最近日本では起業ブームだ。
テレビでは会社に勤めるよりも起業するように勧める評論家が以前より、多くなってきた。
以前は、起業はリスクで簡単に出来ることではないからと否定的なことがよく言われていた気がする。
今は起業こそ正義かのように語られている。
ところで起業とはそもそもなんなのか?
起業とは、要は商売を始めるための組織を作り経営していくことだ。
ここで一考察したいのが「起業はアイディアであとは人が勝手に付いてくることの真偽」である。
ここでタイトルにもあるようにドラえもんのキャラクターで起業に関する上記の真偽を考えてみようと思う。
そうするとそれは間違いだとわかる。
もしのび太が良いアイディアを思い付いたらジャイアンを社員に働かしてのび太はその起業のオーナーになれるのか?
と考えれば良い。
その答えは簡単。
のび太はなれない。
理由は、起業のアイデアを提案したらジャイアンに「なんで俺がお前の言う通り働いてしかもお前から給料を貰わなきゃなんなぇんだ」と怒られるからだ。
それどころか、そのアイデアをジャイアンが横取りして、のび太を働かそうとするだろう。
そして、ジャイアンオーナーでのび太が恐らく指図されながらせっせと仕事をこなして行くだろう。
ここでいいたいことは、起業で生じる会社の中の社員と社長の関係は見えなかった上下関係を可視化しただけの組織なのだ。
のび太が立場が上の存在のジャイアンを部下のようにして働かすことは出来ないだろう。
そして、起業に向くのは強面なジャイアンタイプやまわりに一目置かれている出木杉君タイプだ。
起業とは単なるお金儲けの仕組み作りだけでなく、強弱はっきりした人間関係のもとに生み出される。
テレビのコメンテーターがよく
「最近の円安で輸出が伸びて良いですね。」
と言っているのを聞く。
海外と取り引きを行ってない普通の日本人には「円安が良い」ということの意味があまりピントこないかもしれない。
むしろ長期的には円安なんて良くないと思える。
確かに円安は長期的には良くないことだ。
例えば、日本人の資産としての円が安くなれば海外のブランドものの商品や食材、石油なども買い辛くなる。
しかし、短期的に見れば輸出産業にとって円安は本当に良いことなのだ。
(ただし、輸入産業には円安はよくないが・・・)
トヨタなどの輸出産業は円安で車が安く売れる一方で、ドルで得た利益をすぐに日本円に変えると円安の影響で利益も上がる。
利益が上がるとはその瞬間に輸出企業はお金を比較的多く手に入れるということを意味する。
そしてそれは輸出する側にとって良いことだ。
まあここまでは当たり前の話だ。
ここで矛盾なことが生じるが、長期的に円安になり続けるとしまいには外国の製品を何も買えなくなる。(笑)
だから円安が極端になりすぎることは良くない。
健康と同じで何事もバランスが大切だ。
そういうわけで、一定の安定した為替レートを保っているときに限り円安にやや傾くことは輸出産業によいことだ。
「最近の円安で輸出が伸びて良いですね。」
と言っているのを聞く。
海外と取り引きを行ってない普通の日本人には「円安が良い」ということの意味があまりピントこないかもしれない。
むしろ長期的には円安なんて良くないと思える。
確かに円安は長期的には良くないことだ。
例えば、日本人の資産としての円が安くなれば海外のブランドものの商品や食材、石油なども買い辛くなる。
しかし、短期的に見れば輸出産業にとって円安は本当に良いことなのだ。
(ただし、輸入産業には円安はよくないが・・・)
トヨタなどの輸出産業は円安で車が安く売れる一方で、ドルで得た利益をすぐに日本円に変えると円安の影響で利益も上がる。
利益が上がるとはその瞬間に輸出企業はお金を比較的多く手に入れるということを意味する。
そしてそれは輸出する側にとって良いことだ。
まあここまでは当たり前の話だ。
ここで矛盾なことが生じるが、長期的に円安になり続けるとしまいには外国の製品を何も買えなくなる。(笑)
だから円安が極端になりすぎることは良くない。
健康と同じで何事もバランスが大切だ。
そういうわけで、一定の安定した為替レートを保っているときに限り円安にやや傾くことは輸出産業によいことだ。
なぜか私たちは、納豆は早めに食べないといけないと思いつつ、お金は早めに使おうとは思わない。
ではお金は機能的に腐らないのか?
