4回生DFの名井遼太郎と申します。
まず初めに、OBOG並びに立命館大学ラクロス部関係者の皆様、日頃より幣部を応援してくださり誠にありがとうございます。皆様のご支援のおかげで何不自由なく活動ができ、今年度1部奪還というチーム目標を達成することができました。4回生はこれにて引退となりますが、今後ともご指導ご鞭撻のほど何卒宜しくお願いいたします。
ブログを回してくれた太樹は、2回生からリーグ戦で活躍し、3回生で半年間渡米、帰国後ラストイヤーでは得点王、ベストテン、リーグMVPの三冠を達成した輝かしい実績を持つ立命館ラクロスの宝です。
練習中は何度も彼のアンダーに殺されかけましたが、その分リーグ戦で点を取りチームを救ってくれました。これからも彼のアンダーに憧れた後輩たちによって3グラの屍になるDFが気の毒です。
そんな太樹とは唯一のバイク通学仲間です。ナイター後に近江大橋を爆走した夜が早くも懐かしい。そろそろ変な音のするPCXは手放せよ。
紹介はこれくらいにして、本題に入りたいと思います。
「今しかできないことをやれ」
小さいころから親父にずっと言われてきた言葉だ。
大きな岐路に立たされた時、どんな時もこの言葉を道標にしてきた。
家庭の事情で多くの大学生と幼いころから関わりがあったというのもあり、「大学生」という時間は自分の人生を形成する上で最重要な期間と思っていたし、今も変わらず思っている。
だって今の自分の1万円と、もっと大人になってからの1万円、今の自分の1時間と、60歳になってからの1時間って絶対に価値が違う。同じお金や時間でも、それによって得られる価値は何倍にもなる。
その上、世の中には大学生にしかできないことが無数にある。
だからこそ、大学生の時間をどう使うかについては無茶苦茶考えてから決めようと思っていた。
高校時代に苦楽を共にした岡田の誘いでラクロス部の体験に行き、衝撃を受けた。大学生の体育会って高校までとレベルが違う。本気で何かに打ち込んでいる人たちってかっこいい。9割が未経験だから初心者でも大丈夫。学生が主体となって考える。厳たる求め合い、人間的成長。人生最後の青春を!
今思えばその数年後に新歓で何度も言うことになるフレーズだが、まんまと心打たれてしまい、何をやるかじっくり考えるという決意も儚くほぼノータイムで入部を決意していた。
何より本気で学生日本一を目指す当時の4回生の先輩の姿が強くてデカくてかっこよくて、自分もこんなカッコいい男たちのいる環境に身を置きたい、そう思った。
1回生の頃はひたすらラクロスと1回生チームが楽しかった。
授業抜けが全くなかったのでコーチとずっとラクロスしていた。ウィンターは関西3位、あかつきも西日本2位とチームの結果もそれなりにあったし、何よりみんなで作り上げていくチームの一体感が心地よかった。
欲を言えば、最後までこのメンバーで戦いたかったよ。10人は減ったかな。
2回生ではもっとラクロスに集中したくて、当初からやりたかったシェアハウスを始めた(笑)。あれはあれでかなり楽しかった。
チームとしては毎試合ベンチには必ず入れて貰えていたものの、前川のとんでもない活躍を横目に声を出す事しかできなかった。でも、リーグ戦7位のどん底から1カ月でチームを改革し、1部残留を果たした偉大な先輩方の背中を見て、心が震えた。
冬はずっとラントレで、シーズン中は毎晩9時からビデオMTG、正規練ではマックスと一生1on1してたな。一番戻りたくない時期かもしれない(笑)
3回生は間違いなくラクロス人生の転機だった。春先でのヘルニア発症で、半年間のラクロス禁止。同期がどんどん主力として成長し活躍していく中で、何もできない自分は動画を見てリハビリするしかなかった。
リーグ戦開幕に無理やり復帰を間に合わせて、ちょくちょくリーグ戦に出られるようになった。神戸戦・京都戦は前川の欠場という特大事件も重なりスタメンとして出させてもらい、狙われまくったけど京都戦の勝利は本当に嬉しかった。
でも、2部降格。
前川の復帰でまた出場機会が減った結果、入替戦は1秒も出ることなく降格が決まった。
大経の勢いは知っていた。なんとなく負ける気がしていたら本当に負けてしまった。
迎えたラストイヤー
覚悟していたものの就活と学連が重なるシーズン当初はさすがに堪えた。主将合宿、形態変更、チャンピオンズカップの検討、FINALのサドン適応、特定試合の追加、リーグ戦の前倒し、表彰改革、、、挙げ出したらキリがないが、現実性という言葉を知らないらしい外野からの文句や、他地区の謎インフルエンサーからのありがたい苦言も耳に届き、チームとしても出場機会がまたまた減っていく中でこの時期はかなり病んでいたように思う。
ここらへんで自分のラクロスに向ける考え方が変わった。
チームも、学連も、自分がいなかった場合を考えた。
あれ、自分がいなくても誰かがやるんじゃないか?
