わたしは常に、、、
わたしにしか出来ないことを追求し、、
今もなお、、、わたしにしか出来ないことは何か、、、常に夢を持ち、模索し、挑戦する姿勢を大切にしています、
宝塚に在団中、、短い休みを利用し、、、、
ロサンゼルスのダンススタジオにダンス留学に行った時の事、、
Debbie Reynoldsというスタジオで受けまくった、
Dacia James 先生のヒップホップジャズのクラスでは、、、、毎週金曜日、週末にスタジオ内でオーディションのようなものがあり、5.60人いる生徒のなかから、先生の目に止まった、輝いているダンサー3名が選出され、センターでスポットライトを浴びながら、その3名が踊る💃、、、、というスタイルの、、、ハリウッド現地の、、、それはそれは、
刺激的なクラスがありました
しかも、、、、クラスの生徒達は、全員前に座り、選抜された3名のダンスを見る、、、、、
最初は、現地のヒップホップジャズのクラスに全くついていけず、
もちろん3名にも選んでもらえず
周りのエネルギーと、世界レベルの才能に、、ただただ圧倒され、、研9だったわたしは、、自分の舞台人としてのレベルの低さに
ひたすら落ち込み
日本では目立つ方だったのに
ロサンゼルスでは誰の目にもとまらない、、、
何も突出できないじゃないか、、、わたしって地味じゃん、、
と、、、
個性がない自分に初めて出会いました
日本ではちょうど、パーチェスターをさせていただいていた頃ですから、、、、少しずつ自分の舞台に自信が持てそうになり始めていた頃←もちろん、まだまだカスでしたが自信を持ち始める頃がタカラジェンヌは一番危険自信持ってしまったら、、成長が止まってる証拠
わたしはしっかりと、、
ロサンゼルスで鼻をへし折られました
凹む日々をおくりながら、、、、
選ばれた3名と私は何が違うんだろう?
そう思って、毎日毎日Daciaのクラスに通いまくりましたDaciaのクラスについていけるように、朝から晩までヒップホップのリズム取りクラス、バレエ、ジャズを受けまくり
天才的にうまいダンサー達に埋もれながら、歯をくいしばって通ってました
そして、、、
次第に気がついたのは、、
それまでのわたしは、必死にDaciaの動きの真似ばかりをしていて、、、周りに付いて行かなきゃ!と思いすぎていたこともあり、
自分のやりたいように、自分の感性を表現していなかったことに気がついたのです
選抜される3名は、とにかく個性が豊かで、振りは完璧に覚えているし、リズム感も半端ないものの、
彼らには、ほかの人にはない、独特の、、、
「味付け」があった
それに気がついてからは、、、
必死にひたすら恥を捨て、、全力で自分の感じたことを発信してみようと、がむしゃらに、、死に物狂いでレッスンに通い、わたしにしかできない表現で踊っていたら、、、
ある日、、、
二メートルほどあるであろう素晴らしいスタイルの、かなりステキなイケメン男性ダンサーの二人と、日本からきたダサいハーフの女の子であるわたしを、なんとDacia先生は選んでくれたのです、、、
そう
わたしは周りにいる、ボンキュッボーンな、女性ダンサーのようなセクシーさは全くないし、ヒップホップも宝塚ではやらないから、黒人の横に並ぶと、明らかにダサい、、、
なにで勝てばいいか??
寮に帰って、泣きながら考え、、、、
わたしは、
「男役」として味付けをしたらいいじゃんって思ったのです
ないものにばかり目を向けてる人のダンスに魅力があるわけがないのです選ばれるわけもない
そう思った瞬間から、わたしのダンスは変わりました。踊っていても、誰かと人を比べることもなくなり、楽しくなってきたのです
お前らに男役ができるかー!と言わんばかりにキザリながら踊りましたしかもヒップホップを
本場の黒人ダンサーの前で
さそがしダサいやつだったでしょう笑笑
でも、
それを見たDacia先生が、男役として踊るわたしを、わざと黒人のイケメンダンサー👯♂️と並べ、、
なんと、5.60人の中から私を選んで下さったのです
そして先生は、生徒のみんなに、
「みんな、TRACYを見て←(アメリカではトレイシーという名前です。)とってもセクシーで、かっこいい動きなのよ彼女、まるで男性のような動きをするの わたしはTRACYに、終始目が釘付けになったわ」
と、、、
私は内心、このイケメン二人と並んだら終わりじゃないかと焦りまくっていたのですが、、、
Daciaの口から、セクシーなんて出るとは夢にも思わず
超嬉しくてこちらが、鼻血が出そうになってました
あのロサンゼルスへのダンス留学は、
自分にしか出来ないことを探すことの大切さに気づかされた、、、
とーってもいい経験になったのでした
あの日から、、
全力で出来る限り自分と向き合って
ピンと来ることすべてやってみようじゃないか
とにかく、、
歳を取れば、今まで出来ていたことが出来なくもなる。
ヤムナもそう。わたしよりうまい先生は沢山いるでしょう。
でも、わたしのように宝塚に20年いて、日舞にバレエ、タップダンス、宝塚に入る前はフィギュアスケートと、様々な動きをさせていただき、公演中、
顔面骨折、両足靭帯損傷という怪我を経験し、
声が出なくなったり、突発性難聴になりながら歌うなど、、、人が経験出来ないことを経験させていただきました。
そこにこそ
私にしかできないレッスンが、必ずあると信じています
だから、わたしはわたしのレッスンに自信があります
わたしにしか出来ないことがそこにあるからです
そして、カルチャースクールだってそう。
私にしかわからないこと。私だから見える景色。私の経験からわかること。
わたしにしか出来ないことが必ずそこにあります。
人と同じ土俵にいたら勝てないことばかりです。
だから私は、誰と戦うのでもなく、
自分にしか出来ないことを、ひたすら追求し続けることにしています。
ないものに目を向けたらキリがないです。ないものだらけです。
宝塚の後輩たちにも伝えたい。
あなたにしか出来ないことを見つけたら、それが本当の勝ちなんだよと
私はないものだらけでしたが、、、
わたしだけが体験してきた、経験という財産があります。
人には話してない話が山ほどある笑笑
自慢にならないような苦労話もたっぷりある
だから、、私にしか出来ないことをこれからも探し続けて、、、、
全力で生きてみせる
それが私の生き方であり、
私の人生なんだと思います
長々と失礼しました
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