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アセンションする DNA  第4章 光の12存在からのメッセージ

ヴァージニア・エッセン 編著

冬月 晶 訳

ナチュラルスピリット



第4章 聖なる自己 ―――――Channeled byジョアンナ・チェリー (抜粋)

― (90P) ―

以下の内容は、私の聖なる自己とババジ(ヨギの自伝に記された不死のマスター)や聖ジャーメインをはじめとする介添え人たちから、数年間にわたって私がじかに受けとったものである。それをこれから、心を神に差しだし、神から導かれながら私の言葉で書いていこう。

私たちの歴史

私たちの最初の者たちが物質的な形をもつことを試し、この惑星の美しさを楽しむために地球にやってきて、私たちのこの身体をつくりました。私たちはそれを神の光とエネルギーから直接物質化しました。出産の必要はなかったのです。当時の肉体は今よりもっと軽く、もっと早い振動数でした。また私たちは神であり、すべてのパワーとすべての創造力であると知っていたので、私たちの肉体には老いも死もありませんでした。

私たちは望みのままに、地上の世界ともっと軽やかな世界を行き来しました。欲しいものは何でもすぐに目の前に現われました。空間によって隔てられているように見えるものも、すべて私たちとひとつであることに気づいていました。私たちは長らくこの天国のような状態で生きていたのです。この歴史の最後の部分が、聖書のエデンの園やその他の宗教における同じような話になっています。

私たちが神であることを忘れ、物質世界が現実だと信じるようになり、そういう世界をもたらして物理的な法則のみに従うようになるとともに、人間の「転落」がしだいに近づいてきました。自分たちは神とは別物だと信じはじめても、思考はまだ神としてのパワーと創造力をもっていたために、私たちは欠乏や貧困、病気や戦争、老いや死をつくりはじめたのです。以来ずっと、それらはわたしたちとともにあります。

― (91P) ―

深い罪悪感と恐怖もまた、私たちとともにあります。守られていると感じるために、私たちは独立したエゴをつくりだす必要があると感じました。そして、私たちの恐れと同じだけのエゴが神にとって代わったのです。私たちはこれを「転落」と判断してきました。でもそれさえも良いことだと、とても良いことだと言えるのです。なぜならばそのおかげで、神と一体であるという私たちの知識を――遅かれ早かれ――客観的にとらえられるようになったからです。

一体であったころの私たちは、水ということを知りもしないで水のなかで泳ぐ魚のような、主観的な状態にありました。そして私たちは、喜びにしろ苦しみにしろ、人生のあらゆる可能性を知りたいと思いました。そこで水から飛び出した――いえ、むしろ飛び出したと信じたと言ったほうがいいかもしれません。私たちが神と一体であることは、変えられない永遠の事実なのですから。

そのとき以来私たちは、たとえば地獄にも行けるだけ行き、そうやって無限の体験を積みながら、知恵を身につけていきました。それは私たちを徐々に水のなかへと、神と一体であるという知識へと連れ戻す知恵でした。その過程はじつに困難で、私たちは愛とパワーの感覚の大部分を失ってしまいました。けれども、私たちの明らかな分離の時を裁くより、私たちの決断を愛をもって理解し、受け入れるほうがずっとためになります。

生と死のサイクルという幻想

私たちの神性の完璧なダイヤモンドは、自分たちがだれなのかに関する間違った思いこみによって隠されてしまったようです。いま周囲を見わたすと、老い、死、限界という逸脱が自然なことだと、あるいは少なくとも人生とは「そういうもの」だと言われるようになっています。

― (92P) ―

老いと死について、自然のサイクル、つまり動物や木々やその他のものの死はこの「自然さ」を実証しているかに見えます。けれども、私たちの惑星では人間の意識が支配的で、動物や植物の多くは、私たちの死の予想に支配されています。しかし、一部の植物や木々はこのことに関する私たちの意識を超越しているようで、バンヤン樹の死のプロセスはいまだにわからないし、野生植物なども永遠に生きているとしか思えません! いったい何千年、それらの野生植物は人間の死の信条をつぼみでひそかに拒みながら、野山に咲きつづけるのでしょうか? 実際、無限に行きつづけているような小さな植物はたくさんあります。

しかしながら、概して自然は私たちの意識におとなしく付き従ってきました。肉体は衰えるという私たちの確信が老いや死のみならず、私たちや動物の身体、木々や植物に有害もしくは殺傷力のある細菌やウイルスや虫、さらには癌のような内側の自己破壊メカニズムまでもつくりあげたのです。

地球の傾きが死の幻想に拍車をかけます。多くの木々が冬になると葉を失い、花々は寒さに絶えきれず枯れてしまいます。もしも地球が傾いていなければ、植物や木々は一定で変わらない気候に適応していたでしょうし、一年じゅう、みずから選択した休み以外は生命を充分に表現していたことでしょう。

事実、生命は自然にどこまでも広がっていくものなのです。死をつくったのは私たちです。

家路につく

良い知らせがあります。どれほど真実の認識や体験からそれてしまっていたとしても、すでに私たちはその旅の果てにたどり着き、向きを変えて帰路についているのです!

