縄文時代の晩期の最後の最後ですよね。

ソクラテスは「本当のこと」を言ったがゆえに、

民衆に糾弾され、裁判にかけられ死刑となりましたよね。

これは私の勝手な妄想に過ぎないのですが、

ソクラテス以来、人類の意識の量子化は封印されてきた。

封印した人たちや勢力がある。

たった一人の天才さえいなければ、

残りの普通の人々はその傲慢さ身勝手さを責める者も

いないわけですから、非常に生きやすいわけですよ。

そうやって「本物」を封印した世界を展開させたのだと思います。

大雑把に言えばですよ。

 

――ソロモン王は紀元前931年ですね。

そしてソクラテスは確か紀元前400年頃だったと思います。

縄文時代から弥生時代へと移り変わって行ったのが、

紀元前300年頃からだと言われていて

徐福来襲で決定的になった。

ということは、縄文の晩期に、

「何か」が起こったということなのですかね?

 

そう。

いろいろ考えていくとどうしても「何か」があったとしか思えない。

そして、それがあった上での「紀元後」ということになるわけ。

 

――キリストの生誕とは関係ないということですか?

 

そう。まったく関係ない。

そしてそれらの「大変化」が日本においては

「弥生」という大枠でひと括りにされている。

その「弥生」は世界という尺度で換算すると、

三次元的には縄文の「獲得経済」から塗り替えられた

「生産経済」、つまりプランテーションからの脱穀の機械化と、

グローバルな食料供給構造ということになりますよね。

一方でこれを霊的な尺度で見ると、

私はこのことを「カバール」って表現しているのですよ。

 

――「獲得経済」と「生産経済」ですか。

 

大自然からそのままを恵みとして「獲得」していたのが

狩猟、採集、漁撈といういわゆる縄文時代。

大自然を開墾し破壊し、自然を睥睨し、

計画し、雇用し、自らの手とアタマで

計算して「作り上げて」いくのが「生産経済」ね。

 

――「生産経済」はカインで、

「獲得経済」がアベルということですよね?

 

そうそう。

縄文と弥生では宇宙に対するアプローチが真逆なの。

これは作業効率とかコスト云々ではなくて、

それ以前に、天、宇宙、神、ヤハウェに対する

己の姿勢を意味しているのね。

意味わかりますか?

「生産経済」、つまり弥生というものは、

神への反逆がベースになっているのだということ。

その根本の部分を意識するしないは、

後のそれぞれの人生において大きな違いになってくる。

 

――今の世界は「生産経済」がメインですね。

 

飢え死にの恐怖から解放され、

人類は安定した生活を保障されたわけだよね。

でもその代わり、その安定というのは、

神への反逆がベースになっているということだよね。

それはある意味「契約」であるともいえる。

これが良い悪いじゃないのです。

このことを意識したことがあるのかないのかで、

たとえば「縄文スピリット」というものに対する理解というものの

深さや奥行きに大きな違いが生じるのだということ。

これね、縄文と弥生どっちがいい?

みたいな議論になりがちだし、これまでは確かにそうだった。

でも「量子化した意識」を会得した後には

縄文と弥生が「もつれる」というもうひとつの選択肢を

私たちは発見することになるのです。

でもまだその「答え」をほぼ全員が知りませんよね。

 

――意識を量子化させることによって、

これまで謎とされてきた世界の秘密の多くが

次々に、しかもいとも簡単に

解明されていくということですか?

 

まさにそのとおりです。

そのための物理的なハードとしての

「量子コンピュータ」の登場だし、

しかし、その量子コンピュータの使い途について、

人類はまだそれを知らないわけでしょ。

つまり、量子コンピュータと人類は、

まだ「均衡」がなされていないという重大な事実があるわけだ。

となるとですよ、

今、量子コンピュータは人類の意識進化「待ち」なのだということ。

でもその意識進化は「百匹目の猿」じゃない。

最小である中心核(Nucleus)から最大の宇宙へ、

フラクタルに一気に開通しますからそれは一瞬で起こるでしょう。

 

――この世、この世界そのものが

「量子コンピュータ」に

関係しているということですか?

