みなさんこんにちは。

澤野大樹氏青森講演会主催

小野裕美子です。

お忙しいところなのは承知なのですが、

早速、澤野大樹さんへインタビューをさせていただきます。

 

――澤野大樹さん、

GWも終わり、ひと段落と思いきや、

緊急事態宣言は延長され、

さらに全国で

蔓延防止が拡大していますが、

そのあたりからお願いいたします。

 

「マスクをして大声を出さず、

群れを作らず、街の灯りを消し、

特に夜は静かに自宅で待機せよ」

というのが、

トランプ大統領側から

出されたメッセージです。

これはまさに今がまさに

戦中であり戦時下ということを

表しています。

じつにシリアスで大切なことですね。

このトランプ大統領側から発信された

「これまでの幻想を上書きするための幻想」の

コンセプトを理解することができれば、

今、私たちはどう立ち居振舞うべきかが

わかってきます。

この三次元現実世界で、

徒党を組んで

群れて声高に叫ぶということは、

この幻想世界の「現実性」を

強化してしまうだけでなく、

不本意にもその幻想世界に

加担してしまうことになります。

この、

「マスクをして大声を出さず、

群れを作らず、街の灯りを消し、

特に夜は静かに自宅で待機せよ」

っていう行動様式は、

一般的に、

「ソーシャル・ディスタンス」

と表現されていますよね。

 

――はい。

このソーシャル・ディスタンスというものを

一瞥(いちべつ)しただけで

スルーしてはいけないのです。

そもそもこの

ソーシャル・ディスタンス自体にも

多次元的に

深い意味が込められていたのです。

じつは、

ソーシャル・ディスタンスとは

「縄文スピリット」そのものなのです。

――といいますと?

縄文時代の縄文人たちは、

1万年以上の長きに亘って、

戦争をせず、

現在の私たちからは

想像もできないレベルで

それこそ

「平和」を実現していたわけです。

――確かにそうでした。

その「平和」とは、

縄文人たちにとっては

あまりにも当たり前のことであって、

彼らはその「平和」のことを
意識したことすらなかったでしょう。

それはたとえば、

私たちがオギャーと生まれて

日本語を覚えていった中で、

「今日本語を勉強してる」

だなんて考えたこともなかったでしょ。

それと同じ。

それくらい

縄文人にとって

「平和」というものは

意識したことすらない

当たり前のことだった。

――はい。

彼らは「戦争」を知らなかった。

ということは、

すなわち、
「平和」も当然

知らなかったということでしょ。

これ、きわめて大事なことです。

――そういうことになりますね。

そんな縄文人が無意識で

行っていた行動様式というもの、

つまりその「立ち居振る舞い」

というものがあります。

それについて私は勝手に

「縄文スピリット」と呼んでいます。

――それはどのようなものですか?

縄文スピリットには

いくつかの特徴があります。

●群れない

●徒党を組まない

●主体性なく付和雷同しない

●組織を構築しない

●「所有」という概念がない

●土地の境界が無いだけでなく、

精神(心)の境界も存在しない

●上下関係がない

(適度な距離感と礼儀はあります)

●主従関係がない

●人懐っこい、お人好し

●まつろわない(服従しない)

●まつろわせない(服従させない)