私たちは、自分たちが神のイメージそのものであることを思い出しつつあります。虚空の神、創造を超える神は、特質というものをもたないかもしれません。けれども生命の底に横たわる自然を、また創造のなかに表現された神を深く感じとると、驚くべき「特質」に出くわします――無条件の永遠の愛、光、喜び、パワー、美、自由、調和、平和、すべてに行きわたる存在、不変性、永遠の広がり、永遠の生命、完璧な全体性。そしてじつに、私たちのプロジェクトとはこの神との一体を、つまりみずからの内にある「聖なる自己」を再体験することなのです。

心の真実を体験すると、私たちは自由な思考者になり、完全に開いて、みずからと他者のあらゆる選択肢と可能性、無限の創造力を許すようになります。自然を感じながら、私たちの真実を喜びや愛、楽しさ、豊かさ、創造力の高まり、またパワーと完璧な幸福を知るという感覚として体験するのです。

悟りの定義のほとんどがここで終わっています。けれども、もしも私たちが「最後まで」行き、帰郷の贈り物をすべて受けとれるのであれば、そこにはさらに、神としての心、感覚、肉体であらゆるものを認識し、再体験することが含まれるでしょう。

スピリチュアルな集団では、地上界を「物理的事物の総体」として、また肉体を無価値なものとしてとらえる傾向があります。「身体のことなどになぜ関心をもつのか? 身体は使い終わったら捨てる単なる殻 、 単なる乗り物にすぎない。その乗り物がどうであろうと、われわれは永遠に生きるのだ」これが一般的な主張です。でも真実は、私たちのすべての生命が終わるとともに肉体を「使い終わる」わけではありません。だからこそ、私たちは転生を考案しなければならなかったのです。

社会に適応するために感覚の受容を神から切り離したせいで、私たちの地上の生活の大部分があまりにも困難なものとなり、私たちがひとつの人生の終焉から次の転生までのあいだにしばしの休息を求め、これまでの人生の総括と、自分が今までどこにいて、どこに向かおうとしているのかという理解を熱心に求めるのは真実です。けれどもその困難は、肉体のなかに存在することや地上に生きることからもたらされるのではありません。この体験を困難にしているのは私たち自身なのです。そしてそれがまさしく、いま再びこのすばらしい創造物を私たちの手で光輝くものにしなければならない――すなわち神の一部として、天国として、自分の身体と地上界を体験しなければならない理由なのです。

光から肉体をつくりあげるとき、私たちはそれが固体に見えるまで光の振動数を下げなければなりませんでした。アインシュタインの相対性理論によって示されているのは、これとは逆のプロセスです。ごく簡単に言ってしまえば、E=MC2は質量の速度が上昇するとエネルギーが生まれると言うことです。

つまり、肉体は光という神の基本要素でできているのです。そしてそれは固体のように見えるものの、すべてが原子で構成されていて、それぞれの原子の九十九パーセント以上が空間なのです。この空間を人体の奇跡に形づくるのは思考、本質的に神の考えです。(母の子宮のなかで、私たちが自分の身体を意識的につくったでしょうか)

私たちは健康を維持するために、毎日何百万もの行程を意識的に行なっているでしょうか? 古い細胞が落ちるたびに、身体を新たにつくり直しているでしょうか? 神の思考は、どこまでも広がりゆく完全な思考(際限なく増しつづける完璧な美しさ、活力、健康、強さ)です。私たちの身体が老いるように見えるのは、私たちの限られた思考と感覚のなかでのことにすぎません。したがって、このような制約を心とハートから解き放ち、まことの神の無限の思考を再び迎え入れれば、私たちの身体本来の完璧さをとり戻せるのです。

そのときに起きるのは、早まり(quickening)です。私たちの心と感覚と身体の波動が早まります。それが私たちのアセンション・プロセスなのです。光の時代に入ったいま、地球そのものも含めてありとあらゆるものが引き上げられ、速度を早め、軽くなりつつあります。私たちは光に、あらゆるレベルでより偉大な神の体験へと戻っているのです。私たちはすでに光の統合方法を学んでいます。過去においては、それは肉体に害を及ぼすもの、身体を焼きつくすものとされていました。霊魂を完全に体内に受け入れ、その身体を自分の姿とする――つまり、あますところなく神を体現することはエクスタシーです。私たちはそのエクスタシーを目指しているのです。「そこに着いた」とき、光の自己を体験するとき、私たちはいったい何を発見するのでしょうか? 私たちがすでにそこにいること、そしてつねにそこにいたということです。私たちの真実の身体は、私たちの身体というものへの神の不変の思考形式なのです。それはライトボディ(光の身体)です。それはすでに存在しているのであり、私たちの肉体と同じこの場所にいる身体です。

ライトボディはすべてが永遠に美しく、老いることも、死ぬことも、エネルギーが不足することもありません。そして時空を自由に、というよりむしろ、時間も空間も関係なく行き来します。年齢は幻想で、美しさが現実なのです。私たちは自己のこの真実に波長を合わせて、地上で不死のライトボディとなるべく学んでいるのです。

