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RRKKRのブログ

話題はさまざまで、音楽、時事問題、健康、英語、読書、食べ物などです。

今日は朝から気持ちが良い。

それは何故か?


実は道路を朝食を買いに道路を歩いていると、道路の真ん中に手付かず封筒が置いてあったからだ。


誰も通行人のいない状態だったので、その封筒を拾い中身を見てみた。

その中にはなんと100万円札の束がたくさんあるではないか。

それを一つ二つと数える。なんと7束もあった。
700万円だ。


それにしてもなぜここに置きっぱなしにされているのか?


今流行りの、山口組分裂騒動でヤクザが忘れて行ったのかもしれない。



中身を見てしまった以上、自分も身に危険が及ぶのではと考え、その封筒を持って走って自宅に戻った。

道中、誰かに追われているような気配もなかった。


自宅に戻るとすぐに、紅茶とクッキーをほうばり、このお金をどうするか、ネットをしながら考えた。


続く。




※この話はフィクションです。w
動物園の良いところと悪いところを前回に引き続き考えてみます。



動物園の良いところは、普段は野良犬や野良猫、鳩などにあまり関心を持たない日々の私たちに動物の愛おしさ、素晴らしさを感じさせてくれます。




そして、他の生き物も私たちと共に一生懸命この世を生きていることに目を向け、大切にしようと思えます。



他の生き物を尊重する社会は、引いては人間社会にも良い影響をもたらします。



例えば、困っている人を見かけたら助けようと思う気持ちもさらに高まり、出来るだけ迷惑になることはやめようとさらに思います。



あと、動物園はやはり楽しみを与えてくれます。



イルカのダイナミックなジャンプをみたり、猿たちのアクロバティックな動きなどをみると生命のたくましさを感じさせてもらえます。



また、私たちにたいして反応して逃げたり近づいてきたりするリアクションは私たちを童心に返らせワクワクさせます。


これらは志村動物園などの動物番組を観ていても得られない楽しみです。



一方、動物園の悪いところは、私たちを誤解させることです。



結局、動物園は人工的な環境の動物たちが生活しています。




それを見た私たちが、「この動物はこうだ。ああだ。」と判断しがちですが、実際の野生の動物たちの本当の姿は全く違ったものかもしれません。



人間慣れしたキリンを見た人達が、本物の野生のキリンを見たとき、その違いに圧倒されるかもしれません。




動物園は、いわば動物ワールドの入門編です。




それを本物のと誤解して生きていくことは太陽が地球の周りを回っていると考えるくらい愚かなことかもしれません。




だからその誤解を生じさせる動物園は手放しで素晴らしいとは言えません。




全てのことと同じように、動物園には良いところと悪いところはあります。




しかし、動物ワールドを微かにでも日常で体験できる機会がある動物園は、私たちに一つの素晴らしい選択肢を与えてくれています。




有難うございました。

過去に英語を日本の公用語にすることが総合的にメリットになると書きました。(その時のブログはこちら




しかし、確かに日本語を守ることの大切さもあります。




日本語は日本人の長年の知恵から作り出された言語であり、現在も膨大な数の情報やコミュニケーションのやりとりが日本語のまま英語に翻訳されずにこの世の中で積み上げられています。




日本語から、爆笑問題やダウンタウンなどのお笑いやスピッツ、AKB48やセカイノオワリなどのバンドの歌詞は生み出されています。



英語で翻訳されたとしてもそれは違うものになってしまいます。なぜなら言葉は音声と切っても切り離せないからです。



また、仮に英語公用語化が進んで100年後にもし英語しか話せない日本人しかいなくなったなら、私たちの子孫がこうした作品を理解し、そこから学ぶことができなくなるのは非常に残念なことです。




しかし、一番世界で認知されている英語を通して世界の人が一つになるということの素晴らしさは計り知れないでしょう。




ではどう折り合いをつけて言語を考えていけばよいのでしょうか?




そこで日本語をもう少しコミュニケーションの用途以外の側面で見てみることが良いです。



コミュニケーションの手段ではない日本語はある意味伝統芸能です。相撲、茶道、三味線、和食、とともに位置付けされるべきものです。




これら伝統文化は何のために今もあるのでしょうか?



伝統文化に限らず、文化は人生を豊かにしてくれます。日本語があるから日本という場所で生きてきた先人たちの知恵や物語を知り学べます。


相撲があるから公平に人と力比べできます。茶道があるから、楽しく人とお茶を味わうことができます。

三味線があるから気持ちいい音楽を弾いたり、聴けたりできます。和食があるから、日本で取れる食材を簡単に美味しく食べれます。


これらがなかったら娯楽は、西洋からもらったものだけになっていたでしょう。



だから、伝統文化は先人たちのわれわれ子孫への偉大な贈り物です。




相撲、茶道、三味線、和食、日本語は、誕生して数百いや数千年以上で、その年月にもかかわらず今も行われているということは、歳月によってルールや作法、合理性が洗練されているはずです。つまり多くの人の知恵と調和から作り出された宝石です。




西欧の文化、例えばサッカー、コーヒー、ギター、洋食、英語といったことに目を奪われて、
こういった日本人の知恵の集大成として洗練されたものをなおざりにすることは非常にもったいないことです。




そうして考えてみると、日本語をなくすことは多くの先人たちの知恵を捨てることにつながります。




だから、英語を日本の公用語にしつつ日本語も話せる日本人が一番私たちの目指すべき姿です。





幸い昨今の英語教材は過去に比べてわかりやすく短時間で効率よく学べるものになってきているので、

将来、2言語を身に着けることが今よりもずっと楽になるはずです。



そのときには英語、日本語を両方話せるバイリンガルが日本人のスタンダードに成るべきだし、なるでしょう。




ブログを見てくれてありがとうございました。



つい先日、AKB48のメンバー2人が握手会で切りつけられるという痛ましい事件が起きた。

許されない行為だが、関係者の中には「いつかこういうことが起こる」と思っていたようだ。


そこで考えてみたいのがAKB商法と言われる握手券をCDにつける売り方である。

AKB商法でAKBは一体何を売っているのだろうか?



実は、メンバーの好意を売っているのである。



普通はCDは音楽を聴くために買うのだが、AKBなどの握手会付きのCDはもはや音楽が目的ではない。



そして、握手会でその好意を表現してもらえることを恐らくファンは求めている。



ここまではなんの問題もないのだが、AKBのメンバーも人間なので、何百人と握手をするため、疲れや名前を覚えることが出来なかったりでファンの期待に握手会で応えることが出来ないこともあるだろう。


そのとき、ファンの期待は失望に変わり、期待を裏切られたファンは握手の代わりに合気道の技でもかけたくなるのだろう。笑


ましてファンの中には100万円以上も費やして握手に臨むものにとって期待はずれの失望は、ホリエモンさんのように「想定の範囲内です。」となれば良いのだが、実際はそうとはならない。

「○○、バカ野郎!この野郎!」とたけしさんのように切れることに変わることもあり得る。


好意という目に見えない人間の気持ちはロボットのように固定出来ないのに、それを握手券として売ろうとするやり方がそもそも危険をはらんでいる。


だからまさにAKBのメンバーは原発作業員の方々のように、危険と隣り合わせの仕事をしているのである。