友人と話をして、イラスト業界は技術を解放して多くを並列化して皆同じ絵が描けるようになってることはどうなんだろね?と。
絵の個性ってのはイコール技術でもあったから技は皆探ったり開発したりも個性の育て方だったよね?と。
YouTubeではカバー曲をどれだけ上手く弾けたか、アレンジフレーズ入れたか?という価値観で人気が伸びる。
友人と話をして、イラスト業界は技術を解放して多くを並列化して皆同じ絵が描けるようになってることはどうなんだろね?と。
絵の個性ってのはイコール技術でもあったから技は皆探ったり開発したりも個性の育て方だったよね?と。
YouTubeではカバー曲をどれだけ上手く弾けたか、アレンジフレーズ入れたか?という価値観で人気が伸びる。
もはやオリジナルというものの価値も著作権などというあいまいなものの付き合い方も若い世代の方がわかっているかもなあと思う次第です。
例えばスケボー競技だ。同じ技の組み合わせやコース取りでわずかに差が出る、評価はそれが成功したか。
それプラス魅力的に成功したか?という感じかな?
みんな一緒または普通がいいという幻想の方が現実めいてきていて、「みんなと違う」病は未だに個性尊重の教育現場と相反や解離をしていて個性は周りの人やシステムと違うから多くの人が困る状況に成り下がっている気が。
多様性はほんとに多様化してるのか?
今まであったものに免罪符を配るだけのような。
しかし今の世代がみんな一緒の絵柄のクリエイターの道を選んでることは驚きだ。
養老孟司いうには、個性なんてのは農耕社会では必要なくて、文明開化からいい始めたことだと。みんな同じ田んぼ耕すのに個性いらないもの。同じやり方や決まりで回る社会だもの。
と言葉をよるいじくり回すと眠たくなる。
こういう未来は想定してなかったことばかりが起きる。
こうなってほしくなかった方に絵画やクリエイティブも変わっていく。
しかし今一度自分が過ごした、信じた世代の価値観を世に出して問うてみたい。
そろそろ私の絵も良い煮詰まり方をしていてる。凡人でも澱を重ねていけば飲める酒にはなるようだ。
「チ。」という漫画のセリフで敵味方になってた間柄でも15世紀という時代を一緒に生き作り上げたのだといっていた。現代でも同じことが言えるだろう。