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Shigeru Eguchi 'Still a long way to go'

アートや制作や活動のあれこれをお知らせいたします( ´ ▽ ` )ノ

最近は、ご自宅に飾られる絵のオーダーを制作しています。

 

またまとめて今年納品した絵については語ります。

 

 

今回は「象」が好きなお客様で、いただいたイメージ資料もインド文様あしらった象!

 

わたしが20年前にハマっていたインド文様やアジアンテイスト、そのときは水彩や絵馬にアクリルで木に描いたりしてました。

いわゆるリアル野生のインド象は裸なのでグレーでなんにも装飾されてません。

インド近隣の信仰や文化が儀礼の時に着飾らせたりしたのかなと思います。

 

20代の時は世界中の気になるプリミティブなものフォークロアなものを吸収してる時期でした。

 

東京都下育ちの私は土地ならではの言葉も文化も歴史もない場所で育ったので、ルーツがないことはアイデンティティの欠如だとコンプレックスに感じていました。

 

たくさんの国の絵や詩や歌や儀礼などを探っていくと結局ルーツはほぼ変わらなくて、生活のために作り上げた文化や処世の術などは地域的な差異がある程度なんだな、とあらためて思います。

 

タイ仏教の僧侶の方に

「タイの寺院のように毎週皆が集まれる場所が身近にあるとよいのですが…」と話すと

「仏道や仏性は在野や人にもあるもので、場所だけではないですよ」と伺った。

俗世間に身を置くこともそのものが仏性に気づく修行なのだな、と思ったものでした。

 

そうして20代で日本人のルーツを探るべく、沖縄や、小笠原、オーストラリア近隣の島に行ったりして日本人のルーツは北と中国大陸だけからでなく、南方から、方々から船でたくさんやってきてる、単一民族でない多民族な国なんだと気づき、かつルーツを探ったり人そのものが得たい、残したいものは何世代の人の手によって普遍性をまとい今ここにあるのだ、と感じるようになりました。

 

だから私がインド象、インド素朴絵画という民間信仰などもとにした絵画を描くこと、興味をもつことは自然で、かつ各世界の文様には何かしら同じ感覚の共通点があって日本の文様として描いてた気がします。

 

そのとき象の注文なんて受けられなかったから、その時代は終わったと思っていましたが、私が考えた人間の普遍性の系譜の一部は象を描く注文というカタチで時を越えてもう一度邂逅させてくれるものでした。

 

古い過去の記憶や描いた経験をたどるだけかと思いきや、今再び文様に注目しています。

既存のものも見ますが、自分の中から湧き出るカタチの羅列、幾何学的に整理されること、抽象的でも合理的でもある有機的で無機的で双方の性質をもつもの。

 

かわいい人間を描いていてもその佇まいだけでは何か足らない。内面を見える形に、と蝶や花をあしらってみても当たり前過ぎて、普通にそつなく見えてしまうし……と思ったところに具体的な生き物のカタチでなく気持ちを表せるものといったら、気持ちのままにマルサンカクシカクなど、リズム刻むように画面に散りばめる作業がほんとに内側から紡いでる作業になりました。

 

これは17歳のころの予備校のデッサンでも経験してたことでした。

 

自分の言葉、リズムを刻む作業。

 

象の注文の話から逸れましたが、ラフ画を制作する過程で参考にした図案のような象や木々のカタチに触れることは今頃感じてる表現手法にイエスと同意を得られたと勝手に思っています。

 

ネイティブアメリカンは、何かを決めたとき何か物音がすると、それを賛成している精霊のサインだと受け取ったようです。

 

スピリチュアルはあるものを受け入れること以外はしちゃいけない、できないから。

 

スピリチュアルは人為的にどうこうできるものでなく結果が出る過程を見守るものとおもっているので、自分以外の人以外の力が自分に働くということはまったく信じていません。

 

とまたその話は後日。

 

正しいとき、正しい場所、

インディオの言葉の引用するなら、今はそういう時期かな、と思います。