病み上がりの布団の中からこんばんは | Shigeru Eguchi 'Still a long way to go'

Shigeru Eguchi 'Still a long way to go'

アートや制作や活動のあれこれをお知らせいたします( ´ ▽ ` )ノ

絵を描くとき、資料をもとにときめいたものをエスキースで描きながらキュンキュンくるものをちりばめたり構成して作品像を作ります。
ビジュアルで直感で今自分らしく自分が必要としているものを優先します。


大学のあたりから、コンセプト説明、プレゼン力がデザイン科だけでなくファインアートの中でも必須になってきてました。大学のカリキュラムには結局盛り込まれずに卒業してからギャラリーや展示、提出経歴と併せていろいろと探りました。

絵を描く人の中でも論理的にAだからBでCになる、と計画的に制作をするひともいますが、絵描きの多くは絵のイメージが直感的にビジュアルで浮かんだり、描きながら考える人が多かったのではないか?と感じます。

私の場合は理由を先に考えて工程を決めるともうイメージ内で終わってるので萎えてしまう。

ある程度下絵や色の計画は立てつつ、途中の意図しないギフトがないと調味料なしの料理みたいな気がして。
またイメージ優先の作品たちを数年後にまとめて観て自分が理解することを繰り返して、大きく広い範囲で作品を肯定する自分なりの制作理由をコツコツ言葉を紡いでstatementにしているけれど、ギャラリストやディレクターにはそれでも「後付け」とも言われるがその通りだったりするので否定もしません。

理由やコンセプト文が立派なら作品見なくていいじゃん?とか未だに思ったりしてます。

YOASOBIの歌が流れてきていいじゃん!と思ったときには、彼らがどう言う想いで小説を歌にするといったことは知らない。
後で興味を持ってそれを読む。それはおまけというか後の楽しみみたいであったほうがよいな、と思います。

作品について訊かれたら面白い話をしてあげたいね。^ - ^


関係ないですが、snsやってるとIT系の集客、仕事探し、集め、システムコンテンツの広告がほんとに多い。

作ったものを流通させる潤滑油的商売かしら?と。

狂ったようにIT広告情報が入ってきますが、私の展示や制作も細かいことが頭のキャパ超えると「細かいことはええんじゃ!飾る作品がちゃんと納得いく形で制作できて展示できればええんじゃ!」

と強制シャットアウトになります。


なんの仕事かわからないサービスや肩書きの名前、ハンドルネームか名前なのかわからないアーティスト名みるたび、だから君は誰なの?なんで本名を出さないのだろう?といつも疑問です。

ペンネームくらいはよいのですが、何人?未来人?みたいなのは本名やペンネーム、芸名と同じなのかな?本名って一番嬉しくない?と思ったりします。


先の言葉の文と同じで、あんまり変わったことや細分化しすぎると他人に真意が伝わりにくいんだなと体感します。


複雑な画面楽しめるけど内容はシンプル、簡潔な言葉だけど広がりがある、なんてのを理想としていたい。


とかくすぐ自分ではなく他人の意見や評価に意識を奪われる私は、自分の気持ちとやりたいことを最優先に迷っても戻れるようにしたいな、と思っています。


と夜中に言葉を転がして頭の整理です。

ただの言葉のデトックスです。(⌒-⌒; )