上の2枚の写真は「FUCHSIA ホクシア」です
かえすがえす思うに、日本の原発の多くをを海岸近くにつくったのは「オロカだった」、「なぜ津波のことを考えなかったのだろう」、そんなことをたびたび思い起こします。 三陸海岸付近に住む人たちは、地震イコール津波ということで、毎年避難訓練をしていたと聞きました。 「津波は地震より恐い」ということも日本では常識となったでしょう。
首都直下地震も想定を変更し、話題となっています。
原発政策に関しては、日本の歴代の指導者の無責任さをあらためて感じ
させられ、がっかりしています。車の止め方を知らずに車を運転していたような原子力発電、技術者はわかっていたはずなのに、後先のことを考えないで進めてきた指導者たち、福島の人たちにどれだけ謝っても許してもらえないだろう。