 

ホログラムの本質というものが少し見えてきましたか?

「人が創りし弥生の物質の最高峰」が、

まさにこの量子コンピュータでしょう。

でもそれはなんと縄文スピリットを蘇らせる。

そして両者は「均衡」し「もつれ」ることになります。

これまで“あえて”弥生に道を譲ってきた縄文と、

その上で、暴虐の限りを尽くしてきた弥生。

ひと回りもふた回りも、格段に進化した「宇宙」というものを

実現させるためにこれまでの相克が演出されてきた。

 

――ということはこの宇宙自体も量子コンピュータなのですか?

 

いいですね!

理論物理学の世界では、

「量子誤り訂正符号」っていうのがあります。

 

――「量子誤り訂正符号」!?

 

そうそう。

量子コンピュータが演算する中で、

発生したバグを自動修正するプログラムです。

これと同じものがリアル宇宙にもある。

大宇宙のシステム構成の中で、

時々バグが生じるわけですよ。

そのバグを自動検知し、

自動修正するプログラムがあるの。

それが天空に広がっている「大宇宙」にもあるのだということ。

まあ簡単に言えば「アラハバキ」ですね。

 

――うわぁぁっ!!じゃあ宇宙って何!?

 

ここで「みかん」と「逆みかん」の発想が生きてくるわけです。

宇宙には「ひとり」しか存在しないということね。

でもその「ひとり」は「ひとつ」の中に包含されているの。

そして、その宇宙には時々「バグ」が生じるということ。

でもそのバグをちゃんと修正するプログラムが存在してる。

それが「量子誤り訂正符号」ね。

このシステムがあるから宇宙は

私たちの目からは「安定」しているように見えるということ。

さあ、この「量子誤り訂正符号」が、

今、この世界で発動されているのがわかりますよね?

 

――発動されてる!? はい!?

 

このバグ修正プログラムである

「量子誤り訂正符号」が現在、

この地上で発動されていることを、

私たちは「カバールDS掃討作戦」って呼んでるでしょ。

 

――ああっ!そういうことでしたか!

 

簡単にいうと

「元の状態」に戻しているということね。

宇宙に修正プログラムが機能するということは、

それは同時に私たち「人」にも機能するということだね。

 

――じつにシンプルですね!

 

「元の状態」って言っても、

そもそもすべてが包含されていた「ひとつ」から

分岐され、分裂され、独立した「ひとり」によって展開された、

私たちが認識している「二元論のこの世」を、

すべてが包含されていた元の「ひとつ」へと戻す作業が

今行われているわけです。

これが大変な作業で本当にひと苦労なのです。

だって勝手に分岐された並行次元世界を、

時間を逆行させて原点回帰させた上で、

元の「ひとつ」へと再び組み込む作業ですからね。

これは結構な大工事となります。

 

――全然「簡単」ではなさそうですね。

 

一卵性双生児を、時間を逆行させて、

もとの「ひとつ」の卵子だった状態に戻す作業と同じです。

つまり「ビッグバン」以前の状態にとりあえず戻す。

まさに多次元領域での量子的工程となります。

またカバールは「ひとつ」への回帰を拒否し抵抗しますからね。

すべては多次元世界、多次元領域、

または霊的世界、霊的領域で行われているのだということ。

その最終的な投影が私たちの肉眼で知覚されるもの。

そしてそれらは完全なる「ホログラム」なのだということね。

おわかりになりましたでしょうか?