●相手の立場を尊重する

●もっとも弱き者の心に寄り添う

●「ひとつ」である「宇宙」「ヤハウェ」と

「ひとつ」であるという「ひとつ」を

無意識かつ自然に体現する

●偶像を崇拝しない

●求められてもいないのに、

他者に干渉しない

●求めてもいない他者からの

干渉を受けない

●「ハラ」(原=大自然)のしきたりに

身を任せ、他者と適度な距離を保つ

●侵略をしない

●恩着せがましい余計なお世話や、

ありがた迷惑な行動をしない

●異能を誇らない

●本能に忠実に生きる

●宇宙(己)の流れに沿う

これが「縄文スピリット」です。

まあ他にもまだあると思いますが、

ザッと挙げてみました。

――現代的に推奨される

生き方とはかなり違いますよね。

そうです。

いわば「真逆」と言ってもいいですね。

この縄文スピリットの

真逆が「弥生スピリット」ですからね。

そして、

この現代社会は

「弥生社会」ですからね。

こうやって見てみますと、

縄文人というのは、

現代的な価値観で考えるならば、

なんとも弱い存在にも思えますよね。

現在の弥生社会においては、

このような

縄文スピリットの実践者は

イジメや排斥の対象となるでしょう。

――とても生き辛いと思います。

だって、

明治維新以降の日本は、

この「弥生」によって

完全支配されたのですからね。

でもじつは、

この縄文スピリットが本当は

一番強いのです。

「強い」といいますか、

「圧倒的」なのです。

縄文人、あるいは

縄文スピリットを持つ者は、
誰にもまつろわないし、

誰もまつろわせない。

すごく純粋だし素直だし、

宇宙に対して謙虚だった。

そして

何よりも「正直」だったのです。

――正直に生きるって、

単なる言葉として

言うのは簡単ですが、

なかなか難しいことですよね。

はい。

イギリスのことわざといいますか、

言い伝えのようなものがありますね。

 

一日だけ幸せでいたいなら、床屋に行け

一週間だけ幸せでいたいなら、車を買え
一ヶ月だけ幸せでいたいなら、結婚しろ
一年だけ幸せでいたいなら、家を買え
一生幸せでいたいなら、正直でいることだ

 

イギリスの言い伝えですから、

皮肉が利いていて

最高に面白いですよね。

でもこれは

すごく大事なことを言っています。

なんだかんだ言って、

最高の幸せというものは、

「正直でいること」

なのだと言っているところです。

正直に生きることには

一銭もかかりませんよね。

みんな、

財産や資産を形成すれば、

幸せになれると信じています。

株価が上がったり、

ビットコインが値上がりすれば、

自分の幸せもそれに比例して

どんどん幸福になっていくと

信じています。

でもそれは「幻想」なのです。

人の幸せとは、

ここでいう

「正直に生きること」は

もちろんのこと、

当然、個人差はあるでしょうけど

もうひとつ決定的なのが、

「健康」です。

健康であるから、

わがままも言えるのだということです。

つまり、

人生最大の幸福とは、

健康であり、正直に生きること。

もしくは、

それに立脚して

展開されるということです。
これだけなのですよね。

――正直に生きるとは、

どういうことなのでしょうか?

正直に生きるということは

本源的な意味においては

「本能」に忠実に生きるということです。

その本能の発露を、

顕在意識である

「理性」によって御しながらも

いかに実現させていくか?

そしてそれを

確かなものとして

いかに獲得していくか。
そのために
理性というものはあるのだ、

ということ。

強烈な化け物でもある

「本能」というものの特性を知り、

その矛先を、

理性で制御しつつも、

さらにそれをきちんと合法的に

実現させていくという作業。

まさに、

人生とは「エヴァンゲリオン」

そのものなのだといえます。

これが出来たときに、

人は成熟したオトナとなり、

「本能」と「理性」が

均衡した状態となるでしょう。

「本能」とは、

自律神経であり

潜在意識であり

多次元領域です。

 

「理性」とは、

「アタマ」で思考する

「自我」であり、

エゴであり、

「私」が「私」だと思い込む

その顕在意識のことです。

顕在意識とは、

三次元の

肉の「私」のことです。

 

それはすなわち、

一個の「人」として人格を涵養し、

成熟したオトナを

確立することができていなければ、

いかなる「引き寄せの法則」も

じつは

機能しないのだということ。

そんな人、その辺にいないでしょう。

――正直に生きるということは

想像以上に難しいことなのですね。

その通りです。

現代において、

多くの人は「正直」さを

封印して生きていますでしょ。

それは諸般の事情から

封印せざるを得ないからです。

誰も悪くなんかないのです。

これがあらゆる病気の

原因の本質であるし、

幸福になることができないことの

根本的な理由なのです。

――縄文時代の人は、

そのような「縄文スピリット」、

そして

「正直に生きる」ということを

無意識にやっていたのですね?