不死を達成し、地上を離れる準備ができたときに肉体を光のなかに持ち去ったマスターたちのことが、多くの宗教書に書かれています。パラマンサ・ヨガナンダ著『あるヨガ行者の一生』(森北出版)でふれられているヒマラヤに住む不死のマスター、ババジもそのひとりで、彼は雪深いその地をめったに離れませんでした。

ヨーロッパの神秘主義者、聖ジャーメインが数百年間も年をとることなく生きたという、さまざまな証言の記録が残っています。これらはほんの二つの例にすぎません。このプロセスをマスターした人々は、西洋では昔から「アセンデッド・マスター」と呼ばれました。またチベット仏教では「シッダ(覚者)」、道教では「解脱者」と呼ばれます。

「完全なマスター」を選択する

「完全なマスター」とは、自己の身体をもマスターするとは、どのような体験なのでしょうか。いつもそうですが、まず最初に、あなたの内なる自己のそれに関する部分にチューニングを合わせます。それから先の方法は、地上で完全にマスターした状態の自分をあなたがどう予想するかで、たいてい正確にわかります。その予想はあなたの魂をかきたてるでしょうか? あなたを興奮させ、高揚させるでしょうか? 喜びが広がる感覚をもたらすでしょうか?

もしもそうであれば、あなたの内なる存在がこう言っていると思って間違いありません。「そうだ! これがいま、神があなたに望まれることだ。そこにあなたのエネルギーを与えなさい」と。もしもその予想で心を動かされないようなら、たぶん今はほかに優先すべきことがあるのです。でも、あなたのマスターした状態は明かされつつあるので、ここで話しているようなことがあなたにとってちょうどよい時に、ちょうどよい方法であなたのもとに訪れてくるでしょう。

はっきりわからないように感じる人は内なる自己とともに深い瞑想空間に入り、完全にマスターしたあなたを思い描くとどうなるか、やってみるといいでしょう。

エネルギーをこのプロセスに投入するよう導かれた人は、内なる自己のその部分と毎日チューニングを合わせたくなるでしょう。そうやってあなた自身のマスター法を獲得するのです。この章の終わりで紹介する方法を練習するのもひとつのやり方ですが、あなたが成長するにつれ、その成長に合うように修正したくなるかもしれないし、あるいはその方法をやめたくなるかもしれません。

若返り――肉体レベル

私たちの身体の再生を徹底的に見ていくことにしましょう。「純粋に物質的」なレベルで、あなたは自分の身体を最大限に愛するようにしているでしょうか? 今のあなたに一番よいと感じるものを食べているでしょうか? 食べ物も私たちの身体と同様に思考形式なので、私たちはどんな食べ物でも自分の身体のためになる振動数に(私たちの思考、愛、光、意図で)変えることができます。たとえばコーヒーやチョコレート、甘い菓子などもです。

でも、この能力が完全に開花するまでは、身体はある種の食べ物――自然の光をいっぱい吸い込んだ有機栽培の果物や生野菜、浸した木の実や発芽した豆――を欲しがるでしょう。とはいえ、肉にしてもそうですが、食べ物に良し悪しはありません。あなたの霊魂と身体の要求に耳を傾けて、その声に従いましょう。また今日では、身体を活性化して状態を引き上げてくれる数多くのすばらしい物質も、新たに手に入るようになっています。

身体が求め、喜ぶような運動を、あなたはしているでしょうか? 身体に光を与えているでしょうか。少なくとも、暖かな日にはそうしているでしょうか。愛情のこもったふれあいや抱擁、快楽を与えているでしょうか。あなたのハートが性的充足を求めたら、それを与えるようにしているでしょうか。セックスについては特に言っておくべきことがあります。スピリチュアルな師の多くが、セックス――特に男性の場弱らせ、老化させると言います。

しかしながら、セックスに関してはさらに高次の真実があります。愛の神聖な行為として存在のすべてをかけて営まれるとき、等しいエネルギーがやりとりされ、チャクラを通って頭頂部まで性的エネルギーが上昇するときは、存在全体にエクスタシーがもたらされ、また強力な悟りの手段となるのです。

呼吸はどうでしょうか? 深く、自由に呼吸しているでしょうか? 空気中の生命力にあなたを育て、維持してもらっているでしょうか? 私は一度、高まった状態になったときに、まわりの空気があまりにも活力と愛情に満ちあふれていて、それを吸い込むだけで自分の身体が若返るように感じたことがあります。空気から欲しいものを招き入れて、受けとるのはよいことです。

これは普通、私たちの心と感情のシフト、つまり物質的なすべてのレベルの祝福を受け入れることを意味します。なぜならば、「純粋に物質的なもの」はないからです。物質界は、思考と感覚の現われです。それは、私たちのスピリットと心から現われるのです。

