つづき


しかし、本質的には 200 年先の技法を先取りしただけでは、ベラスケスはベラスケスの名に値しません。この騎馬像を見ながら、ベラスケスはダ・ヴィンチと並ぶ才能なのだと私が思い至った理由は別にあります。


以前、ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』の秘密に迫るというテレビの特番がありました。そこで、モナ・リザの顔の右半分と左半分は、実は異なる視点で描かれていることが分析結果から判明した、と放送していました。つまり、顔の片側半分をデッサンした後、別の角度からもう一方の半分をデッサンし、それをひとつの顔に融合している。
この分析がどの程度信憑性があるのか、私には確かめる術はありません。しかし、もしこれが事実だとすれば、ダ・ヴィンチは 300 年前にセザンヌやキュビスムの技法を駆使していたことになります。

たしかに『モナ・リザ』はダ・ヴィンチにとっても特別な絵でした。
彼は天才中の天才だったけれども、仕事環境ということではあまり恵まれていなかった。ミケランジェロの教皇ユリウス2世、ラファエロの教皇レオ10世のような強力なパトロンはつかず、彼を支援した有力者は長引くイタリア戦争で次々に没落していった。最後の最後でようやくフランス王、グラン・ロワの異名を持つフランソワ1世の庇護下に入り安定した余生を送るまで、イタリア各地を転々と彷徨う人生でした。
その移動中、ダ・ヴィンチは常に『モナ・リザ』を持ち歩きました。この事実からして『モナ・リザ』が単純な肖像画ではないことがわかります。なぜなら、モデルとなるべき人物をデッサンしたのは昔の話で、目の前にはすでにモデルはいない。にも関わらず、ダ・ヴィンチはどこに行くときもこの絵を持ち込み、生涯をかけて絵筆を入れ続けました。こうなると、モデルとなった人物がジョコンダ夫人なのかそうでないのか、などという議論が、絵画論としてはあまり意味をなさない気がします。
ダ・ヴィンチはなぜ『モナ・リザ』を持ち歩いたのか? 本当のところはわかりませんが、単純に考えて、彼にはこの絵が「完成した=もう描き加えることがない状態」ではなかったから、くらいは断定できるでしょう。だとすれば、様々な実験的な手法を思いついては手を加えていった、いわば科学者のラボみたいな存在だと仮定することも可能です。だから、テレビ番組で言っていたような、異なる視点から観測した物体を一枚の絵の中に結晶化させたという話も、ダ・ヴィンチならばさもありなんと思えます。

しかし、それよりも瞠目すべき事実は、人々がそんな技巧には気づかないまま、400 年もの間この絵を素晴らしいと感じてきたことです。
『モナ・リザ』の謎の微笑み、とは言い古された形容ですが、実際にこの絵を模写してみると、この絵の難易度の高さを体感できます。口角の線を一本引き間違えただけでニヤケ顔になってしまったり、ムッツリ顔になったり、およそあの顔にならない。
ダ・ヴィンチがどこまで意図的にセザンヌの技法を先取りして用いていたかは置いておくにしても、彼は技法を一般の人々に感じさせずに、その効果の結果だけは感じ取れるように消化して画面に結晶化させたのです。なぜなら彼の絵を鑑賞する人々は 16~17 世紀に生きていたから。


同時代の人々の鑑賞のために、説得の労を厭わない。
これは近・現代芸術がおろそかにしがちな側面だと思うのです。


つづく