そうそう。

だから、

縄文人は野蛮人なんかじゃない。

野蛮だってことは、

弥生が嫉妬からそう言ったわけ。

「縄文人」は、

きわめて精妙な霊性を持った

繊細で高解像度の

意識を持った人たちだった。

――そのような人たちが

伸び伸びと、

一切のストレスとは無縁で

暮らせた時代が縄文時代だったのですね!

夢がふくらみますね!!

そんな縄文時代は、

1万6000年も

続いたと言われています。

でも、

通称「弥生」と呼ばれる

侵略者が入ってきて、

その平和が脅かされました。

それが紀元前210年頃かな?

つまり縄文時代晩期ですね。

秦の始皇帝の遣いとして、

この列島に

(当時は日本という国名はない)

入ってきた

「徐福」たちによって

破壊されていった。

じつはこの

「徐福」らによる「入植」は、

「第一次黒船」だったと

私には思えてならないですね。

――まさに「開国」を

迫られたようなものですね。

そうそう。

縄文人たちは、

「戦争」も知らなければ、

「平和」も知らなかった。

だから、

徐福たちに対しても

ウェルカムしちゃった。

「みんなうちにおいでよ!」って

やっちゃった。

――時代の大きな

岐路となった瞬間ですね。

そうそう。

この列島が、

「縄文時代」から

「弥生時代」へと

移り変わった瞬間だね。

でも縄文人たちは

だんたん気づいていった。

だから、逃げに逃げた。

もう手遅れだったけど。

逃げたというのは

稲作から逃げたのです。

そして、

最後の最後まで

稲作を拒絶して残ったのが、

長野県の諏訪でしょ。

――稲作って何なのでしょうか?

稲作っていうのは

「弥生」の象徴であり、

バビロンで開発された、

農耕大量生産のための

「道具」(鉄器など)と

セットとなった

「侵略セット」なのね。

弥生人というのは、

いわば、

「野菜農耕稲作ナチュラルカバール」

というバビロンからの流れだから。

――でも、日本のスピリチュアルの

ほとんどはナチュラル系ですよ?

野菜と穀物(コメ)を

日常的に食べるということは、

イギリス産業革命による

蒸気機関の発明による

グローバル貿易システムの

確立がセットになっているのよ。

私たちが

毎日普通にパンを

食べることができるのは、

イギリス産業革命による

蒸気機関の発明と、

脱穀の機械化によるもの。

縄文人は

そんなものは食べてなかった。

――「ナチュラル」という概念も

視点ひとつで、

大きく変わっていきますね。

そのとおりです。

「ナチュラル」というのは

大自然――、

つまり「ハラ」(原)のことです。

「ハラ」とは

「ムラ」(村)の対義語です。

 

ということは、

人間においても「ハラ」はあるの。

人間にとっての「ハラ」とは、

本能が欲する

基本に忠実に生きるということなのよ。

――人類は草食ですか?肉食ですか?

人類は

完全に100%「肉食」です。

人類の本当の食事とは、

動物の「骨髄液」です。

つまり現代で言えば、

トンコツスープであり、

テールスープのことです。

あるいは、

鶏白湯ラーメンの

「麺抜き」であり

水炊きです。

または、

「アクアパッツァ」であり

「トリッパ」であり、

「ベイビーバックリブ」です。

 

まあ無数にありますよ。

いわゆる「マタギ料理」ですよ。

私はこの料理のことを

「マタギの気まぐれ野営汁」

って呼んでます。

 

これが人類の本来の

本能に立脚した

本当の「食事」です。

人類の本能に基づいた

本当の食事が、

本当の本能の覚醒に

呼応するのだということです。

――でも現代スピリチュアルでは

肉食を禁忌としますよね?