若返り――感情レベル

感情レベルにおいて肉体の不死化を助けるとは、未解決の問題を片づけるということです。そうした問題の多くは、生涯を通じて身体の細胞や筋肉のなかに保たれ、そこに緊張や重苦しさを生み、しばしば病気もつくりだします。私たちに一番必要なのは、許すこと――自分自身を、過去と現在のすべての他者を、すべての出来事や状況を許すことです。

しばしば許しにさきだって、怒りや恐怖や罪悪感を解放しなければならないことがあります。多くの場合、ボディワークが古い感情を解放するための手段となります。現在では驚くほど多種多様なボディワークがあり、そこから選ぶことができます。

感情の浄化にもっとも必要なのは、潜在意識や意識のなかに私たちが保ちつづけている老いと死にまつわる一連の思いを捨て去ることです。アフリカで聞いたことがあるのですが、ある種族では長老たちによって死を宣告された者は、木の下にすわって二十四時間以内に死が訪れることを待ち望むといいます。みずからの死を命じた後に私たちのなかに非常にゆっくりと沸き起こってくる、自分に対する裏切りの感覚と抑圧された喜びを、想像してごらんなさい!

通常の意識では気づかなくても、この感覚に慣れすぎてしまった私たちは、まるで百ポンドのリュックを背負いながら「重いかって? 何のことだ?」と言っているようなものです。外側の肉体までどっぷりとつかってしまっているこの一連の感情を一掃するのは、並大抵なことではありません。けれどもそれを手放すのは、なんという祝福でしょう!

身体にとって非常に役立つ感情の使い方のひとつは、ひたすらそれを愛することです。そうすると、私たちが今まで身体に下してきた判断を感じることができます。反応が返ってきます。自分の身体を愛し尊重することでそうした判断を百八十度変えると、身体に喜びと高揚と軽さがもたらされます。そしてそれは若返り再生のプロセスに不可欠なのです。

若返り――知的レベル

知的レベルで不死をもたらすとは、私たちの肉体を制約する根深い思いこみをすべて解き放ち、制約のない真実に置き換えることを意味します。

肉体に関する新しい知的構成概念に加えると役に立つ知識があります。再生のプロセスにはチャクラ、すなわち身体の七大エネルギー・センターが欠かせません。これらのセンターが回転する回転率と、速度の相対比率が、肉体の若さと活力に直接かかわるのです。

思春期がすぎ、年齢を重ねるうちに、その回転が遅くなっていきます。けれども、そうする必要があることを知り、そうなるだろうという意図をもつことによって、その速度を再び上げることができます。このプロセスについて書かれたよい本を紹介しましょう。ピーター・ケルダーの『若き泉』(河出書房新社)です。ただし、セックスに関する部分だけは私と意見が異なります。

チャクラにともなう無導管腺も、再生のプロセスのために「呼び出され」ます。頭頂部のクラウン・チャクラにともなう脳下垂体もしくは主腺は、これらのなかでもっとも重要です。思春期が終わると、肉体は老いるという私たちの命令を受け、脳下垂体が死のホルモンをつくりはじめるのです。

脳下垂体はまた、他の内分泌腺に指令を出して、従わせます。「第三の目」のチャクラにともなう松果体や、のどチャクラにともなう甲状腺、心臓チャクラの胸腺、太陽神経叢の副腎、そしてルート・チャクラの再生産腺(卵巣もしくは睾丸)・・・・。私たちはこれらの内分泌腺を、愛と喜びをもって再生のプロセスに協力するという真の仕事に目覚めさせることができるのです。

若返りの個人的な体験

ここで私自身の若返りの体験を手短かに話したいと思います。そうしたほうがこの一文の信憑性と重みが増すでしょうし、これがより大きな贈り物になるからです。

再生が可能だとはじめて気づいたとき、私はなみなみならぬ興奮と熱意をもって「若返り」のプロジェクトに入りました。そしてそれはうまくいきました――しばらくのあいだは。自分でも変化がわかったし、何も知らない他の人たちも、一様にうまくいっていることを知らせてくれたのです。

けれどもその後、私は何度も行きどまりにぶつかりました。私にはそれを打破する力もないように思えました。それを何度もくり返し、私の失望はどんどん深まりました。若返りにも悲観的になって、私は何もかも投げ出したくなってしまったのです。

私を阻んできた壁、つまりある種の思考で形づくられたバリアーが見えたのは、一九八九年の秋のことでした。

その壁に私は勇猛果敢に立ち向かいました。瞑想のなかで、私はその低い壁を目がけて緑の草原をまっしぐらに飛んでいき、壁のなかに飛びこみました。壁の内側には、まっ黒で丸い思考形式がありました。そのなかに飛びこんでみると、そこには私自身あると思ってもみなかった死の恐怖があったのです。

私が飛びこむと、それは空中に、無のなかに吹き飛びました。消滅したのです! すべてをはっきりと体験するまで、私は数週間かけて何度もその壁のなかに飛びこみました。

一九九〇年の秋に、もうひとつの大きな突破口が開きました。直接、脳下垂体に情熱をこめて話しかけるようにという導きを得たのです。私は言われたとおり、今まで死のホルモンをつくってくれたことを脳下垂体に感謝しました。

