鑑定の中でもっとも悩ましいのは
干合の捉え方かもしれません。
干合とは十干の剋の関係を申しまして、
甲と己、丙と辛、戊と癸、庚と乙、壬と丁の
組み合わせがございます。
この組み合わせは、
相剋関係とはなりますが、
陽干から陰干の剋は有情となるため
強い結びつきを起こし、
別の干へと変化を生じさせるのです。
別名、晦気殺(かいきさつ)とも申しまして、
四柱推命の先生方の中には、
特別にこの晦気殺を嫌う方もおられます。
干合には様々な条件がございますが、
私が師匠より学びました干合の理解は、
干合を観る限りは、
何等かの変化が命式に生じる
というものであります。
人命においては性質に変化を与え、
また干合となる通変星からも
その通変星に関連する様々な影響と、
命式全体の干合後の変化を
推しはかるのです。
変化と申しましても、
全く別者になるというものではなく、
家族や友人の前で見せる姿と、
社会や職場等でみせる姿が
多少なりとも違うように、
干合とは、そのような変化であると
お伝え申し上げます。
ここからが本題になりますが、
命運においての干合には流派によって、
また先人の残した文献の中で
多様な説明がなされております。
干合即ち“吉”と捉える場合や、
“注目”や“活躍”の好機との考えがございます。
反対に、前述いたしました通り、
干合は“吉凶混在の時”として、
晦気殺を“忌む”考えもございます。
ですが、
私事を例にとりまして恐縮ですが、
これらはすべて、
命式の如何なる姿によるかで
吉凶は定まるものと思っております。
個人的な体験といたしまして、
干合の大運は、振り返りましても
歯痒い十年間であったように思います。
私の命式ですが、
日干は二柱において通根透干を成し、
月令を得ず、食傷の大過の命式でございます。
このような命式を持つ者にとり、
大運において日干と干合が巡った際、
現象として現れたのは、
日干が別の干へと変化を遂げたことで、
辛うじて通根透干していた
二柱の支とのつながりを失い、
日干は完全に孤立無援の状態となりました。
当時は、ビジネスの拡大に奮闘し、
気力ともに前進力をつけていた時でした。
あくまでも命式上での判断ではございますが、
自身の命式を検証した上で振り返りますと、
精神面に翳りが見られはじめた時期と、
日干と干合する大運が始まった時期とが、
見事に符合しているのでした。
当時は四柱推命を学んでおりませんでしたし、
占術を頼りにすることなど思いつきも
しませんでした。
もしも自身の状態を占術の目線から
知り得ていたら、
事態は変わっていたことと思います。
私にとっての干合現象は、
即決即断にブレーキが掛かり、
慎重さが安定しないため
判断にも常に迷いを生じさせます。
自分であって自分でないような
常に、どこか他人を見ているかのような
錯覚がありました。
少しのことで気持ちの揺らぎを経験し、
思考の不安定さに苛まれた十年間と
なったことを思い返しております。
では干合となれば、誰しもが
このような干合現象が起きるのかと言えば、
必ずしもそうではございません。
これらは私自身の命式における
一例にすぎない出来事でございます。
身旺、身弱に関係なく、
干合により、却って忌神が去ることで
用神が舞い戻り、
運を開かれる方も大勢おられるのです。
このような経験から、
干合の影響というものは、
条件は揃わずとも、
何等かの変化をもたらすのではないかと
そのように思っております。
師匠の教えにおいて、
干合が成立する複雑な条件を
あえて明言されなかったのは、
多くの人々の人生を照らし合わせた上での
師匠なりの干合の理解があったように、
思っております。
あくまでも私の体験談からの話しとなりますが、
干合についての判断につきまして
綴らせていただきました。
もし干合の時期を迎えておられる方がいれば、
“変化の兆し”として、
ご自身の在り方を見つめる機会として
お過ごしいただければ幸いです。
本日もお読みいただき、
ありがとうございました。