実はわずかにでも毎日お金の価値は以前より下がっている。
毎日新しいお金が日本銀行で作られ出回るからだ。
だから、お金はその瞬間に価値を交換するのが一番効率が良い。
お金とは何のためにあるのか?
単純に価値あること・ものと交換するためだ。
では、一番間違いなく使うべきタイミングはいつか?
もちろん、貯金してその後使うことも一つの選択だが、インフレなどで長期的には下がる可能性がある。
30年後の1万円が今の5000円の価値のものしか買えなる可能性もある。
そう考えると、使うべきものがあるならすぐにお金を使うことが一番その価値を保存しやすいといえる。
つまり、そもそも貨幣とは長期的には上がるか?下がるか?と予想して一喜一憂するためのものではないということだ。
貨幣は今価値があるということを保証しているに過ぎない。
つまり、もう古いが、
お金をいつ使うか?今でしょ!
なのかもしれない。
ではお金は機能的に腐らないのか?
実はわずかにでも毎日お金の価値は以前より下がっている。
毎日新しいお金が日本銀行で作られ出回るからだ。
だから、お金はその瞬間に価値を交換するのが一番効率が良い。
お金とは何のためにあるのか?
単純に価値あること・ものと交換するためだ。
では、一番間違いなく使うべきタイミングはいつか?
もちろん、貯金してその後使うことも一つの選択だが、インフレなどで長期的には下がる可能性がある。
30年後の1万円が今の5000円の価値のものしか買えなる可能性もある。
そう考えると、使うべきものがあるならすぐにお金を使うことが一番その価値を保存しやすいといえる。
つまり、そもそも貨幣とは長期的には上がるか?下がるか?と予想して一喜一憂するためのものではないということだ。
貨幣は今価値があるということを保証しているに過ぎない。
つまり、もう古いが、
お金をいつ使うか?今でしょ!
なのかもしれない。
最近ますます、アウトソーシングという言葉が広く知られるようになっています。
アウトソーシングとはつまり外注で中国やインド、フィリピンなどがよくその外注先として聞かれます。
現地の人は、なんであれ仕事を経てお金を得ることは非常に良いことだと思っています。
一方、日本など外注している国の経営者にとって自国より安い労働力で働いてくれる労働者は経営の助けになります。
つまり、両者WINWINの関係が成り立ちます。
しかし、考えてみると仕事は同じで支払うべき給料が安い発展途上国などの外注先の人々は、先進国などの外注を行っている国から搾取されているのでしょうか?
私はそうは思いません。
外注を受けることで、現地の労働者は外貨を得、それを自国通貨に変えてものを買うことができます。
そうして得た自国通貨の価値は、その国の現地の産業で稼いでいる人たちよりも幾分多いと考えられます。
(よく日本でも外資系の企業は給料良いという話を聞きます。)
ということは、比較的多くの賃金を稼いでいることで、他の人より相対的に多くのことができるようになるということです。
もちろん先進国の人が現地で生活すると、為替の関係で現地の人の何倍も豊かな生活が出来ます。
しかし、物質面で豊かでも現地人より文化、人脈など様々な面で苦労する
ためそのお金を有意義に使いにくいでしょう。
たとえばもし、日本で時給800円の人ばかりだったとき時給1200円の人が一人だけいたならばたった400円の違いですがその違いがものすごく価値があるようになるでしょう。
仮にその時の為替ルートで換算してアメリカ人の労働者すべてが時給2000円だったとしてもです。
貨幣の価値は為替ルートだけで換算してもあまり意味がないでしょう。
相対的に自国に住む他の人より多いか少ないかが問題です。
もちろん長期的には自国の通貨が高い方がいいですが、
その国の産業競争力が低い場合には仕方がないのかもしれません。
だから、発展途上国に外注などを行って他国に
仕事を与えることはお互いにメリットがあることです。
ブログを見て頂き、ありがとうございました。
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アウトソーシングとはつまり外注で中国やインド、フィリピンなどがよくその外注先として聞かれます。
現地の人は、なんであれ仕事を経てお金を得ることは非常に良いことだと思っています。
一方、日本など外注している国の経営者にとって自国より安い労働力で働いてくれる労働者は経営の助けになります。
つまり、両者WINWINの関係が成り立ちます。
しかし、考えてみると仕事は同じで支払うべき給料が安い発展途上国などの外注先の人々は、先進国などの外注を行っている国から搾取されているのでしょうか?
