初めて見る方のために伝えておくと、わたしは現在メルボルンでAussieのパートナーと彼の三人の子供のステップマザーで下の子二人と、週の半分を過ごしています。(彼らは週の半分はお母さんのところで暮らしています。)

前回のブログで片付けや掃除に対する意識の違いを改めてシェアしようと思っていたので、友人のFB投稿に興味深い記事が書かれていたのをコピペさせていただき、わたしの体験談と一緒にシェアさせていただきますね。


こちらがその記事 こんまりメソッドを猛反発する西洋文化背景

アメリカの掃除の概念が書かれているこちらの記事からもわかるように、敢えてその文章の一部を拝借させてもらいます。

「西欧文化では「掃除」や「片付け」などは肉体労働のカテゴリーに入れられていて、いわゆる「汚い仕事」というか「教育がない人がする仕事」とか「貧乏人の仕事」とされているので、大多数の人が「できれば自分はやりたくない」と思っています。」


わたしのパートナーはオーストラリア人ですが、よく「片付け」という考え方一つで、何度も意識が違うために、つい最近までぶつかりました。

現在はやっと、彼にとって片付けや掃除にはポジティブな意識があることを受け入れ知り、新しい考えや在り方を採用してくれるようになり、何にもやらなかった(言えばやるが、何も言わなければ散らかし放題の子達だったので、どのように伝えたら良いかなど、わたしは以前ストレスを抱いていた。)

現在は、子供も食器の後片付けや食器洗い、また週一は、自分達が使ったサッカートレーニング練習着などを自分で洗濯する新しい習慣ルールが彼の提案で生まれ、いまは普通にするようになりました。(わたしから自分で使ったものは自分で後始末し、場やモノや親に対して敬い、当たり前ではなく、感謝の気持ちが芽生えるような意識をわたしは日本の習慣からも自然に学んできたことを話し、気持ちを拾ってもらえ、それからもう少し広げて子供達が日々の感謝も込めてできることとして、週一の洗濯という案を彼が広げました。)


彼に言わせるとAussieが中々片付け出来ない、散らかし放しの人が多いのは、このアメリカ人の西洋意識の文章に近い受け取り方で掃除や片付けについてある概念は、「嫌なモノをやらされる」というネガティブなイメージがあり、また学校やショッピングセンターのフードコートでも(日本みたいにセルフ回収する人は少ない。そのまま散らかり放題、席に置きっ放しな光景をよくみる)掃除担当の人がする=彼らの仕事だから、仕事を取らない、そんな意識のもと、家庭では専業主婦や今日担当する人がするもの(今日したら明日はしない、など変なルールがある)という考えが強いみたいです。


もちろん彼のお姉さんの旦那さんや子供達はよく整理整頓、片付けできますし、一度彼のお姉さんに「どうやって教育したの?」と聞くと、「いや彼らはもともとしたいからしてる」と。ファミリーパーティーで見ていてもお姉さんの旦那さんがいつも率先して片付けているので、お父さんの意識の高い姿を見て、子供達も自然に真似しているようにも感じました。

わたしとパートナーがホストでホームパーティーをした際も、片付けを手伝ってくれたのはお姉さんの子達。

わたし達の子は何もしない。これはあかんやろーと、個人差、躾だな、とも思いました。

まあ、オーストラリアも人それぞれ、きちんとしている人たちもいますので、誤解の無いように悪しからず。

ただ全体的に訪問したりすると感じるのは、片付け苦手な人が多く、放課後誰もいない学校にパートナーの掃除当番がありついて行った時も、学校でみんなで掃除しないの?と思わず聞いたくらい、日本の学校とは意識が違うのがみえます。

(送り迎えも親、掃除も親たちって何処まで親がやってんねん!て突っ込みたくなります。いや突っ込みました。安全である日本の集団登校、下校も両親の仕事を削ってくれてます)

シュタイナープライベート学校なので、普通の学校よりは、掃除教育もあるはず、と言ってはいましたが、全然身についてないやん!と本音。

オーストラリアメルボルンの学校は必ず掃除などをする人を雇っていて、掃除をする人がいるから、ざっとしていて、あんまりちゃんとした掃除の時間はないかも。とのこと。なんか日本人のわたしには腑に落ちない回答でした。

テレビで見たことがあるのですが、欧米の教育委員会が日本の給食や掃除をみんなでトイレ掃除までしているをみて、「何だ!トイレ掃除までやらせるのか!」と上辺だけみて信じられないと否定的に話していた人もいました。その奥にある意図を話すと、「素晴らしい、だから日本はどこに行っても綺麗なのですね」と取り入れるべきと話している人もいました。

また余談ですが、運動会も個人競技は沢山ありますが、所謂日本のような団結力を高める団体戦などはありません。運動会から団結力を学ぶ意識をとこれも日本の素晴らしい教育だ!と話している人もいました。


話を戻し、こちらの住まいにしても基本的に日本の住居に比べ土地があるので、ガレージなどにとりあえず使わないものは入れてしまう、スペースがあるから、散らかっていても他の場所があるからすぐに片付ける必要がないことなど、そんなことも影響しているからのかな?小まめにではなく、一旦溜まってから一気に掃除片付けする人が多いみたいです。


わたしは「それで育つと、当たり前になってしまうのは理解できるけれど、ごめん。わたしは居心地悪い。協力してもらえないかな?

