つづき

イタリア・ルネサンス芸術は、現代日本のポップアートに近い。もう少し踏み込むと、大家の名前をいただいた工房が、弟子たちの手を借りながら、納期に間に合うように仕事をこなしていたあたりなど、今の漫画家や映像制作会社を思わせます。


展示品の目玉にもなっているボッティチェリは、今回展示されているものも、有名な『ヴィーナスの誕生』や『プリマヴェーラ』も、足元から頭部にかけての重心線がハデにズレています。これほどの大家が、なぜこんなデッサンを放置しているのか不思議だったものです。

今回展示されてる作品群は、主にボッティチェリが変節して以降の作品です。メディチ家が追放されてから、彼はサヴォナローラの主張に感化されて伝統的なキリスト教のテーマを扱うようになります。
それでも絵柄は変わらなかった。結局、画家の本性にとっては絵の主題など手段にすぎない。「一億総火の玉」をうたっていた朝◯新聞が、戦後に掌を返して反政府の急先鋒になるようなもの。本質的な部分は変わりようがないのです。

妙にバランスの崩れた絵を実際に見ながら、私ははじめて得心がいった気分になりました。
これは、アレだ……
売れっ子人気マンガ家が、背景や骨格デッサンなどの大半をアシスタントに任せて顔だけ描き入れたりする、あの現象だったのだろう。ヘタなりに首尾一貫していた初期の絵柄が、売れてくるにつれ上手くなっていく一方で、パワーを失い、なにかチグハグな印象を残すようになる。だって、ほとんど本人が描いてないんだもの。


絵から無理に意味や感情を読み取ろうとせず、好きなイラストレータの作品展示会に行ったような、少しばかりユルめのスタンスで見た方がイタリア・ルネサンス絵画は楽しめると思います。
こうした眼で虚心に観ていると、フィレンツェの 200 年間で、絵画技法的には、印象派の手前くらいまで進んでしまっているのがわかります。
その中にあって、ときおり非常に思いつめたような真剣な作品がチラホラ現れる。絵のテーマという意味ではなく、キャンパスに固定された情念、気迫が違う。

なるほど、ヨーロッパ全体がイタリア絵画をさらに2~300 年かけて消化していく過程で、一度マニエリスム ( maniérisme: 巨匠主義 ) を通過する必要はここにあったのか。巨大な画家の個性を模倣することから、個人の主張や感情の告白に繋がっていく。

この観点から眺めると、とても意義深い展示でした。


つづく