つづき
遣唐使は廃止されたけれども、大陸の文化の流入、あるいはそれを取り入れようとする知的好奇心は途絶えていなかったでしょう。実際に建武の新政の論理的根拠に大義名分論が出てくるくらいですから、断続的になったとはいえ、漢文学の影響は続いていたと考えるのが筋です。
青も緑も同じ寒色系の色なので、古くは区別されなかったのも不自然ではありません。
私的に調べた感じでは、漢詩の世界においてみどり色に「緑」の字が定型になっていくのは、晩唐から北宋の時代にかけて、特に朱熹や蘇武、王安石あたりの文章で確定したように見受けられます。すなわち、日本ならば平安末期から鎌倉時代のことです。
そうでなければ、平安時代にあらためて「みどり」という語が登場し、色概念が突然拡張される理由がつかない。
別に日本だけが特殊というわけではないのです。
緑と青と。
語彙が概念を分けていく。そもそも「わかる」という語は「分かつ」に由来し、「分類すること」=「理解すること」を指しています。だとすれば語彙の多さは分類のきめ細やかさを表し、結果的に理解力の指標となるわけです。
緑と青の区別がつかなければ、上の写真などは画面全部がほとんど「あお」になるところです。そんなのは味気ない。でも、青や緑のグラデーションすべての名を知っているかと聞かれたら、それもあやしい。
こうして色彩の探求は続き、新しく発見した色には新しい名前が発明される。
色の名前ひとつとっても、奥深いものです。
この項 了



