つづき


それにしても、この CD の価値を押し上げている要素には、録音の良さもあります。私は、このへんの詳しいところはわからないのですが、明らかに音がいい。これは一聴すればわかります。


CD 音源は一般に 90 年代くらいからハイ抜けがよく、こもらない音になってきている印象です。昔のソースなどと比べてみると、トゥッティ (全奏) したときの感じが全く違う。
昔の音源だと、全奏したときの高音域のやや下あたりの部分に、妙にフラットに潰れて曇ったような聴域帯がありました。いや、ひょっとしたら、私のたいして豪華とは言えないステレオセットのせいかもしれませんが、ソースごとに異なるので、こちらの環境のせいというだけでもないのでしょう。
特に 21 世紀に入ってからのモノは一段と冴え冴えとしていて、メガネのクモリをキレイに拭き取ったあとみたい。
スゴイな、技術の進歩。


この延長線上に、静かに話題のハイレゾ音源というのがあるのでしょうね。なんと言っても、ビット数が違う。
ただ、クラシック音楽だと、どうなのかしら? 実際のオーケストラのフォルテッシモは HR&HM の音量を上回る一方で、消え入るようなピアニッシモも拾わなければいけない。コンサート・ホールの音を再現するのは、音の良さだけでは難しいのでは。


昔知り合った録音技師さんの話。
オーケストラの素のままの録音など、とても聞けたシロモノではない。マックスの音量にあわせれば小さい音は聞こえなくなってしまうし、ミニマムにあわせると、大きな音は割れてしまう。結局、人の手で上は抑え気味、下は押し上げ気味に調整しないとバランスがとれない。すると、エンジニアや彼らの用意する機器、プロデューサーの意向やレーベルのクセ・方針などで「音作り」が変わってくる。当然、演奏者たちの要望もある。
オーケストラの録音というのは、答えの出ないパズルのようなものなんだな、という感想を持ったものです。

さらにここに、音源を買って楽しむ側の環境が絡んでくる。ラジカセでイイ感じに聞こえるバランスが、ン百万するセットで美しく響くとはかぎらない。
再生音のほとんどの鍵を握るのがスピーカーだけれども、どのあたりのスピーカーを目安に音を設計するか。難しいのは、高価なセットを基準にしても、そんなのを持っている人は数が少ないから、違う環境で再生した人は「この CD はダメダメだな」という結論になってしまう。それでは売れない。売れなければ、CD を出す意味がない。
実は、そこそこ安いシステムから高価なものまで上手く鳴ってくれるようにするにも、録音音源はイジらないといけない。「目の前で演奏しているかのように聞こえる」のは、そういう風に調整しているからであって、素朴に聞こえるがままに加工せずに音源を出しているわけではない。手を加えていないかのように聞こえるようにするために、手を加えているのだ。

という話をしてくれたオジサンは、大のアンチ J-POP の人でした。アレを中心に聞くなら、高価なシステムなんてムダ。むしろ、ダメなことがわかっちゃうから、安い方がイイ、くらいの辛辣なことを言っておりました。


私には真偽のほどはわかりません。このオジサンと出会った秋葉原の外れのオーディオ・ショップも、今はもうなくなってしまいました。

人は流れ、季節は変わり、思い出だけは増えていく。

それでも技術は確実に進む。
ですから、この冴え冴えとした音で聴きたくなる演奏家がいなくなってしまうことだけは、なんとしても阻止したいな、などと考える初冬の夜でした。


この頃  了


P.S.  その後、ゲルギエフとキーロフ歌劇場管弦楽団の組み合わせで、ショスタコーヴィチの交響曲も聴きました。いいです。初めて、この作曲家に対して積極的な興味が持てました。