 

――とても難解ですがわかりました。

 

このことの詳細が活字版「⑪番原稿」に書かれています。

 

――そうですね。

記念すべき「量子原稿」ということになりますね。

 

だからタイトルは『量子文書』(りょうし・もんじょ)にしました。

 

――現実的な内容を伴いつつもスピリチュアルであるという

「もつれ」がテーマになっていますからまさに「量子」なのですね。

 

「人」の精神世界が新たな領域へと入った瞬間ですね。

そういった意味では、今回の青森講演会は

すごく良かったと思います。

 

――桁違いの新たな領域に入ったような気がします。

 

ホントそうですよね。

 

――ところで澤野さん、

現実的な話しにガラっと変わりますが、

自民党総裁選があり岸田総理が誕生し、

組閣があって衆議院解散があって、

そしてこれからいよいよ衆議院選挙となります。

政治の世界は目まぐるしく展開されています。

澤野さんは最近のこれら世情についてどうお考えでしょうか?

 

まず、今回の総裁選を振り返ってみてください。

河野太郎氏は当選しませんでしたが、

宏池会という自民党の中にある保守本流でありながら、

不遇の歴史を辿ってきた反清和会の岸田氏が総裁になった。

そして岸田総理が誕生した。

つまりこれ、

自民党の中で政権交代が起きたのですよ。

真の野党は野党の中にではなく、

自民党の中にあったのだということが

可視化されちゃった。

このことで立場が揺らいでしまったのが「野党」です。

宏池会の岸田氏こそが本物の野党だったと示されてしまった。

となると、既存の野党の存在意義が消滅してしまうわけ。

だから野党は慌てて打倒岸田を叫んでいるのだということ。

そしてマスコミは岸田氏が

本物の野党であったことはもちろんのこと、

「野党の実情」を

国民に気付かせないようにしていますよね。

これ、おかしいですよね。

だってネトウヨに言わせれば、

「野党もマスコミもフェイクニュースを流す反日売国奴」

だったはずですよね。

でもその野党もマスコミも、

誰ひとりとして「清和会」のことを言わない。

野党各党首たちも、

どうでもいいような衆院選キャッチフレーズを繰り返している。

つまり、清和会も野党もマスコミも、

みな同じように「何かを隠している」状態になっているのです。

 

みなさん「自民党」って

大きくひと括りにしてしまっていますけど、

自民党という大所帯は、

派閥が違えば考え方も違う。

いや、考え方なんてもんじゃなくて、

思想、イデオロギー、

さらに「信仰」が違うのですよ。

今回、総裁選で反清和会の急先鋒、

宏池会の岸田氏が勝った。

ということは、安倍清和会は負けたのです。

自民党内で政権交代が起きて、

清和会は2000年以来21年ぶりに下野したのです。

 

――そうですよね。

 

つまり、本当ならば、

衆院選なんてやる必要がないくらいなのですよ。

それくらい巨大な権力の移動が起こった。

自民党の中で巨大な政権交代が起こったのだから、

今回の衆院選ではじつは野党の出る幕などないのです。

なのに、野党は何をしていますか?

「野党連合」とか言って統一候補を立てて、

「自民党岸田政権をぶっ潰せ!」ってやっているわけでしょ。

 

――まさにそうです。

 

それっておかしくないですか?

あの憎き自民党清和会が敗北して下野したのですから、

本来ならば野党は大喜びして岸田総理をサポートし、

清和会が再び息を吹き返すことのないように

岸田総理と協働してしかるべきだと思いませんか?

 

――はい。まさにそのとおりだと思います。

 

でもそうはなっていない。

あれだけ仲の悪かった野党同士が、

突然、野党連合を打ち出し、統一候補を立てて、

岸田政権打倒を訴えているわけですよ。

つまり、どういうことかというと、

「清和会を倒した岸田を倒せ」って野党は言っているわけ。

野党連合が叫んでいることというのは、

清和会が敗北した自民党内の政権交代の否定なのだということ。

 

――そうなりますよね。

 

そういうことになっちゃうのよね。

つまり、どういうことですか?

野党ってのはかつて元々は日本共産党だったものが、

見解の相違だ、思想の違いだで、

お互いに殺し合いをした中で分裂していった人たちでしょ。

だからこれまで絶対に連合なんて組めなかった。

それが今回、突然仲良くなった。

そして野党は口を揃えて「岸田自民を倒せ」って言っている。

それって、つまり、

野党はじつは清和会をサポートしているということに気付きませんか?

