つづき
シベリウスは全部で7つの交響曲を書きました。
その中でも、もっとも有名でコンサートにかかることが多いのは、第2番ニ長調 op 43 でしょう。
第1番ホ短調 op 39 は、第1楽章のつかみはすごいけれども、少々竜頭蛇尾の傾向があります。
これは仕方がない部分もあって、若い作曲家が成功するためには、まず出だしで聴衆をつかまなければいけない。たとえ曲の後半で素晴らしい音楽を聴かせようと思っても、聴衆が辛抱してくれる保証はない(これがうまくいかなかった作曲家がブルックナーでした)。
第1番で失敗すれば、それ以降の仕事はとてもやりにくくなる。第2番や3番を作っても聴きに来てくれないかもしれない。だから、全力をあげて第1番の第1楽章を盛り上げにかかっています。
したがって、とてもケレン味に満ちた音楽なのですが、私は好きです。
北欧の大自然を前にして、まるで神々に宣戦布告するようなファンファーレ。それをカノン風に処理しながら、繰り返して盛り上げる。大河ドラマやどこぞの RPG のオープニングに使えそうな颯爽として雄大な音楽。考えてみれば、こうべをあげて前向きに進もうとするこんな音楽を書いた人は、ベートーヴェン以降誰がいたっけ? ワグナーとブルックナーくらい?
同時に、つかみの第1楽章が成功すればするほど、それに拮抗する第2楽章以降を作曲するのが難しくなる。シベリウスも古典的なこの問題にぶつかったように思えます。実際に、第1番の残りの楽章は、シベリウス本来の持ち味が発揮されているという意味では悪くはないのですが、キャッチーさにおいて第1楽章に負けてしまっています。
交響曲の4楽章構成のバランス問題にいち早く直面したのは、モーツァルトとベートーヴェンでした。特にベートーヴェンは、第3番交響曲でこれを明確に意識し、そのひとつの回答が第5番に結実したと言ってもいいでしょう。第3楽章と第4楽章を合体し、複合体として第1楽章に拮抗させる。
ベートーヴェンは、貴族のパトロンがなくても、楽譜の売り上げとコンサート収入で音楽家の生計を立てる道筋をつけたパイオニアです。しかしそのぶん、不特定多数を問答無用で彼の音楽世界に引きずりこむ必要が生じます。ベートーヴェンの音楽には、冒頭に異常な緊張が漂う曲が多くありますが、まず出だしで聴衆をつかもうとした結果そうなったと言えます。
ベートーヴェンの師匠筋である交響曲の父・ハイドンにはなかった問題。ベートーヴェンは出だしのツカミを磨き上げ、大変成功するけれども、そのぶん続く楽章とのバランスで試行錯誤することになる。第3番以降の彼の交響曲は、この問題に対する彼の複数回答と考えて聴くことさえ可能です。
シベリウスはおそらく、かなりベートーヴェンの音楽に精通していたと思われます。
第1番はそこそこ好評をもって迎えられたようですが、彼は満足できなかったのでしょう。続く第2番はかなりベートーヴェンの第5番交響曲を研究した作りになっています。
まず、前奏部分を省略した第1楽章の出だし。第1番とはうって変わって、叙情的な開始だけれども、第1主題が明確で聞き間違いの余地がない。この主題を引っ張って第4楽章が登場する。そして、スケルツォ楽章である第3楽章からなだれ込む第4楽章という形式。
第2番にして即座に問題に気づき対応するあたり、シベリウスの技量を示して余りある仕上がりになっています。全体の形もよい。わかりやすい。コンサートでよく演奏されるのも当然でしょう。
ただ、個人的には第4番や第7番の方が好きです。好み、というだけでなく、よりシベリウスらしいという意味で。
つづく