仕事とか全てにも影響するし。」と

(※因みに他人に言わせるとAussieの中ではわたしのパートナーは普通か、片付けている方らしいです。でも他にも親戚には素晴らしく日本のようにおもてなしがあり、片付いた綺麗な空間に住んでいる人もいますし、CI仲間が愛していたダンススタジオがクローズした際も、CI仲間で感謝の気持ちで掃除をしたので、意識が高い人はもちろんいます。

余談ですが、パートナーのお義母さんに謝られたことがあります。わたしがあまり強く言ってこなかったから、ごめんなさい。と。)


私たち日本の公共スペースだって掃除する人がいるけれど、汚したり使ったところを綺麗に元通りにし、使用前よりも感謝の気持ちで綺麗にする意識もあることが自然に当たり前に目覚めているのは、やっぱり教育、習慣からだと思う。

もっとお互いに気持ちの良いスペースを共有する心は、その綺麗にすることで内なるものも整理していき、新しく綺麗になった空間によってものごとも動く、流れが生まれる、頭や心がすっきりする、自他に影響を及ぼすことを観ている。

日本のよい掃除に対する教育や家庭のように、みんなで気持ちよく協力分担して片付ける、片付けをすることで自他ともに気持ちよくなる、おもてなし、ギフト、気の流れをよくする、気持ちの良いこと、というような意識でやれば習慣になることを話したら、やっとお願いしていた本質を理解してもらえ意識が変わってきたようです。


確かに、過去に他の方に話した時もあなた本書くべきよ。多くのAussieは教育が必要。その意識を持っている人は多くはないと思う。と言われたことがありました。


最初他にも驚いたのが、ごはんを作る人は片付けはしなくていい。という変な概念もありました。

わたしは最初よく旦那さんが作ってくれて、わあ、嬉しい😊❣️と思っていたら、作りながら、いっぱい散らかし汚したものを全然片付けないで、作ったからあとはお願いねーみたいな態度が続いていました。ある日もちろん腑に落ちないことを伝えました。

何故ならわたしが作るときは作りなら片付けているから、(そう母から教わった。それではじめてちゃんと料理をしているというと。)わたしが作ると誰も後片付けをしなくてもよいし、仮に反対の立場で散らかし放題なら、わたしはそれでも手伝うよ。と。

(※あとオーストラリアは基本男女関係なく自分のことくらいは最低養えるくらいの稼ぎから男性と半々くらいのお金を稼ぐことの意識は当たり前で、男性に払ってもらう、また男性も女性に養ってあげるなんて意識はありません。

金銭面も半々でという考えが普通です。

ですから働いてない専業主婦は少なく、もし専業主婦なら男性は本当に何もしなくていい態度があるみたいですが、まあこれもどちらかと言えば古く、稼ぎが半々なら、家事も半々お互いにするのがいまのスタンダードです。)


わたしも完璧なんか求めてないから、日本人の妻を持った以上、柔らかくなって、お互いにわたしたちの譲り合いを改めて見つけて行こくしかないよ。と。


いまはおかげさまで、お互いに当たり前が覆され、その度に話し合い、新しい理解とより良い方を観ていくあり方に少しずつ歩み寄りあっています。

色んな違いで話し合いの度に、何度もこんな事でー!と諦めそうに心折れる事ありますが、一番イライラしやすかったのが片付けについてだったので、ひと段落です。

外国人と結婚したのだから、一緒に住む以上色々あるのはしょうがない、それくらいの努力はね。と言い聞かせてます。笑。

でもここまで書いて、国とか関係なくやっぱり個人の違いであるものも沢山あるよね。

日本人でも片付け出来ない人は出来ないしみたいな話によく美容院とかでなりますが。笑。


感覚としては、こちらでは担当者がいるなら担当者がする、頼まれたらする、という感覚。

だから、悪気はないという感じですね。

わたしは、ダンスオーガナイザーの手伝いサポートもしているのですが、誰も手伝おうとしない、空気を読んで解散する気配もなく、片付けに邪魔なところにいても堂々と話したいだけ話して片付け終わる頃に帰る人多いです。笑。もう一度いいます。悪気はないんです。基本マイペース。のんびりなんです。お互いそのスローに対し問題ないんです。

日本でイベントやクラスを開催すると、頼まなくても必ず沢山の友人や仲間が普通に手伝ってくれるので、あっという間に終わりいつもありがたく思います。まあ、時間に対しての意識も違うからかな。

これは、日本の教育の良い面である、給食配膳とか、掃除とか、運動会で一緒に力を合わせるとかそんな意識からも自然に育まれていると思います。元々、村意識っていうのかな?

助け合う、協力しあう、人を思い遣る、和になる団結力はどの国にも負けないくらいあると思う。


なんだか上手くまとめられませんでしたが、最後に気になることばかりではなく、もちろん、違う意識背景があるからこそ大きな視点で気付け、分かち合えた時の異文化交流や意識の拡大の喜びも沢山ありますよ。


お互いの良いとこどりが出来たら理想ですが、

それにはお互いの頑固頭を打ち砕き、柔らかく受け入れ正しさを握らないで、フラットに話し合うことが鍵ですね。自分に話してます。笑。



パートナーといえども、もともとは赤の他人。笑。

沢山ある場面でいつも同じようにはお互いには展開しないので、時に難しく、関わりたくないほどイヤになることだってある。そんなときこそ、「そんなのへんだ、私が正しくてあなたは間違ってる、おかしくない?」といった類の気持ちが芽生えやすいけれど、そこをグッとこらえ、一呼吸して、反応や感情に飲み込まれないで、分離意識から、愛にone意識に帰って、「いまどうなっているのかを分析して、状況を理解するようにしてみたり、ここでお互いに歩み寄れることは?互いに学べることはなにかな?」と自分に100%責任をとる意識で相手に期待しないで発してみると、その先が開けてきます。

何度でもトライアンドエラーできるから、諦めずやってみる。


「どんなふうに言うか」によって、夫婦、家族、上司...全ての人間関係が嘘のようによくなる状況は、意外にも自分次第なんだなーと、いつも学びます。