つづき


皇帝に推挙されたときにすでに 65 歳という高齢だったネルヴァは、ネロ時代からの元老院議員でした。
私は、タキトゥスをはじめとする元老院が、ネルヴァを当て込んで周囲の反応をうかがったのだと考えます。あわよくば、このまま皇帝権を元老院のものにする。軍隊やローマ市民の反発が強いようならば、「政治的空白を避けるために、緊急処置としてやっただけだ。治世が長くならないよう高齢者を選んだのは、それが理由だ」と逃げられるようにしながら。


詳細はわかりません。歴史的事実としては、ネルヴァは早い時期に次期皇帝として軍人のトラヤヌスを指名、養子縁組します。
ドミティアヌス帝暗殺未遂事件を企て処刑された軍人の代わりとして、ゲルマニア防壁の責任者となったのがトラヤヌスでした。うだつの上がらない一生になる可能性もあったところを、ドミティアヌス帝に抜擢してもらった人物です。この点においても、ドミティアヌス帝が無能ではなかったことがわかります。
1年半ほどの短い治世の後、ネルヴァ帝は死去。皇帝となったトラヤヌスは、普通ならばローマに行き、元老院から承認を受けるところを、ドナウ川国境方面の蛮族対策へ向かいます。ドミティアヌス帝が、そのアイデアだけでは御しきれなかったダキアと呼ばれていた地域を見事に平定し、現ルーマニアにあたる新たな土地をローマに与えます。
トラヤヌス帝はこの後もローマ国境地帯を行脚し、ユーフラテス川方面ではメソポタミアに踏み込み、現イラクまで版図を広げ、ローマ帝国はこのとき最大領域を誇ります。

トラヤヌス帝はその治世のほとんどを国境地帯で過ごしますが、これは、裏を返せばローマに寄り付かなかったということでもあります。
そうしながら軍事成果を喧伝する。軍はもちろん、ローマ市民は熱狂する。これは同時に、元老院に対する無言の圧力にもなりえます。


このときです、タキトゥスたちが声を上げるのは。
皇帝がローマにいなくても政治がまわる。つまり、元老院が必要ではないかもしれないという盛大な既成事実が目の前で積み上げられつつある。これでは元老院の面目丸つぶれだ。皇帝はローマにとどまるべき。とどまって、元老院のコントロール下にあるべきだ。
タキトゥスが、カプリ島に隠遁して政治をしたティベリウス帝を酷評したとき、こうした事情が影響しなかったか? 彼らが残した文章の行間から漏れる本音は、こんなところではなかったか?
加えて、元老院には、ドミティアヌス帝暗殺とネルヴァ帝推挙を正当化する必要もありました。私たちは正しい。皇帝は、ほうっておくと暴走する。元老院はそのバランスを取るために必要。皇帝はローマにいて、元老院の監視下に置かれるべきなのだ。
タキトゥスたちは、今で言うならばマスコミ攻勢をかけたのです。嘘は付いてないまでも、都合の悪いことは丸めてクズ篭に捨てる悪徳弁護士のように。


このときの皇帝と元老院は、公言できない緊張状態にありました。
皇帝側から見てみます。元老院はドミティアヌス帝を暗殺し、自分たちの望む皇帝を推挙した。こんなところへノコノコと出向いて落ち着いたら、元老院の言いなりになるしかない。そうでなければ殺される。元老院の言いなりになって、しかし、それで軍が納得するかどうか?


つづく