そのような通念を

醸成させ惹起(じゃっき)させ

伝播したのが

バビロン系サタニズムの系譜である

『日月神示』ですよ。

これはバビロンのカバールから

受け継がれた「魔伝」なのですよ。

 

つまり、人類のその

本源的な本能に対して

抗(あらが)った「己」というもの

(ヤハウェに対する反逆)を

前景化させたまま

いかなる

「自己実現」も「引き寄せ」も、

あってはならないし、

いや、私が言わずとも、

そもそも

あり得ない話なのだということです。

――あ、澤野さん、

それはまた

アメブロじゃ無理なヤツですよね?

あ、はい。

そうそう。

無理無理。

つい言い過ぎちゃう。

では話題を元に戻しましょう。

縄文人は、

狩猟採集ですよ。

まさに「ハンター」です。

今日、獲物がとれなければ、

明日は飢え確定ですね。

そして、

いつイノシシに突撃されて

死ぬかもわからない。

常に死と隣り合わせ。

生きるか死ぬかの

瞬間瞬間が一か八かの勝負。

それが毎日。

生と死の瀬戸際を生きた。

だからこそ、

「生」の尊さを理解していた。

だから目は輝き、

意識は鋭敏に

研ぎ澄まされていた。

だからゆえ、

「異界」である山に、

剥き出しの自分のまま、

入っていけるだけの

霊力を持っていたわけね。

――すごいことですね!

つまり、

縄文人たちというのは、

本能と理性が、

きちんと均衡していた。

今を生きる私たちなんかより

遥かに高い

霊性を持っていた。

――たしかに、

縄文土器の中でも

特に凄い「火焔土器」を見れば、

そのパッションは感じ取れます。

縄文土器っていうのは

「食器」じゃないのよね。

あれは「芸術品」、

アートなの。

燃え上がり

湧き立つ本能の咆哮なの。

機能性とか合理性とか、

収納性とかコスパとか

そんな弥生の製品基準なんかに

まったく関与されていない

純粋な情熱なのですよ。

――現代は

「コストパフォーマンス」が

モノを言う時代ですから、

そういった縄文土器の凄さ

というものは

なかなか理解されにくく

なっているかもしれませんね。

本当にそう思いますよ。

たとえば、

ドイツの

ノイシュヴァンシュタイン城なんかも、

コスト計算なんかしてたら

絶対に建っていなかったですよね。

最初から採算度外視。

コストパフォーマンスで

物事を判断する世の中では、

本当に高品質のものは

できないのです。

――かつての音楽にしても

絵画にしても彫刻にしても、

コストを考慮して創作された

名作なんてないですもんね。

潤沢な資金と、

ふんだんな時間と、

それを自由自在に

生かすことの出来る

「天才」が存在して、

さらにそれを心の底から

認めてサポートする人がいて

初めて「名作」というものは

生まれるわけ。

でも

その条件が整ったからといって、

必ずしも名作が生まれる

わけじゃない。

それら名作が生まれたのは、

すべて、本当に「奇跡」です。

――様々な芸術的な

縄文土器が生まれたのも

奇跡だったのですね。

そうそう。

でもね。

弥生たちが続々と

侵略してきて、

その芸術性は失われてしまった。

縄文人たちは

弥生に侵略されて、

ただの「食器」としての

無機質な単なる「モノ」を

作ることを強制されてしまった。

――縄文人たちの

声なき声が聞こえてきそうですね。

しかし、

そんな縄文人の命を脅かすような

存在が現れたのであれば、

彼らは、

一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ

以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

として、

全生命を懸けて抵抗し、

戦ったのです。

これは「教育勅語」の

一節ですけどね。

教育勅語が良いと言っている

わけじゃありませんよ。

縄文人が生命を懸けて尽くしたのは、

偶像崇拝、現人神に

対してではありません。

それは、

「天壤無窮ノ皇運」

(てんじょうむきゅうのこううん)