私はそうは思いません。
外注を受けることで、現地の労働者は外貨を得、それを自国通貨に変えてものを買うことができます。
そうして得た自国通貨の価値は、その国の現地の産業で稼いでいる人たちよりも幾分多いと考えられます。
(よく日本でも外資系の企業は給料良いという話を聞きます。)
ということは、比較的多くの賃金を稼いでいることで、他の人より相対的に多くのことができるようになるということです。
もちろん先進国の人が現地で生活すると、為替の関係で現地の人の何倍も豊かな生活が出来ます。
しかし、物質面で豊かでも現地人より文化、人脈など様々な面で苦労する
ためそのお金を有意義に使いにくいでしょう。
たとえばもし、日本で時給800円の人ばかりだったとき時給1200円の人が一人だけいたならばたった400円の違いですがその違いがものすごく価値があるようになるでしょう。
仮にその時の為替ルートで換算してアメリカ人の労働者すべてが時給2000円だったとしてもです。
貨幣の価値は為替ルートだけで換算してもあまり意味がないでしょう。
相対的に自国に住む他の人より多いか少ないかが問題です。
もちろん長期的には自国の通貨が高い方がいいですが、
その国の産業競争力が低い場合には仕方がないのかもしれません。
だから、発展途上国に外注などを行って他国に
仕事を与えることはお互いにメリットがあることです。
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大方のニュースは、
非常に珍しいこと
社会の変化
自然や気候の変化
新しい試み
そして、読んでいる人が共感して、感情を揺さぶられるようなこと、
例えば
誰かが困っていること
誰かが怒っていること
誰かが喜んでいること
誰かが悲しんでいること
誰かが寂しんでいること
誰かが苦しんでいる
まあ、その誰かは有名人の方が多いですが・・・
を取り上げている
あとは
自己啓発的な
こうすればうまく行く
こうすれば失敗しない
こうすれば持てる
こうすれば喜ばれる
こうすればお金持ちになれる
こうすればもっとあることを楽しめる
知識欲を満たす新たな発見やトリビア
逆に言えば、みんなこういうことに興味がある。
だからこういうことをプログやツィターで呟けばアクセスは集まる。
因みにこの記事は、こうすればうまく行く系の投稿です。笑
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このブログを見てくれて有難うございました。
英語を我が国の公用語にすべきです。
確かに言葉はその国に一体感をもたらし、日本民族という一つの共同体意識を生むことが出来ます。
ある人は、日常で外国の言葉を使うことは外国に支配されることだと考える人もいます。
では、今後も母国語を守っていくべきなのでしょうか?
私はそうは思いません。
考えてみると日本語とはなんでしょうか?おそらく標準の日本語だといえます。つまり東京弁です。
日本には多くの方言があるのですが、ビジネスなどの公式の文書では標準語を使います。
言葉を統一した方が誤解がなく便利だからです。
方言でなく東京弁というのを使用することで、地方の人は東京に言葉を奪われ支配されていると考えるでしょうか?
