14歳のときに仲間内で流行った三巻で未完の漫画をまた改めて読む。新作の未来編も面白いけど、
三巻の最後の豹馬と蝶子がいったいどこへテレポートして脱出してその後は?青竜の印をもつ章吾は?地球の未来は?
は描いて欲しいけど想像するのも楽しい。^ - ^
当時、漫画好きの気になる女子にGペンでA6に描いた真似した絵をあげたりしたっけ。
まだ後ろ指さされる時代に吉祥寺のアニメイトでグッズ買ったりプレゼントしたり。青春だ……。
島崎譲 著
今は作者もデジタルになっちゃったけど、手作業の人物の生き生きした感じや、効果線、カケアミもその人の作品に合った効果で魅力だよなあ、と。感情や興奮が伝わる。デジタルでテンプレートになった吹き出しやフラッシュや効果を自分の絵とマッチさせられない漫画家の絵をみるとクオリティ下がったなあ、と思う。
余分な線や描写がなさすぎて人が描いてる感じがしない、キレイ過ぎる、とおっさんは思う。
男一匹ガキ大将とか硬派!銀次郎とかの迫力はスゴイものね。
新しいツール表現が若手のデフォルトの感覚なのか、でもアニメ「バイオレットエヴァーガーデン」のイラスト背景みると印象派風な手描き感あふれる崩し方で魅力的だった。
蟲師の背景もデジタルでもあったかさを感じるし。
そこで気になるのがやはり、シュールレアリズムのオートマティズム(自動手記)と外情報。
オートマティズムは予期せぬよい描写は無意識下にあるとした描法でその後の抽象表現主義やポロックに代表されるドリッピングなどがわかりやすいかも。
なんとなく授業中にノートに描いた落書きが気持ち表していたり。
僕は「外情報」に捉われていて、
例えばペン画のえんぴつ下がきにはたくさんの迷い線や跡があるけれどペン入れして整理して消しゴムかけた途端に、「なんかよい部分もなくなってしまった」と感じる感覚。本当に必要な情報は消してしまった迷い線にもあった、とか。
だから、本来ならドローイングやクロッキーで作品を出したいのかもしれない。
クロッキー好きだったのはカタチ取りも楽しかったし、無駄な線も好きだったから。
だからアニメの設定画やラフ画が好きだったりする。
だからいつも下絵を描くともうこれで完成してるとも思ってしまう。
好きなまんがにまつわる昔話をしようとしてたのに、若い世代の表現に違和感を感じるあたりはもうよい年だなとも思うし、それがなんでか?まで書くつもりはなかったけど、再確認になった。
いつだって自分が過ごした多感な時期を肯定したがるものだ。
学生時代、シベリア抑留体験のある教授の講評会があったけど、温度差はかなり開いてた。
怒られるだけ。命かけて描けみたいな。
そんな悪魔の契約みたいな制作はごめんだ、でもありったけの気持ちと魂込めて今できる限りの技術で描きたいという気持ちは未だにある。そういう解釈。
というか、制作後のぐったり疲れが物語ってる。
日本では。箸にも棒にもひっかからない絵ばっかり描いているけど、たぶん自分発信で描きたいもの描いてるってとこに気付きたどり着き、まだ研鑽していることは良くなったんだな、と思う。
以上、独白終わり。笑


