私事ですが・・・ちょっと今の思いを書きたいと思います。


5月12日 午前


私をマネージャーとして育ててくださった恩師が天国へ旅立ちました。

まだ60代の若さで・・・むっちゃはやすぎます。

頭ではもう居ないんだとわかってても、実感がない・・・

母校の体育館に行ったら、また怒鳴り声を聞けそうで・・・

「またおまえか~、」

って小憎たらしい声で迎えてくれそうで。

ほんまにもう居ないなんて信じられません。


先生には、ほんまに感謝というかそれ以上の思いでいっぱいです。


「アホマネージャー」っていっぱい怒られて、理不尽な怒られかたもしました。

めがね越しに見る目はむっちゃ特徴的で、怒るとでっかい声で怒鳴るし

眉間にぎゅっとしわ寄せて、何回「むかつくー」って思ったことか。笑


部活の合宿があると、私が食堂で選手のご飯を作っていると「なんやー今日は」

って、つまみ食いでいっつも無言で立ち去って。

決まって一回は必ず油ぎとぎとの「天ぷら」作ってくださって、私の料理よりも

選手は楽しみやったんちゃうかなー。


「へたくそ~」

「おまえら、考えて行動せーや!!」

「あほかー!!」

って、体育館にむっちゃ毎日響いてたなー、先生の声。

みんな「また、おっさん怒ってる」とか言いつつもちゃんと聞いてたなー。


試合の時はいっつも隅の方で見てないふりして見て、影でむっちゃ応援して

くれはって、先生、選手たちはみんな知ってましたよ。


先生の授業も、体操とかテニスとかほんまに楽しかったです☆

ここでも「へたくそ~」を連発で。 

ほんまに、人をけなすのうまいですよね。

だからほめrあれたらむっちゃうれしいんですよ。


もう先生の怒鳴り声・・・聞けないんですね。

体育館に行ってももう会えないんですよね。


先生にまだまだ教えてもらうことが山ほどあったのに

教育実習でまた会えると思ったのに


ほんま

先生、はやすぎますよ。


亡くなる1日前後輩から連絡もらって、バイトの人に迷惑かけながらも

先生の病院に行って、先生を見たときいっぱいいっぱい思いがこみ上げてきて

先生の姿見たら、もうほんまに辛かった。弱くなった先生を見るのほんまに

辛かった。「しんどいんや~」「いたいんや~」

手をぎゅっと握って、自分の報告とか進路とかとにかくちゃんとつたえました。

「絶対夢実現させます!!」

ってゆったら、「おう」といわれて

「人生はな、ほんまに甘もないぞ。でもがんばれよ。がんばれよ。貫けよ」って。


これが最後の言葉でした。絶対に忘れません。



この先生が私をマネージャーとして育ててくださいました。

この先生がいなければ、今こうしてマネージャーをしてませんでした。

マネージャーの何もかもが母校である平安女学院の体育館から始まり、こうして

今水球のマネージャーである自分があります。


何かがこうして先生との出会いを作ってくれてその縁がいろんな形で繋がって

行きました。


いつまでもめそめそしてたら、天国から「あほかー」って怒られそうです。

でもね、そんな簡単にこの悲しみは乗り越えられませんよ。

だからもうちょっとだけ泣いてしまう日が続くと思います。

22日母校で追悼式があります。もちろん参列します。


二上先生

先生、痛みなくなってよかったですね。

もう苦しまなくてもいいんですよ。

痛かったでしょ。

先生が居なくなってほんまにかなしいいです。

でも、先生は絶対体育館にいそうですね。

練習とか、生徒の様子をずーっと見てくれてそう!!

先生に会いたくなったら体育館に行くことにします。

いつか絶対「夢」実現させて報告に行きます。

私むっちゃ弱気になるときあるので、そんなときはまたおこりに来てくださいね。

先生から教えてもらったこと、忘れません。

体操部の一員として、マネージャーとして居られたことほんまに誇りに思ってます。

ほんまに・ほんまにありがとうございました。


最強のアホマネージャー:ともみ



なんかほんまに私事ですいませんでした。