おそらくいても少数でしょう。
言葉を維持するよりも、コミュニケーションを便利で円滑にする方がよいと思っているからです。
英語を公用語にするということも同じことです。
英語を共通語として、日本人も使うようになると、外国人とビジネスなども今よりさらに出来るようになるでしょう。
外国人との言葉によって生じる誤解や壁もなくなり、より相互理解を生むでしょう。
これらの有益な未来を考えると、言葉を保持し守っていくことの時代錯誤が鮮明になってきます。
世界中の人がお互いを真に理解し合うには共通の言葉を持つことが非常に大切だと考えます。
日本も英語を公用語としてさらに活用することが今望まれます。
確かに言葉はその国に一体感をもたらし、日本民族という一つの共同体意識を生むことが出来ます。
ある人は、日常で外国の言葉を使うことは外国に支配されることだと考える人もいます。
では、今後も母国語を守っていくべきなのでしょうか?
私はそうは思いません。
考えてみると日本語とはなんでしょうか?おそらく標準の日本語だといえます。つまり東京弁です。
日本には多くの方言があるのですが、ビジネスなどの公式の文書では標準語を使います。
言葉を統一した方が誤解がなく便利だからです。
方言でなく東京弁というのを使用することで、地方の人は東京に言葉を奪われ支配されていると考えるでしょうか?
おそらくいても少数でしょう。
言葉を維持するよりも、コミュニケーションを便利で円滑にする方がよいと思っているからです。
英語を公用語にするということも同じことです。
英語を共通語として、日本人も使うようになると、外国人とビジネスなども今よりさらに出来るようになるでしょう。
外国人との言葉によって生じる誤解や壁もなくなり、より相互理解を生むでしょう。
これらの有益な未来を考えると、言葉を保持し守っていくことの時代錯誤が鮮明になってきます。
世界中の人がお互いを真に理解し合うには共通の言葉を持つことが非常に大切だと考えます。
日本も英語を公用語としてさらに活用することが今望まれます。
競争力はかつてほどではなくなっていると思います。
その理由の1つに他国の経済発展が著しくなっているからです。
たとえば、中国・韓国・台湾などは、日本と並ぶほどの経済発展を遂げています。
とくに韓国のサムスンは、スマートフォンなどの最先端な分野でギャラクシーなどの製品を生産し、欧米などの先進国から高い評価を得ています。
本来日本が強い分野であるはずのこういった分野で、日本が今一つ存在感を表せていないのは象徴的です。
2つ目の理由は、日本には思い切った新しいことをしようとするリーダーが少なく、
その結果従来のままの発想で企業を経営するようになってしまい、活力がなくなっています。
一方で、1960年代の日本では、幸か不幸か戦後の経済の崩壊が古いものを淘汰させることにつながり、新しい発想が容易に受け入れられたことが、高度経済成長をもたらしたのでしょう。
そういうわけで日本は以前に比べ他国に対する競争力は低下しています。
日本をよくするためには、国民一人一人が問題に対して自らの考えを持ち、それを自由に議論し合えるように相互理解を深めることが非常に大切になってくると思います。
自由に意見を言い合えるようになることが、優れたアイディアを生み、優れた企業を生むことに繋がるからです。
その理由の1つに他国の経済発展が著しくなっているからです。
たとえば、中国・韓国・台湾などは、日本と並ぶほどの経済発展を遂げています。
とくに韓国のサムスンは、スマートフォンなどの最先端な分野でギャラクシーなどの製品を生産し、欧米などの先進国から高い評価を得ています。
本来日本が強い分野であるはずのこういった分野で、日本が今一つ存在感を表せていないのは象徴的です。
2つ目の理由は、日本には思い切った新しいことをしようとするリーダーが少なく、
その結果従来のままの発想で企業を経営するようになってしまい、活力がなくなっています。
一方で、1960年代の日本では、幸か不幸か戦後の経済の崩壊が古いものを淘汰させることにつながり、新しい発想が容易に受け入れられたことが、高度経済成長をもたらしたのでしょう。
そういうわけで日本は以前に比べ他国に対する競争力は低下しています。
日本をよくするためには、国民一人一人が問題に対して自らの考えを持ち、それを自由に議論し合えるように相互理解を深めることが非常に大切になってくると思います。
