六本木にある国立新美術館で開催中の『至上の印象派展 ビュールレ・コレクション』を観てきました。5月7日までなので、ゴールデン・ウィークを利用して行くのには最適かもしれません。
コレクションは19世紀のフランス印象派を網羅する作品群が中心で、見応えがあります。今回は新たな発見はなかったものの、結構な有名どころの絵が来ており、さらに半分が日本初公開、知識の再確認とともに堪能しました。


個人的に、フランス印象派の絵を鑑賞するポイントは次の2点だと考えています。

1 チューブ式の絵の具の開発により、それまで屋内の工房(アトリエ)で共同制作していた画家たちが、イーゼルとキャンパスを持って屋外写生することが可能になった。
アトリエを棄てよ、野に出よう。

2 写真術の登場により、物理的な模写は新たな競争にさらされた。人が絵筆を持って絵を描くという行為は、写真を撮る作業と何が異なるのか、どのような意味があるのか? 19世紀の後半頃になると、画家たちの問いかけとその回答は切実になってくる。それぞれの画家たちの導き出した答えが、そのまま絵画になっていると言っていい。


もちろん個人的な鑑賞ポイントですが、それほど間違ってもいないと自負しています。

まず、1について。
何度か繰り返し書いていますが、19世紀以前の絵画はアトリエで描かれていました。
風景画でさえ、簡単な水彩画ならともかく、大きめのキャンバスに描かれた油絵となれば、スケッチを工房に持ち帰り、マイスター(親方)とその弟子たちが総がかりで描いていました。昔は絵を描くこともひとつのプロジェクトみたいなものだったのです。
巨大工房になれば弟子たちの面倒も見なければいけない。お金が必要だ。勢い、依頼主からの注文を取り付けて描く、というビジネス・スタイルになってきます。いくつかの例外はあるにせよ、過去の絵画の題材が裕福層の肖像画や、彼らの好む神話・歴史的エピソードが大半だったのは、こうした事情が大きく影響したと考えられます。現代のように、画家が依頼もないのに興にのって心のままに描く、などということはレア・ケースだったのです。
こうした状況を、チューブ式絵の具が変えました。絵画作成に必要な道具を一気にコンパクト化し、現地で実際の風景を見ながら描けるようになった。一枚の絵画を仕上げるのに必要なコストが下がり、現地取材が可能になったことから、今まで題材にされていなかったようなものを描くことが容易になったのです。
クールベからバルビゾン派に続く労働者を描いた印象派直前の作品群は、この絵画道具のイノベーションがなければありえなかったでしょう。

高校生の世界史を扱っていると、この辺の画家たちは、労働者階級を取り上げ、その社会的な問題点を指摘し、労働者賛美の理想を表現しようとした、と評価されていることがあります。

そうかもしれない。でも、本当にそうかしら?

私には、新たなツールを手にして、それまで先達がやれなかったことをやってやろうという、意外とギラギラした野心が原動力だったようにも思えるのです。


つづく