【長女のこと】ろう重複障害児の居場所を探して | 娘3人たくさん笑って大きくなぁれ

娘3人たくさん笑って大きくなぁれ

30代 専業主婦。
三姉妹を育てています。
長女には障害あり。
ぽけーっと過ごす日々の中、
感じたままに綴っていこうと思います。

長女がまず最初に診断を受けたのは

生後3ヶ月ぐらいの時かな


先天性感音性重度難聴👂

正確には、難聴の程度は赤ちゃんのうちはハッキリとは分からない。


その後、自宅から一番近い ろう学校

療育障害児を対象にした個々の発達を支援する場に通い始めました


月齢を重ねるにつれ、

運動発達の遅れが目立ってきて

年齢を重ねるにつれ、

知的発達の遅れが明らかになってきました 


重度難聴であり、さらに肢体不自由知的障害を併せ持っているのが うちの長女なのです立ち上がる


2歳児までは、ろう学校の療育に通い

難聴のある子供達といろいろな活動をしました

そして、難聴児の親に向けた指導もいろいろと受けました


3歳児となり、

同級生は ろう学校への幼稚部へと進みました

でも長女は重複障害児であり、幼稚部への入園は叶いませんでした


そのため次に通うことになったのは

肢体不自由児を専門とした療育施設でした

こちらは、集団活動の他、身体のリハビリも盛んに行われていました

3歳児から就学まで、3年間通いました


しかし、難聴児を専門とした施設ではありません

手話のできる職員さんはほぼいないし、

お友達も手話はできません

私がつきっきりで長女へ手話通訳をしながら通った施設でした


ろう学校では難聴児にあわせた視覚的な情報が多く、何より手話が飛び交う環境

でも娘はまわりのお友達のように上手に動けないし、知的レベルの低い娘はみんなと一緒に遊べない


肢体不自由専門の施設では、身体の成長をフォローしてくれるが、娘に入る情報が少なすぎる


あぁどこなんだろう

娘がいるべき場所は

娘にしっくりくる場所は


どこにいても何か違うような

娘にとっての居場所がどこなのか

心のどこかにずっとモヤがかかっているような

そんな気持ちで過ごしていた幼児期でした