つづき


少し込み入ってきたので、主だった作品を発表された時系列で整理しましょう。

1719 年 『ロビンソン・クルーソー』
1726 年 『ガリヴァー旅行記』
1740 年 『パメラ』
1749 年 『トム・ジョーンズ』

上記の作品たちが発表された 1700 年代前半のイギリスといえば、前世紀に清教徒革命・名誉革命を成し遂げ、その過程で第二次百年戦争と呼ばれる対フランス体制に入ったころです。世界史的には、二大政党制を実施し、ニュートンなどの科学者を生み出したイギリスは産業革命前夜、この後の大繁栄を約束された時期と見なされます。
それに呼応するように、この the golden generation (黄金の 30 年間) とも言うべき時期に、時代を超えて残る傑作群が現れました。


ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』は、『ロビンソン・クルーソー』の成功を受けた旅行記モノのパロディとして、子供向けのジョヴナイルという形式をとり、全方位を敵にまわすような容赦ない風刺の猛毒を盛り込んだ内容で出版されました。複合的な性格を持つ一冊で、やはり形式的に novel と呼ぶには十分でないので、厳密には小説扱いにはなりません。

『ガリヴァー旅行記』の内容については、いまさら感もありますが、第一章で小人の国、第二章では巨人の国、第三章には複数の国を訪れ、第四章ではフウイヌムという馬が支配する国を訪れます。
第一章では当時のイギリスの政党政治や対フランスの外交が風刺対象。第二章は女性や子供に対する辛辣な描写。第三章ではニュートン力学 (スウィフトはその知性のあり方に批判的でした) を揶揄し、体が腐っても生き続ける「不死」の人々が描写されます。

スウィフトは、これからまさに世界の覇者になろうとする時期のイギリスに生きていました。けれども、彼はそのすべてを揶揄し、敵対します。それが、あくまでも子供向けのファンタジーの形式を取るがゆえに、その落差がしだいに狂気じみてきます。
そのとどめに出てくるのが第四章のフウイヌム国で、ここではついに人間そのものが批判対象になります。馬が支配するこの国では、人間は yahoo と呼ばれる一種の猿であり、たいへん不潔で好戦的なため、文明的なフウイヌムたちから軽蔑されている。ガリヴァーは、はじめはこの yahoo と同類とみなされますが、言葉を理解してコミュニケーションを取るうちに「例外的に道理のわかる綺麗好きの yahoo」とされます。滞在が長引くにつれ、ガリヴァーもフウイヌムの価値観を共有するようになる。なんと醜い yahoo たちだろう。あんなのと同類と思われるのだけは、ごめんこうむりたい。私はこの国で余生を過ごそう。ところが意に反してガリヴァーは帰国することになってしまう。
帰ってみれば、yahoo たちの顔、顔、顔。臭くてかなわん。おまけに醜くてウソつき。見たくもない。
ガリヴァーは数頭の馬を飼い、町の外れに移り住んで、人と会わない生活に入る。ああ、私の心は平穏だ。めでたしめでたし…


スウィフトが恐ろしいのは、こうした風刺を繰り出すときに使う象徴が、鳥肌だつくらいに鮮烈であるところです。

小さいときに『ガリヴァー旅行記』を読んだ体験があれば、小人の国の印象は忘れられないでしょう。第二章の「巨人」というモチーフは、旧約聖書の『創世記』やギリシアの神話群などでも登場する原型であり、それだけで人の想像を喚起する力があることは『進撃の◯◯』でも証明済みでしょう。
そして、昔のハリウッド映画『猿の惑星』の基本プロット作成に、フウイヌム国のエピソードが参考になったことは間違いありません。あの映画は、アメリカ人の日本人に対する恐怖心を描いたものだという話を聞いたことがありますが、そうだとしても、あの形に昇華するには、スウィフトのフィクションの下敷きがなければできないことでした。

『ガリヴァー旅行記』はネタの宝庫。
そして、ご存知の方も多いはずですが、第三章では「天上都市 ラピュタ」が登場しています。


つづく