そして私が無限の神であることを思い出したこと、私の肉体を再生したいと思っていることを脳下垂体に告げて、即座に死のホルモンの生産を中止し、生命のホルモンをつくりはじめるようにと命じました。

するとどうでしょう! 私の頭頂部全体が開いて、そこに光が注がれたのです。私の脳下垂体は歓喜に打ち震えました。そして私にこう言ったのです。「嫌な仕事からやっと解放されて、これほどありがたいことはありません。これからは私の本当の仕事ができます!」と。そのとき以来、私はさらに他の内分泌腺について学び、完全な再生方法の指導も受けてきました。

これから再生に関する私の知識と、体験に欠くことのできないプロセスを紹介します。どうかあなたの「聖なる自己」――迷いのない、穏やかで力強く、愛し愛されるあなたの自己を、できるだけ近くに感じる状態に入って読んでください。

若返りを阻む障害を取り除く

若返りと死の超越へと私たちが向かうとき、だれにも共通して立ちはだかる思考と感覚の壁がいくつかあります。そうした壁とともに、それを突き破る際に役立つ「真実」という解毒剤を以下に挙げていきましょう。そうしたくなったら、確信と情熱をもってそのにある真実を声高らかに読みあげてください。

1. 若返りなど不可能だ。老いも死も避けられない。

〈真実〉美しさと完璧な健康は、すでに私の真実です。若返り――年齢の癒し――は、傷の癒しと同様に自然なことです。死と老化は決して自然なことではありません。「神であるわたし」には、若返りに必要な愛と光とパワーと知識と決意と忍耐のすべてが備わっています。

―(103P)―

2. 老いと死が恐ろしすぎて、かえってそれを引き寄せてしまう。

〈真実〉老いることは怖くありません。顔や身体がどのようになろうとも、私の魅力は少しも損なわれないのです。私は「神であるわたし」を通して、老いへの恐怖を癒します。死は怖くありません。かりに死を選択したとしても、私は光に入っていき、最愛の「聖なる自己」と、すでにこの世を去った愛する人々に暖かく迎えられるでしょう。私は彼らに手厚くもてなされ、そして新たなすばらしい体験へと旅立っていくでしょう。私は「神であるわたし」を通して、死にまつわるすべての恐怖を癒します。

3. 私には若返る資格などない。

真実〉私は愛を一身に受ける汚れのない者であり、今まで一瞬一瞬、つねに真の学びを胸に、最善をつくしてきました。神は永遠に汚れることのない者として、私をおつくりになったのです。私がしたことや、したかもしれないことが何であれ、私が汚れることはありません。本当は私は、いまだかってひとりの人間も傷つけたことがないのです。なぜならば、人はみなそれぞれに全体性をもつ永遠に神聖なる存在であり、その時々の自分にとって最善の成長と行為をしてきているからです。私は自分自身を完全に許します。私は「神であるわたし」が私を創造したという事実を受け入れます。

4.人と違うのは危険だ。きっと理解できない人たちに虐待されるか、殺されてしまう(これは私たちの多くの過去生体験のひとつです。)

―(104P)―

〈真実〉私は「神であるわたし」を通して、過去生のすべてを癒します。私は安全で、聖なる存在や私が呼びかけるその他のマスターたちに完全に守られています。私は世の中で安全で、愛されていて、すべての人々が私の若返りと死の超越を暖かく支えてくれます。

5.私は嫌われるだろう。ひとりの友もいなくなるだろう。社会から追放されるだろう。

〈真実〉これはすでに多くの人々が行なっていることだし、その人数は今も増えつづけています。古い友人や家族は離れていくかもしれません。でもそのかわり、たがいにひと目でそれとわかるすばらしい友にめぐりあうでしょう。

6.もしも私が若返り、死を超越したら、すでに老いたり死んでしまった家族や友人を裏切ることになる。彼らを愛するということは、彼らと同じようにすることだ。

〈真実〉家族や友人のために私ができる最大の愛情行為は、だれもが若返り、死を超越するパワーと愛をもつ神であることを私の例をもって彼らに示すことです。

7. 若返ったら、地上に縛りつけられてしまう。

真実〉若返りと同じプロセス「神であるわたし」とひとつになる体験を通して、私は肉体とともに光のなかに入る方法も学びます。そうすれば、私にとって正しい時に地上を離れることができます。地上界とより軽い世界とを行き来することもできるでしょう。

―(105P)―

8.もし、私のために時間が変化したり、私の身体が変わったりしたら、自分自身の正体がわからなくなってしまう。

真実〉私は永遠の今です。私は「神であるわたし」です。この定義が他の何よりまさり、そしてそれをいま、私は受け入れます。

私たちの文化においては、こうした思考形式はどれも普遍的なので、だれもがある程度はそういうものをもっているでしょう。どの問題にしても、そこから抜ける方法は思考です。ここで、あなたが手放すべきだと感じられるものをひとつ選んでください。神の存在か好きなマスターに呼びかけ、あなたとともにいて、ともに体験してくれるよう頼みましょう。さあ、勇気を奮い立たせてください。そのなかに飛びこむか、滑りこむのです。それを感じてください。ただし、深く、深く入っていく動きを止めてはいけません。このとき、ひとつの問題が二つかそれ以上に分かれて複雑になることもあります。もしもそうなったら、このプロセスをくり返すことにして、一度にひとつずつやりましょう。

