つづき
ベラスケスが素晴らしいのは、印象派の技法を 200 年早く採用したことではありません。その技法を用いて、17 世紀の彼の周りの人々を説得しきった器の大きさにあります。
言いかえれば、絵画の技法や歴史などに興味がないような人たちにさえ、いい絵だなと思わせるその技量です。
例えば現代の絵画や音楽を 200~300 年前の人々に見せて・聞かせて、感動するかどうか? あるいは、200~300 年先にも絵画・音楽の芸術が連綿と続いたとして、その芸術を現代の我々が鑑賞して感動できるかどうか?
こう考えると、問題は未来の技法を先取りすることではないとわかります。
むしろ先取りすればするほど、同時代の人々には理解しがたいものになってくる。ヨーロッパ文明全体において、19世紀末から世界大戦にかけて、前線で活躍する芸術家や科学者が、大衆と乖離してゆく現象が顕著になります。最先端は未来を志向し、その他の人々が置いてけぼりになる。
その結果、各ジャンルの先駆者たちは、予言を聞いてもらえないカッサンドラとなり、不遇を囲うことになる…
この現象は、複雑かつ繊細に発展してきた各ジャンルの宿命として、ある程度は仕方ないものだと私も思います。
しかし一方で、ダ・ヴィンチやベラスケスの仕事を見せつけられると、天界に愛された純粋な天才たちには、未来の尖った武器を丸めて同時代の人々を説得してしまうことさえも可能なのだと思わされます。これが可能なのは、ふたりが頭抜けた才能の持ち主であるからでしょうが、彼らだってきっと、わかってもらうための努力はしていたのだと思うのです。
ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』は、21 世紀の科学分析が実施されるまで、誰も複数視点の技法が使われているとは思っていなかった。つまり、技法とさえ認識されないレベルまで、ダ・ヴィンチは画面を作り込んだのです。彼が生涯絵筆を入れ続けた理由は、その辺にあるのかもしれません。
ベラスケスも、この印象派的な技法を多用したわけではありません。実際、宮廷デビュー作となったフェリペ4世の肖像画は、ネーデルラントの流れをくむ細密画家みたいな技法で描かれています。幼き皇太子の晴れやかな姿を描くからこそ、彼は秘術を開陳した。
日本で言えば七五三と端午の節句を合わせたような、子どもの幸せな未来を希望する気持ち。
"星を求むる蛾の思い
暁を待つ夜の思い
哀しみ多きこの地より
遥けきものに捧ぐる心"
子どもを溺愛する国民性と、親の思い、題材が将来の国を担うだろう皇太子、そこに用いられる 200 年後の技法。全てが未来を志向し、その晴れ晴れとしたヴィジョンを結晶化したような一枚。そう考えながら鑑賞すると、この肖像画は『モナ・リザ』以来の大傑作に見えてきます。しかも、ベラスケスの端倪すべからざるところは、この絵が彼の代表作ではないという…
いやはや、とんでもない天才です。
ベラスケスの二枚だけでこれだけ語ってしまいました。他にもいい絵がたくさんあります。
プラド美術館展は、お薦めです。
この項 了