過去に英語を日本の公用語にすることが総合的にメリットになると書きました。(その時のブログは
こちら)
しかし、確かに日本語を守ることの大切さもあります。
日本語は日本人の長年の知恵から作り出された言語であり、現在も膨大な数の情報やコミュニケーションのやりとりが日本語のまま英語に翻訳されずにこの世の中で積み上げられています。
日本語から、爆笑問題やダウンタウンなどのお笑いやスピッツ、AKB48やセカイノオワリなどのバンドの歌詞は生み出されています。
英語で翻訳されたとしてもそれは違うものになってしまいます。なぜなら言葉は音声と切っても切り離せないからです。
また、仮に英語公用語化が進んで100年後にもし英語しか話せない日本人しかいなくなったなら、私たちの子孫がこうした作品を理解し、そこから学ぶことができなくなるのは非常に残念なことです。
しかし、一番世界で認知されている英語を通して世界の人が一つになるということの素晴らしさは計り知れないでしょう。
ではどう折り合いをつけて言語を考えていけばよいのでしょうか?
そこで日本語をもう少しコミュニケーションの用途以外の側面で見てみることが良いです。
コミュニケーションの手段ではない日本語はある意味伝統芸能です。相撲、茶道、三味線、和食、とともに位置付けされるべきものです。
これら伝統文化は何のために今もあるのでしょうか?
伝統文化に限らず、文化は人生を豊かにしてくれます。日本語があるから日本という場所で生きてきた先人たちの知恵や物語を知り学べます。
相撲があるから公平に人と力比べできます。茶道があるから、楽しく人とお茶を味わうことができます。
三味線があるから気持ちいい音楽を弾いたり、聴けたりできます。和食があるから、日本で取れる食材を簡単に美味しく食べれます。
これらがなかったら娯楽は、西洋からもらったものだけになっていたでしょう。
だから、伝統文化は先人たちのわれわれ子孫への偉大な贈り物です。
相撲、茶道、三味線、和食、日本語は、誕生して数百いや数千年以上で、その年月にもかかわらず今も行われているということは、歳月によってルールや作法、合理性が洗練されているはずです。つまり多くの人の知恵と調和から作り出された宝石です。
西欧の文化、例えばサッカー、コーヒー、ギター、洋食、英語といったことに目を奪われて、
こういった日本人の知恵の集大成として洗練されたものをなおざりにすることは非常にもったいないことです。
そうして考えてみると、日本語をなくすことは多くの先人たちの知恵を捨てることにつながります。
だから、英語を日本の公用語にしつつ日本語も話せる日本人が一番私たちの目指すべき姿です。
幸い昨今の英語教材は過去に比べてわかりやすく短時間で効率よく学べるものになってきているので、
将来、2言語を身に着けることが今よりもずっと楽になるはずです。
そのときには英語、日本語を両方話せるバイリンガルが日本人のスタンダードに成るべきだし、なるでしょう。
ブログを見てくれてありがとうございました。