ひとつ選んで、そのなかに入ってみるだけでも最初は十分です。実際にやってみると、その形が空中分解するか、あるいはあなたがそこから出るかして、彼方まで広がる外の空間が見えてくるでしょう。その空間に飛びこんでください! その形が本当に小さな点になるまで下に落とすか、あるいはあなたが上にのぼっていきましょう。そして自分に「あれは私がつくったのだ」と言ってください。あなたがそれをつくった神であることを、心の底から受け入れてください。腹の底までそれを受け入れてください。そうしたら、「つくっても大丈夫」と言って、その感覚を味わってください。

次に、それが存在する唯一の理由を見ましょう。なぜならば、あなたがそれを置いたからです。あなたは毎日、創造エネルギーをそれに注ぐことを選択し、存在させつづけてきたのです。あなたがエネルギーを与えなければ、それは存在できません。そうしたいですか? それともそれを消し去りたいですか?

もしもそうなら、その方法を選択してください。私なら、まずそれに感謝します。私のために働いてくれたことに感謝して、そのエネルギーを私の新たな創造物のなかに招き入れます。それから大きな赤い電気のスイッチが「オン」に入っているのを思い描きます。そして頭の上に両手をあげて「ビューン!」と言いながら、同時にそのスイッチを放り出します。その形が下のほうで針の頭ほどに小さくなって、爆発して光になるのを見ます。

さあ、あなたは何を新たにつくるのでしょうか? あなたの思考に対する真実の言葉を見て、助けてもらいましょう。新たな創造物をつくりながら、それを感じます。それを楽しみます。深く受け入れます。その後数週間(もしくは数ヵ月か数年間)、それがあなたにとっての現実となり、「当然」になるまで、あなたのエネルギーを与えつづけてください。

以前の形が戻ってきたら、それがまだあなたのために何らかの方法で働いているのだと認識して、その正体を感じるように努めましょう。すると、しばしば重なりあった問題の層がはがれてきます。準備できたと感じたら、このプロセスをくり返します。このワークは非常にパワフルで、いらなくなったものを消し去り、欲しいものをつくりだすために私が今まで使ってきたなかでも、もっとも良い方法です。

以下のプロセスは、はっきりと、情熱をこめて、声に出して、それもできるなら大きな声で言うようにつくられています。あるいはテープに録音しておいて、目覚めているときでも眠っているときでも再生して聞くといいでしょう。

死を解放する

死に関するあなたの思考あるいは感覚のなかに入って、さきほど説明した解消のプロセスを行なってください。ここでもまた、解消すべきさまざまなものが見つかるでしょう。ここではしばしば、過去生での恐ろしい死が登場してきます。それとともに、もはや死ぬしかないという強い思いやそれにまつわる恐怖も出てきます。こうした問題は数日かそれ以上の時間をかけて、ゆっくり片づけたい、あるいは片づけはじめたいと思う人もいるでしょう。

私は、私の源である神から切り離されていると今まで自分が考え、信じてきたことを許します。そしてその考えから生れたあらゆる欠乏と制約の体験を許します。私は、これまでみずから死を、老いを、病気やその他の制約の体験をつくってきたことを許します。つねに自分にわかる範囲で最善をつくしてきたことを、私は知っています。だから、有限の思考から生じた体験で自分を裁きません。

今こそ、私は死を放棄します。肉体の老化や病気、その他の有限の思考が私の身体に与えてきたあらゆる作用をすべて放棄します。私は年齢という概念を放棄します。「わたし」は年齢のない永遠の存在なのです。私は、この光の形は必ず死ぬというふりをして「群衆のひとり」になることへの執着を放棄します。私は死と、あらゆる形のなかで――身体だけでなく、心や感覚でも――死にゆくことへの感情的な執着をすべて放棄します。私は葬式を、葬儀場を、墓場を放棄します。私は、生命がなくなるという概念を放棄します。私はいま、喜びとともに永遠の生命を受け入れます!(ここでしばらく時間をとって、この言葉をしみこませましょう)

私は、「わたし」が神とひとつであることを知っています。「わたし」は、私の自己として表明される驚くべき存在です。「わたし」は光です。「わたし」は愛であり、喜びであり、パワーであり、智恵であり、すべての知識であり、自由であり、無限であり、完成された私の真の自己です。「わたし」は永遠に広がる生命です。

この完成によっていま、かぎりなく真実を思考する心、私本来の愛と喜びの感覚、若返り再生された肉体が、私の生命のあらゆる領域で充分に発現され、病いの症状という、そこに表わされる神の本質が癒されることを許し、それを招きます。

