四柱推命を学び始めの頃のお話しです。
学ぶ事が多く、途方もない文字量に
挫けそうな私をご覧になって、
「ご自分の命式を看ることです」
「それこそが、一番の勉強法です」と
師匠は軽やかにおっしゃいました。
そのお言葉を受けて、
私は自身の命式と向き合い始めました。
日干を起点に、干支の成り立ちや由来、
通変星、納音、十二運、神殺など、
大運や歳運、引従までを何百通りに細分し、
細かく書き出しました。
そうして、一人の命式だけで、
ノート一冊分を埋め尽くしたものですが、
あれほど熱心に学んだにもかかわらず、
大半は忘れ去ってしまい、
今や当時のノートを懐かしむのみと
なっております。
朝から晩まで四柱推命に
触れていた時期がありました。
“知りたい”という欲求こそが、
人を動かし、夢中にさせるものだと、
自身の体験を通じて感じ入った次第です。
先日、ご縁をいただき、
この世界で長く研鑽を積まれてきた先生に、
私自身の命式を看ていただく機会がございました。
ここでは、「某先生」と申し上げますが、
某先生は、私の命式を「従児格」と
ご判断されたのです。
従児格とは、
身を捨てて、旺ずる五行一神に従う命
と申しまして、日干の力よりも、
旺盛な食傷の気に従う特殊格を指します。
私がこれまで学んできた理論では、
日干を助ける五行が無く、
食傷が月令を得て、八字の中で最も強くなる
命式が従児格に該当します。
比劫や印星が巡ることで格が崩れる、
という考え方もございます。
もっとも、四柱推命には多様な流派があり、
同じ命式であっても見解が大きく
異なってまいります。
通常、私の命式は、「身弱内格」
「傷官格」と判断されることが多く、
喜神は印星であるとされます。
私自身も、「身弱内格」であると、
そのように捉えておりますが、
今回「従児格」という視点をいただいたことで、
これまでの人生の流れを改めて
検証してみたくなりました。
まずは、大運と歳運にて、
人生の流れを照らし合わせてみますと、
大運・財星が巡る10年間に転機が密集しています。
中でも、歳運が印星、洩星となる時に、
必ず大事な決断や出来事が起きているのです。
起業をしたのは、食神三合となる歳運でした。
そして、原因不明の病を患い、
事業を一時休業せざるを得ない状況に陥ったのは、
印星の歳運の時のことです。
そして如実なのは、
大運で天干は官殺、地支に財が巡った時期は、
荒波のような人生となりました。
暗闇の中で、一縷の光に出会ったのは、
大運・財運の終盤の頃であり、
歳運は、食傷の年でありました。
そうして大運の季節が変わり、
比劫の巡りとともに、
ようやく社会復帰への道が開かれていきました。
先に申し上げましたが、
もし私の命式を「身弱内格」と見るならば、
印星は喜神となり、
財星や食傷は忌神とされます。
しかし実際の人生を振り返ると、
私の人生は、印星が巡る時期に大きな
区切りや終焉、離別を経験してきました。
そのような背景があるからこそ、
従児格の判断がなされたのかもしれません。
では「身弱内格」である命式の
喜神である印星の時期に、
必ず人生の転機を迎えるというのは、
どういうことでしょうか。
病気、事業の停滞、精神的苦悩。
世間では、まさに凶と捉えられるような
出来事ばかりが起きるのです。
ですが振り返れば、
それこそが、
求めていた道であったのだと――。
歩んできた道程を前にして思うことは、
苦悩や絶望こそが、命における“印星”の働き
であったのだということです。
望んだ、望まなかったに関わらず、
自身が求めるものに到達するために
必要であった出来事であると、
今にして、明確に捉えることができる
のでございます。
格の話しから逸れた内容になって
しまい恐縮ですが、
歩んだ道に肯定も否定もできるのは、
自身のみほかならないということです。
運命の吉凶というものは、
他人が決めれるものでは
決してないということです。
四柱推命という学びを通して、
運命とは“当てるもの”というより
運命というものをどのように捉えるか、
馴らしていくのか、養うかを問う
学問なのだと感じております。
失敗も成功も、
すべては己の最も欲したものであると、
そう思える時が
誰もの人生に“ある”ということを。
偶然の中の必然性。
それらすべてを網羅したものが
運命学の中にあることを、
上手く語ることができずに恐縮ですが、
今後も綴っていければ幸いです。
本日もありがとうございました。