風に吹かれて
柔らかい
なんともなありがたいギフトが届く

人と人が絡み合って
点と点が線になって無限に広がっていく
出会いは思いもよらぬ愛を運んでくれる
たとえその期間は一瞬でも
いつ次に会えるかわからなくても
それでいい
だから愛しい
いまを大切にする
いのちといのちが出会う
流星のような大切な愛しい人たち
存在
宝物

シーン1
・ちょうど約一年前、青い空と緑が茂る木々に囲まれて裸足で一緒に大地にステップを交わした熊のようなそして青空に漂う雲のようなA
一緒に踊ってご飯を作って詩を書いて楽器を奏でて短い間だったけどいろんなことを交わした。
其々の次の旅の出発までに、パフォーマンスをしようと言いながら実現できなかったAから届いたダンスパフォーマンスの作品動画
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私もまだ作品にはなっておらず即興で踊ったものを限定公開にしている動画があるが、その作品の出来上がりはどことなく似ている。同じようなことを観ていたようだ。
わたしもあの人の様に飛び出していこう。

シーン2
・半年前の帰国直前、音楽やダンス、ヒトを愛するソウルブラザーがいろんなところに連れっててくれた。帰国前のラスト2day共、彼が出るshowを観に行った。その興味深いパフォーマンスのディレクターAKIMとの挨拶。彼は私と会ったことがある、知っているという。私は「maybe somewhere」と答えた。独特な雰囲気を醸し出すアーティストAKIMと東京で再会するとは思ってもいなかった。
5月の末に15年のNY生活から帰国した友人から誘われたそれは、日米芸術交換プログラムフォローで3ヶ月の滞在、日本の滞在中にいま出会った人との一度だけの彼の世界感が繰り広げられるパフォーマンスだった。
このパフォーマンスを観せてもらったのは3回目。(コンセプトの軸は同じ、出会う人が変わっていく、まさにインプロパフォーマンス)
何か不思議な引き合わせ、空からのメッセージに感じた。
前衛的で可能性に満ち溢れているが、なにか気になる異物感みたいななものもある。
観ている人によって楽しみ方、みえてくるものは其々。
彼のディレクターズノートに何度も深く頷いた。
ここで一部シェアさせてもらおう。(彼の了承済み)

『・芸術活動を行ってきたこれまでの人生の中で、私は3種類の人々にあってきた。
一つは自分が見て重要だと思ったものを真似て取り込む人々。
ひとつは、自分の内側に流れているものを表現しようとする人々(彼らはそれが何か分からなくても重要だということはわかっている)
三つ目は、満足しているかそうでないか別にして、ただ生きて観察する人々だ。
私たちはみな、その三つの要素を多かれ少なかれ持っておるのだが、個人的には、瞬間瞬間に波長を合わせることができれば、自分のあるべきモードが自ずと導きだされるように思う。
自分のやり方に固執して、瞬間を感じ取ることができなければ、肝心なものを逃してしまうこともある。

一部省略)私の理解では、パフォーマンスというものは、自分をアーティストとして自負するか否かは関係なく、我々みな本来のあり方である。だから、その瞬間と誠実に向き合っている時は、自分の体内時計は止まり、真摯に与え受け取る準備が整っている。

一部省略)だから言葉を聞くだけでなく心の声を聴き、なんでも自分の持っている才能や好奇心を最高レベルまでに引き上げておこう。一歩踏み出せば道は自ずと表れてくる。直感を信じ、知識と誤解される事実を警戒し、知恵と混合される知恵を警戒しよう、そうすればここから創造的可能性が溢れ出す。これこそが今日私たちが集まった理由なのだから。』

そんな彼から突然のお茶会同行のお誘い、先日の大雨の中、出かけて行った。
その前にお互いのいまを語る。
彼といると存在する音は全て音楽リズムだ。外から入ってくる音と、内側から流れてくるもので即興ジョイント、自然とカフェで私たちは二人だけのパフォーマンスを行っていた。それは電車の中でも続き、まるでNYか何処か別の場所にいる様な錯覚だった。

夜はお茶会へ同行させてもらい、またその主催者で、日本の伝統文化茶道のおもてなしのこころを教えてくれたのが、先日のパフォーマンス会場で、一際美しい所作と存在感が印象的な方、ヒロユキさんでした。彼もまた、私がパフォーマンス会場で音楽にノリノリというよりノリきっていたので、印象に残っていたと言われwww。顔を合わせ「あっ」と解れた瞬間。初めてお茶を点てる経験もさせてもらい、茶道「みち」にみえるもの、芍薬の一輪の花など背景にも広がるもの、経験するもの、感じるもの、シェアする体験、そのこころ、調和、和に、大切なものを魅せられた。

~ほんの僅かな時間、大雨の中、歩いている間も移動中もずっと色んな歌や詩やダンスのコラボが生み出されていたその時間のメモリーを綴ったポエムが届いた。


シーン3


まるで詩のような
この間にしか存在しない距離感が色々と引き立ててくれる


先日のFBシェア

『何故かわかった!!
あのどこまでも溶け込んでくる
不思議なヒトは

わたしの上でも下でもなく
右や左でもなく
少しでも多くでもなく
……そして
少し前でも 後でもなく
………
そのまんま
なんの飾りもなく
真ん中で出会ったんだ』



いのち
いのち
いのち
全てはいのち
いのちのことば
いのちのダンス
いのちの出愛

無意識レベルで
人が苦手で
人が怖くて
内に籠る時もあっただろう

全然開けない時も
受け入れられない時もあるだろう

でもやっぱり人が好きで
独特のいろんな個性豊かな人が放つ多大な魅力が好きで
出愛
科学反応
融合すると思ってもないところ不思議なところへ登っている
今度はどこへ行くのだろう
やっぱり存在が愛しい