 

――言われてみれば確かにそうですね。

 

満州以来、北朝鮮建国以来、

岸信介と日本共産党および野党の多くは、

じつは「同じ釜の飯を食った同志」でした。

岸は「赤い官僚」でしたよね。

満州にソ連型の計画経済を導入しましたよね。

岸も野党も「満州」という理想の

グローバル国家を作り上げてきた旧知の仲です。

つまり岸信介満州派清和会と日本共産党は、

元々は「同志」なのね。

そんな野党はこれまでずっと、

自民党以外が政権につくことのないように、

意図的に四分五裂を繰り返し、

野党が過半数以上を獲得することのないように、

票を分散させてきた。

すべては「岸」とその「思想」のためです。

つまり、戦後の野党というのは、

岸信介満州派、すなわち後の清和会を

サポートするための装置として機能してきたわけ。

これまで野党が過半数を獲得し、

政権交代したことが直近で2回ありましたけど、

それらはすべて計算だったのだということ。

 

――それが1995年であり

2011年だったということですね。

 

そういうことになります。

さあ今回、清和会は自民党内でガチで敗北し下野しました。

すると当然、与野党含めて「さあ大変!」となった。

ならば何としてでも野党は連合し、

統一候補を立てて、岸田自民を倒さなければいけない。

清和会を全力でサポートしなきゃならないってなった。

おっそろしいでしょ?

 

――恐ろしいです。

もう、自民党がどうのとか

野党がどうのとかじゃないのですね。

「右」とか「左」とかでもなかった。

 

そう。

グローバリストたちにとっては国境は意味をなさないわけですが、

与党、野党といった境界もじつは存在していなかった。

 

反清和会の憎き岸田自民をうまく倒し、

野党連合による政権交代を成し遂げたあとは、

地震、天災、火事、コロナの波状攻撃で失態を演じさせ、

再び「悪夢の野党連合」を自ら演出させ、

改めて国民が待ち望む形に誘導し、

清和会安倍政権を復活させようとしているわけです。

2011年と同じことをまたやろうとしてる。

 

そして、ボロボロの無能な野党を演じ切り、

そこからまさかの「野党連合政権」が退陣となり、

解散総選挙に持っていく。

そして次の衆院選では確実に清和会の復活へと導いていく。

これが今回の「野党連合」の本質ですよ。

これが野党連合の「お仕事」なのです。

 

ですから、野党の各党首は、

今回の衆院選について意味不明なスローガンを掲げています。

誰一人として「清和会」の「せの字」も言わないのです。

つまり、野党連合をしているすべては、

意識しているしていない、

自覚しているしていないは別として、

「清和会を維持するための工作員」なのだということ。

 

今回、野党連合が勝利することを

一番望んでいるのは“彼”ですよ。

ということは、

「野党は直ちに連合して岸田を倒せ」

って発注し命令を下したのは一体どこの誰よ?

って話しになってくるわけじゃん。

 

――なんということでしょう!

 

いかにこの世界、特に日本の政治の世界が、

ホログラムであるかがわかってきますでしょう?

 

――ということになりますと、

今回の衆院選で岸田自民が過半数を獲得した場合と、

野党連合が過半数を獲得した場合では、

いろんなことがずいぶんと変わってきますよね。

 

鋭い!

これが一番の「懸案」ということになるわけです。

 