私の身体は永遠の生命であり、全体性と完璧さを失いません。それは今も、これからも、永久に神の表現です。私が望むかぎり、たえまなく増しつづけるこの身体の美しさと強さ、そして健康と活力と喜びのなかで地上に生きます――私が望めば、私は千年でも二千年でも生きることができます。そして地上界を去る準備ができたら、この身体とともに光のなかに入り、いかなる身体もあとに残しません。私は、私という存在のこの真実に感謝しています。ゆえにそうなります。

死と老いを完全に手放し、あなたの生命力を受け入れたいと思うなら、この努力に忍耐と一貫性を与えてください。絶対の信念は簡単には死にません。潜在意識のレベルでは特にそうです。かりにそうなるまで十年や二十年かかるとしても、この「最後の敵」に私たちが屈服してきた数累代に比べれば、ほんの一瞬にすぎません。

―(109P)―

死について今まで抱えてきた恐怖や思いこみに直面し、それを突き抜けて完全に光の存在となるまでには、時間がかかるかもしれません。けれども、じつはそこに向きあう勇気があなたの生命表現を解放するのと同じエネルギーであることに、あなたは気づくでしょう。だから、このワークをすることで活力と喜びが増すのです。このプロセスを行なっているあいだ、あなたを導いてくれるよう、あなたの内なる自己に頼んでください。そうすれば、あなたにとって完璧な時に完璧な方法で進んでいけるでしょう。

生命のために潜在意識を一掃する

最愛なる潜在意識よ、愛しています。そして、今まであなたが死のプロセスをつくりあげる手助けをしてくれたことに、そのようにして私を守ろうとしてくれたことに感謝します。あなたは完璧にその勤めを果たしてくれました。

あなたに知らせたいことがあります。私は考えを変えました。「わたし」であることを、無限の神であることを思い出したのです。私は死ぬことではなく、生きることを選択しました。私の身体を若返らせることを選択しました。その選択によって私たちが危険な目にあうことはありません。私は安全です(これが潜在意識にとって最大の関心事です)。だからあなたに協力してほしいのです。協力してくれますか?

そうしたら、潜在意識の反応が感じられるかどうか、あなたの深い感覚でのぞきこんでみましょう。潜在意識の正直な反応にまかせてください――これは非常に大きな一歩なので無理じいは禁物です。

潜在意識の答えは「えっ?」とか「とんでもない」かもしれません。「もっと情報が欲しい」と言ってくるかもしれません。あるいは「私もそれを考えていたところだ」とか、「そうしよう!」という答えかもしれません。潜在意識は基本的にはあなたに強力したいのです。しかし、全面的なサポートを得るには忍耐と粘りが必要でしょう。

とはいえ一度潜在意識があなたの若返りプロセスに同調すれば、あなたの成功は保証されたも同然です。

脳下垂体の死のホルモンを一変させる

最愛なる脳下垂体! 死を信じていた私の要求通りに、今まで死のホルモンをつくってくれたことに心から感謝します。

あなたに知らせたいことがあります。私は自分が「わたし」であることを思い出しました。「わたし」は無限の神です。私は死と老いは現実ではないと気づきました。そしてこの身体を若返られることを選択しました。

愛をこめてあなたに命じます。ただちに死のホルモンの生産を中止して、生命のホルモンをつくりはじめなさい。

さらにすべての内分泌腺を目覚めさせ、この再生プロセスに喜んで強力するようにしてほしいのです。ありがとう!



これをあなたのなかに浸透させます。死のホルモンの生産が止まる様子を思い描いてください。そして生命のホルモンが全身に満ちあふれていくさまを見て、それを感じましょう。あなたの身体のあらゆる腺や器官、骨や筋肉、細胞や分子がことごとく元気になっていくのを感じてください。身体の反応を感じましょう!

―(111P)―

これを何度もくり返してあなたが今までの生き方に戻るのを防ぎ、新たな方法が根づいて強化させるようにするといいでしょう。くり返すときは言葉を変えて、脳下垂体が死のホルモンではなく生命のホルモンを生産しつづけていることに感謝してください。

ライトボディ

潜在意識にとっては、想像されたすべての事態が現実なので、ヴィジュアライゼーションの体験であなたのマスターを早めることができます。

こうなりたいと思うあなたの姿を視覚化してください。たぶんそれがあなたのライトボディ、完璧な若さと健康と美しさをもち、限りないエネルギーと活力がみなぎる、あなたの身体の本当の姿なのです。その身体はもう、あなたのものです。そして、それこそがあなたの肉体に意図された姿、私たちの文化の有限の思考を信じなければそうなっていたはずのあなたの姿なのです。

あなたの「わたし」である自己にこの美しい身体のヴィジョンを与えてほしいと頼んでもいいし、あるいはどんなものかと想像してもいいでしょう。それをはっきりと見て(一度にすべてが現われるというよりも、しばしば断片的に見えます)、あなたの準備が整ったら、そのなかに入ります。

