自信をつけたい、その一心で物事に取り組んだ結果、僕の心は僕を否定するもの、認めないものを拒否した。


否定されることが相対的に減り、褒められる、認められることこそが自身の存在証明になっていたからだった。


過信だった。


ある時気づいた。褒められているのではない、認められているのではない。


おだてられているのだと。それに喜んでいるのだと。


気づいた時にはもう手遅れだった。僕はきっと嫌われ者だっただろう。しかしそれに気づいていなかった。裸の王様だったのだ。


作り上げていった人間関係は一時壊れた。僕はまたゼロから人とのつながりをつくらなければいけなかった。そこから立ち直り、自分をもう一度作り直すためにはまだ数年の期間を要した。


僕が自信と思っていたこと、それは過信だった。


なぜか。当時の僕は他者の評価を軸に行動していた。なぜなら、他者の評価こそが自信につながると信じ込んでいたから。だから認められるような行動しかしていなかったし、認められるような人としか人間関係を作ろうとしなかった。


否定されることを極度に恐れていたのだ。


賞賛は周りによってされるもので、自分自身が操作するものではないということがわかっていなかった。だから当時の僕は、自分は認められるに値する行動をした、結果を残したとしか考えていなかった。周りに認めて「いただいた」という気持ちはゼロであった。


感謝の気持ちがなかった。