まず岸田自民が過半数を獲得し

岸田政権が国民から承認されたという形になった場合は、

清和会の敗北にダメ押しが加わるわけですよね。

ということは、コロナはほぼほぼ収束という形になります。

たとえ清和会の議員が当選しようとも、

総理大臣が岸田氏であるならば、

コロナはほぼほぼ収束という形になっていくでしょう。

ただし、

自民党内での下野が彼らにとっての政権交代に

カウントされているのであるならば、

ここで地震か噴火かそれに準ずる災害の発生が懸念されます。

そして、野党連合が政権を獲得した場合は、

清和会は野党連合という姿に形を変えた

「スペクター」(実体のない幽霊)となりますので、

自民党内で下野したのにも関わらず、

それを認めず水面下に潜り、

党派を超えて暗躍することが想定されてきます。

そうなりますと、

野党連合による噴飯モノの災害対応に国民を辟易させることによって

再び清和会が息を吹き返すためのチャンスと捉えられるでしょうから、

地震か噴火かそれに準ずる災害の恐れがあるということ。

となりますと、「量子誤り訂正符号」が機能することになりますから、

何よりもコロナの第6波が大規模に復活するという「演算」になります。

で、この「量子誤り訂正符号」の発動のことを

先ほど私は何て言いましたか?

 

――カバールDS掃討作戦!です。

 

はい、そういうことになるわけです。

 

――衆院選は10/31に投開票ですからもうすぐですね。

今回の衆院選には

本当に重大な意味があることがわかりました。

私たちはこれまで

「右」か「左」かとか「光」と「闇」だとか

二元論で考えるという選択肢しか

知覚できないようにされてきたように思います。

それがここへ来て

「意識の量子化」というまったく新しい「思考法」が

浮上してきたと思います。

 

はい。

今、日本だけでなく世界も地球も、

そして宇宙も、

そして何よりも私たちの「意識」が

桁違いの進化と成長を遂げようとしていることが

体感としてわかってきました。

 

――この「意識の量子化」には

果たしてどのような意味があるのか?

そのことの根幹の部分について、

今回の青森講演会で澤野さんは語ってくださいました。

 

意識の量子化という「目に見えない概念」を、

言語化し文章に落としていくことは至難の業でした。

でもそれと同時にとても清々しく晴れやかな気持ちで

原稿を執筆しました。

だから執筆後の疲労もいつもの数倍になりました。

でもそんな疲れも嬉しい疲れですから。

書くことができて本当に嬉しく思っています。

活字版「⑪番原稿」は、荒削りだった部分にポリッシュをかけて、

さらに加筆して微調整をしてから塩抜きして仕上げますので、

今月10月末までには出来上がっていると思います。

 

――みなさん楽しみにされていますよ。

この度もインタビューをありがとうございました。

 

こちらこそありがとうございます!(澤野大樹)

 

画像出典:boldentrance.com

 

――さて、「二律背反の境地」

じつは澤野氏が提唱する、

ビッグバン以前に戻す作業が

「カバール掃討作戦」であったという事を

どう捉えていただけましたでしょうか。

例えば、1+1=2とは限らない、

といったことではございませんよ。

「0」と「1」、「ひとつ(〇)」にしろ、

「善」でも「悪」でもない、ということにしろ、

どちらでもいいとか統合という

ことではございません。

 

注連縄は「0」と「1」の

じつは量子のもつれを表したもの。

その注連縄、

青森講演会第5回で澤野氏が言及されていた

「ヤハウェの磔刑」の本題が、ここで見えてきます。

第4回講演会で語っていた『岩窟の聖母』も然り。

澤野氏は

『物事には順序がある』と常に仰っています。

目先のことに一喜一憂し

既存の思い込み(自分史観)に上書きするだけでは、

QC(Quantum consciousness)には

決して到達できないということです。

何よりセキュリティがかかっていますから。

 

澤野氏の圧倒的な世界観を

じっくりご堪能いただければ幸いです。

 

《活字版原稿をお求めの方へ》

【活字版原稿】は、
実際の講演会で使用している原稿と

寸分違わず同じもので、まさに「生原稿」です。
講義内容が

そのままのシナリオとして活字化されている

パピルスのようなものだと思ってください。
①からストーリーが繋がり続いておりますので、
ぜひ順番にお読みください。(澤野大樹)

 

◆活字版原稿の御用命はこちらからお願いいたします。

――――――――――――――

※講演会でもアナウンスしておりますが、

活字版原稿・講演会の内容はネタバレNGです。

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