⑧挑戦(最終回)RedBull Crashed IceYokohama | 『前へ。』アイスホッケー アイスクロスダウンヒル 鈴木雅仁のブログ

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1度きりの人生。2度と来ない今日という日を、自分らしく生きて行こう。アイスホッケープレーヤー、アイスクロスダウンヒル 鈴木雅仁のブログ。

2ヶ月間出来る限りの準備をして、横浜へ。

 

臨港パークには、仮設で出来た巨大なコース。

スタート位置は経験したことない高さ。



 

外気温は12月にも関わらず20度を超えていました。

 

ブリーフィングと練習日の木曜日。

早速、この競技の洗礼をあびます。

 

スケジュール変更

 

外気温が高く、アイスコンディションがよくないので、練習と予選を今日行います!

 

アイスホッケーの場合、試合開始時間が決められていて、陸上ウォームアップの時間もアイスのウォームアップも決められています。

 

しかし、クラッシュドアイスの場合は、スケジュールが変更になるので準備が大変でした。

 

ルーキーでの出場だったので、練習滑走も1本通して走るのではなく、セクションで止まってからでしたので

予選は未知の領域でした。



 

1本目は、とにかく転ばないように慎重に。

2本目は、できる限り攻める。

 

順番が、まさかの1番滑走・・・

 

初体験だらけです。

 

41秒でトップから5秒半落ちの69位。

世界は甘くないです。

 

それでも、22mのダウンヒル。

スタートのドロップインから降りてくるのは快感でした。

 

32位〜96位 予選32位以外の32枠を決めるLCQが金曜日に行われました。

4人1組で行われたレースは上位2名のみ土曜日の決勝へ進めます。

 

とにかく、スタートで前に出たい。

そう思っていましたが、最初の180度コーナーで3位になり、前を追おうとして選手ばかり見て、結局転んで3位でフィニッシュ。

 

決勝日に進めず、初のレッドブルクラッシュドアイスは終わりました。

 

結局3本しか横浜のコースを滑れませんでした。

 

2ヶ月間、一生懸命になれるものを見つけ、過ごしてきた日々が一瞬で終わりました。


トップ選手はプロモーションのために滑れたり、日本初開催なのでプロモーションをかねて滑れたり、ジュニア枠も走れたりしている選手もいたので、たくさん走れて羨ましかったです。

 

・スケジュールに対応する能力

・前の選手に気を取られない精神力

 

この競技の一番難しいところかもしれません。

 

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日本初開催

 

ホスト国枠(3名)として出場しました。


 

久しぶりに、スポーツを純粋に楽しめた貴重な2ヶ月間でした。

インラインスケート、アイスホッケー、スキーなど、違う種目の選手が集まり、ライバルでありながらも自分が持っている技術や情報を共有し初開催の日本を盛り上げようとした選手たち(仲間)に本当に感謝しております。

 

大会中に35歳を迎えました。

12月なので、いつもシーズン中に迎える誕生日はいつも特別でした。

 

今年は、違うスポーツに初挑戦。

手も足も出なかった悔しい誕生日でした。

それと共に、また新しいチャレンジをして行きたいと思った日でもありました。

 

今シーズン、どこからもオファーが来なく、第一線でのアイスホッケー活動は終わりました。


いつか必ず引退する時がくるとは思っていても、やはり寂しいものです。

 

この先の第二の人生をどう過ごすか、考えていかなければなりません。

 

そんなタイミングで、クラッシュドアイスに出会えたことは大きかったです。

 

2000年代に入ってから、日本のアイスホッケー界は下降線をたどり、企業の業績悪化で6球団あった実業団チームも、先日の日本製紙クレインズの廃部で半分の3チームになりました。

 

少子化もあり、子供の競技人口は減少


トップリーグのチームが次々と廃部になり、国内でトップを目指せる環境は減少。


現実に目を向けると、トップリーガーになるより良い大学に行き、大企業に就職した方が無難とのことでトップリーグのオファーを断る選手も出てくる時代になりました。


当然、世界的に見るとランキングも落ちていっています。

 

年間最低でも2億かかる経費です。


なんとかしたいですが、個人レベルでどうにか出来ることではありません。


出資だけでリターンが無いものにお金を出し続けることは、大企業で相当社長が好きでない限りは企業は出来ません。


国内は厳しくなっていく一方ですが、外国(アジア)はそんなことはありません。


韓国と中国を経験しましたが全然違います。

 

私は、幸い12年間トップリーガーとしてプレーすることができました。


本来3年で王子製紙を戦力外になった時に終わっていたはずのアイスホッケー人生ですが

フリーブレイズ(ゼビオ)に拾っていただき9年間続けて来れたおかげで色んな人に出会い、色んな話を聞かせてもらったり、体験させてもらったり、色んな場面に立ち会うことができました。

 

最高峰のNHLのプレーオフ

日本代表

アメリカのトライアウト

中国

韓国

 

たくさんの経験をさせてもったからこそ、チャレンジしたからこそ見える世界があったと思います。

 

35歳を迎え、次世代に何かを残したい。

そう思う年齢にもなってきました。

 

クラッシュドアイスを始めたのも、自分の可能性の追求はもちろんありますが、アイスホッケーをしている子供達に新しい可能性を作りたいと思ってやっている部分もあります。


 

全て実費なので、貯金が減っていく怖さは半端ないですが・・・汗


 

トップリーガーだった自分がアイスクロスダウンヒルに挑戦することで、アイスホッケー関係で興味をもってくれる人は必ずいるはずです。


アイスホッケーでは難しくても、アイスクロスダウンヒルで世界一になれる可能性はあります。


日本人が世界一になれるチャンスはあると思います。

 

今回、横浜大会に出場した安床ブラザーズはインラインスケートの世界王者です。

彼らに出会えたことは非常に大きいです。

やはり、世界一になる人間の質は全然違います。

 

先日、苫小牧体育協会主催のアイスクロス大会では70名を超える小学生が参加してくれました。

 

年齢を重ねるにつれ、減っていく情熱

現実的に自分の限界と向き合うことも増えて行きます。

 

何かに必死になり、一生懸命とりくんだことは必ずよい経験になると思います。


物事には共通点が必ずあって、そこで学んだ経験は必ず活かせるはずです。

 

感動が人を変えると私は思っていますし、情熱を持って真剣に取り組むことの素晴らしさをスポーツ(アイスホッケー)が教えてくれました。

 

その経験を子供達に少しではありますが、提供できるようにチャレンジしたいと思います。

 

スケートを履いている競技

スティックを使っている競技

 

・アイスホッケー

・アイススケート

・インラインスケート

・インラインホッケー

・アイスクロスダウンヒル

・フロアボール

 

色んな競技に触れることで、色んな出会いもあります。

アイスホッケーの枠だけではなく、色んなことを経験することで得られる経験は大きいと思います。

色々経験したからこそ、新しい発見で大きく上達することもあると思います。


子供達の可能性を広げれるように。


今すぐ大きなことは出来ませんが、小さいことからですが少しづつ。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

では。