のためではありません。

 

「ひとつ」である「宇宙」とは

「ひとつ」である「己自身」なのだから

「己」が戦う時というのは、

宇宙の存亡に関わる時なのだ、

ということですよ。

宇宙が破壊されるということは、

己が破壊されてしまうということ。

だから、縄文人が

戦わなきゃならない時とは、

もう、

よほどの危機であり、

よほどの喫緊の事態だったのだ

ということです。

そして、

その壮絶な侵略の上に、

現在の私たちの

この社会というものが

存在しているのだということ。

 

だから、私たちは、かつて

この東北縄文日高見蝦夷の

大地を守るために

侵略者である

大和朝廷、坂上田村麻呂軍と

戦い、命を落とした

本当の戦士、

本当の国士がいたことを

忘れちゃダメよ。

彼らは、

本当にこの列島、

この故郷のために

全生命を懸けて戦った。

この列島のこの大地には、

かつて命を懸けて戦った

縄文の戦士たちの

その赤い血が今でも

染みて流れているのだ

ということを、

忘れちゃいけないんだよね。

それを無自覚にスルーして、

「先祖供養」とかいって、

身近なお墓参りだけして

形式だけやって満足しても

じつはダメなんだよね。

――澤野さん、

ありがとうございました。

ありがとうございます。

最後に大事なことをひとつだけ。

 

今回のコロナ騒動で現れた

「ソーシャル・ディスタンス」

によってもたらされた

「新しい生活様式」のこの社会を、

みなさんはどう感じますか?

ということです。

 

「非常に窮屈で辛くストレス」

「こんな強制された社会ふざけるな!」

と感じますか?

それとも、

「最高に快適」と感じますか?

 

これ、

めちゃくちゃ巨大なことを

炙り出しているのですよ。

「コロナ」は、これまでずっと

人々を雁字搦めにしてきた

弥生スピリットから

じつは解放したのですよ。

――うわあ!

これはちょっと、

まさに椅子から転げ落ちる話です。

わかりますよね?

――わかりますわかります!

鳥肌が立って、

さらに

背筋がゾーッてなりますでしょ。

まさに

「戦慄を覚える」とは

このことだと思います。

そして、

その戦慄こそが、

新しい

「スタートライン」となります。

――これまでの自分の人生に

戦慄を覚えるほどの衝撃を感じて、

ようやくうっすらと見えてくる

「向こう側」があるのですね。

そうです。

そしてこれが

「五次元チェス」なのですよ。

その全貌は
常人では到底理解できないし
計り知れない。

しかしそれを
常人の思考範囲によって
解釈していこうとする
私たちのその

「思い上がった心」が
この「コロナ」という現象によって
アラハバかれようとしているのです。

つまり、
「カバールDS掃討作戦」は、
じつは
まったく他人事ではない。

世界最終戦争は、
私たちの
心の中で起きているのです。

私たちの心を侵略し、
憑依してきたものの存在に
私たち自身が気づき、
そして
それをアラハバくのです。

これからさらに

楽しい人生になっていきますね!

ありがとうございました。(澤野大樹)

 

――そうですね!

改めてありがとうございました!

 

 

出典:国宝・火焔型土器はアートか?~縄文文化を探る旅

『縄文スピリット』とは

ソーシャルディスタンスそのもの。

私たちは元々、

『縄文スピリット』としてありたいと願い

本来ならば普段から意識してきたはず。

本音で生きる、も

正直に生きる、も

自分勝手に生きる、ということではありません。

縄文には「平和」も「ヴィーガン」も

存在すらしていなかった。

世の中は、新型コロナによって、

変革を余儀なくされるレベルにきています。

 

澤野大樹氏青森講演会主催

小野裕美子

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