さあ、あなたの身体の光のエッセンスを感じてください。まるで器官がひとつもないように感じたり、そういうものとは関係ないように感じるでしょう。完全に調和してストレスがまったくないのを感じるかもしれません。あなたの身体の各部の一つひとつの分子が、その現実である「神の光」を放っているのを見てください。

この光の輝きが増すにまかせ、そしてそのまばゆい光が神の考えたあなたの身体であることを悟ってください。その光が身体を輝かせ、実際に身体を吸収してすべてをあなたの「聖なる自己」の真の完全体へと変えていくのを見ます。しばらくのあいだ光になる体験、あなたの真の本質になる体験を楽しみましょう。

このプロセスでは、忍耐をもつべきです。鏡は無視することにして、あなたのライトボディが身体を通して輝くのを見てください。しばらくのあいだ、身体のほうは年をとりつづけるかもしれません。けれども、自分は「聖なる自己」やそのもろもろの善と一体である、という真の受容があれば、ライトボディがある程度まであなたの地上での身体となるでしょう。

若返りのプログラム

このプログラムは瞑想と活動の二部構成になっています。

1. 瞑想

瞑想に入ります。中心に集中し、地球としっかりつながっているのを感じましょう。深く、静かに呼吸してください。全身を順にリラックスさせてください。頭を切り離して、気持ちをくつろがせます。外なるあなたに祝福を与えてください。

それぞれのチャクラを……

・開きましょう(開くのを見て、感じてください)。

・無限に放たれる光で満たします。

―(113P)―

・そこに付随する内分泌腺を目覚めさせます(あるいはそうなると断言しましょう)。そしてそれがあなたの再生プロセスに喜んで全面的に協力する様子を見ます。

・チャクラの回転(時計回り)を最適な速度まで早めるか、あるいは最適な速度で回りつづけると断言しましょう。

チャクラと内分泌腺

・クラウン・チャクラ――――脳下垂体

・第三の目―――――――――松果体

・のどチャクラ―――――――甲状腺

・ハート・チャクラ―――――胸腺

・太陽神経叢――――――――副腎

・腹腔チャクラ―――――――すい蔵

・ルート・チャクラ―――――卵巣/睾丸

あなたの身体を神の身体として感じ、見てください。次のように言って、それを感じましょう。「これは神の身体です。神がこの身体をつくられ、この瞬間も神が手なおしなさっています。神なくして、私が身体をもつことはありません。神の意志やエネルギー、愛、知性、そして生命がこの身体にゆきわたり、すべてを気づかってくれています」

―(114P)―

神はこの身体を通じて、この身体によって、その完全さを表現しています。これは神の鼓動です。これは神の呼吸です。これは神の肝臓、神の腎臓、神の器官、神の内分泌腺、神の骨、神の筋肉、神の免疫システム、神の目などです。

「私はこの身体の以前の定義を放棄します。以前の見方を放棄します。」


「この身体はいま、再生あるいは若返りしつつあります。私はこのプロセスが成功するよう、私の身体のすべての分子のなかで神、そして私の『聖なる自己』が働いてくれるようにします。この身体は日に日に、完璧なライトボディへと変わっていきます。私の筋肉は強くて(あるいは強くなりつつあり)、肌はなめらかで透きとおり、顔も首も若々しく、私の目も完璧です(など)」

あなたの完璧なライトボディを視覚化してください。そのなかに入って、それを感じましょう。それになってください。時間をかけ、できるだけ完全にこれを感じます。

この変化が起きているあいだ、鏡は無視して、外見の年齢にも、うまくいかないように見えるプロセスにもとらわれないと決意してください。

頭と心であなたが注目することが必ず現実になることを、覚えておいてください。現実化してくるまでにそれほど時間はかからないものなのですが、なかなかそうならないように感じるかもしれません。そのときはそれで良しとしましょう。

2. 活動

前出の『若き泉』に書かれた日課にしたがって、五つか六つのチベット儀式(身体エクササイズ)を行なってください。一日のはじまりの言葉は次のようなものになるでしょう。「このプログラムに感謝し、敬意を表します。今からこの儀式で多大な恩恵を受けた人々にチューニングし、彼らとともにこれを行ないます」そして実行します。このとき、その儀式があなたのために完璧に働いていることを感じ、それを見てください。

一日の終わりには次のように言ってもいいでしょう。「私の若返りの仕事を、全面的に私の『聖なる自己』にゆだねます。その仕事は今日一日、今晩じゅう続き、私が選択するかぎり何日でも、何週間でも、何年でも続きます。私はそのことに感謝します。だからそうなってください」

しばらく最善をつくしてみて、何も起きないように感じたら、それはあなたが何らかの形で成功を阻んでいるということです。よくありがちな思考や感覚の障害をチェックして自分自身をすっきりさせ、真の意図を形成して、その意図に基づいてやってみてください。

プロセスを自分に強いているような気がしてきたら、休みましょう。すべてのワークと休息を、最終的な成功のもとに置くのです。そうすれば、それは本当にあなたのためにやってきます。

この試みをおこなうあなたがたすべてに祝福を!