自由に意見を言い合えるようになることが、優れたアイディアを生み、優れた企業を生むことに繋がるからです。
良くしたと思います。
特にインターネットによって以前では考えられないような方法で、人々は学ぶことが出来るようになりました。
たとえば今ではYOUTUBEで学びたい事柄を検索すると、どこに居てもすぐにそのことについて解説した動画を見ることが出来ます。
化学について検索すると、実験などを交えた映像をいつでも見ることが出来ます。
また、有料で予備校などの講義動画を提供している学校もあります。
インターネット以前の学習スタイルは、主に教室の中で行われるものがほとんどで、教える側も学ぶ側も同じ場所という物理的制限の中で縛られていました。
このように今はテクノロジーによって学ぶ方法が場所や時間に縛られず便利になり、教育は非常に良くなったと思います。
特にインターネットによって以前では考えられないような方法で、人々は学ぶことが出来るようになりました。
たとえば今ではYOUTUBEで学びたい事柄を検索すると、どこに居てもすぐにそのことについて解説した動画を見ることが出来ます。
化学について検索すると、実験などを交えた映像をいつでも見ることが出来ます。
また、有料で予備校などの講義動画を提供している学校もあります。
インターネット以前の学習スタイルは、主に教室の中で行われるものがほとんどで、教える側も学ぶ側も同じ場所という物理的制限の中で縛られていました。
このように今はテクノロジーによって学ぶ方法が場所や時間に縛られず便利になり、教育は非常に良くなったと思います。
宇宙開発より、地球で今貧困などで苦しんでいる人を救った方がよいのでしょうか?
私はそうは思いません。
確かに宇宙などのようにほとんど今生きている人にとって関係のない方に目を向けるより、現在の目の前にある問題を対処していくべきだという考え方には一つの理があるように思えます。
しかし、目の前にある問題だけを扱っていると、問題解決のための視野が狭まったりすることもあります。
確かに宇宙開発を進めることによって、現実の私たちの社会をよくすることにすぐにはならないでしょう。
しかし、長い期間での人類の発展を考えてみると、宇宙を探求することが大きな科学技術の発展を生み出し、社会を大きく変えることもありえます。
そして、その科学技術により、大量の食料を安く生産できることになるかもしれません。
だから、すべての税金などの資金を社会福祉などに使うより、宇宙開発にもある程度の予算をかけることは悪いことではないです。
私はそうは思いません。
確かに宇宙などのようにほとんど今生きている人にとって関係のない方に目を向けるより、現在の目の前にある問題を対処していくべきだという考え方には一つの理があるように思えます。
しかし、目の前にある問題だけを扱っていると、問題解決のための視野が狭まったりすることもあります。
確かに宇宙開発を進めることによって、現実の私たちの社会をよくすることにすぐにはならないでしょう。
しかし、長い期間での人類の発展を考えてみると、宇宙を探求することが大きな科学技術の発展を生み出し、社会を大きく変えることもありえます。
そして、その科学技術により、大量の食料を安く生産できることになるかもしれません。
だから、すべての税金などの資金を社会福祉などに使うより、宇宙開発にもある程度の予算をかけることは悪いことではないです。
出来ないと思います。
伝えることは、主観を入れざるを得ないです。
例えば、昨日私が電車に乗っていたら汚いカッコのおじさんがブツブツ一人で喋っていた、と私が誰かに伝えた場合を考えてみます。
この場合のおじさんは誰かから観ると
おじいさんと感じるかもしれません。
汚いカッコと言うのも、非常に貧しい地域に住んでいた人から観たら、
普通以上に綺麗でオシャレかもしれません。
真に客観的に出来事を伝えることは、人間の人生経験などから生じる見方や観点の違いから、不可能です。
伝えることは、主観を入れざるを得ないです。
例えば、昨日私が電車に乗っていたら汚いカッコのおじさんがブツブツ一人で喋っていた、と私が誰かに伝えた場合を考えてみます。
この場合のおじさんは誰かから観ると
おじいさんと感じるかもしれません。
汚いカッコと言うのも、非常に貧しい地域に住んでいた人から観たら、
普通以上に綺麗でオシャレかもしれません。
真に客観的に出来事を伝えることは、人間の人生経験などから生じる見方や観点の違いから、不可能です。