学連の業務は、俺がやらなくてもリーグ戦はなんだかんだできるだろうし、広報活動だって後輩たちや違う人に任せておけば勝手にやるだろう。
チームの方もシーズン当初は調子がよかったので、俺がいなくても1部昇格は成し遂げそうやな、と割と本気で思うようになった。(責任感のない発言で本当に申し訳ない)
では、こんなに貴重だと思っていた大学生という時期をラクロスに向ける意味とは。
プレーで貢献できるとは必ずしも言えない自分が。
チームの目標達成に、自分という存在が本当に必要なのか?
あれだけMTGを重ねて導き出した「人々に感動を与えるラクロス」って何だ?
必死こいて1部昇格しても、また数年後には降格しているかもしれない。
いつか関西制覇を成し遂げても、ラクロス協会のデータ上の小さい欄に名前が掲載されるだけ。
全然ラクロスを知らない人がそのデータを見たとき、
「ふーん」
以外の感情を生むだろうか。
ただでさえ競技人口が少なくて知名度も低いラクロスで???
ラクロスをやる意味。
ラクロッサーなら誰もが考える究極の問い。
最後に至った結論は、無茶苦茶簡単に言うと、結局、”幸せになるためにラクロスをしている。”ということだった。
最終的に残るのは、感情だけだ。
所詮、学生スポーツ。勝っても賞金は貰えないし、負けても職を失うわけじゃない。だからこそ、最後に一人ひとりに残る感情にこそ意味がある。これは、試合で活躍した選手も、あまり出ることができなかった選手も、スタッフやコーチにも当てはまるし、結果だけを追い求めた人にも、最後には感情が残る。
じゃあ、自分がやるべきことは何か。
“俺がいなくても誰かやることをやるくらいなら、俺にしかできないやり方で、自分ができる事を精いっぱいやる。”
これだ。
この思考に辿り着いてから、一気に霧が晴れた気がした。
自分が学連で得た知見をフルでチームに還元した。(部内向けのオリジナル新獲プレゼンは好評だったみたいで何より)
与えられたBリーダーという役割もできる限り全うして、週1回の練習メニューは自分なりに毎週試行錯誤で変えていった。結果は決勝リーグで敗退となったが、予選で勝ち取った勝利、特に関大戦の興奮は忘れられない(笑)。ラクロスの試合楽しいなって久しぶりに思えた。
リーグ開幕直前には、けが人が多くほぼフルで出場した試合で、神戸や同志社に練習試合とはいえ勝った事も心底嬉しかった(SPLYZAにはだいとみさんに指摘されまくったけど)。
学連も、色々問題を抱える中で奮闘する後輩ができる限り楽しめるように環境づくりをしたつもりだ。(広報幹部の君たちは楽しみすぎやで)
最後に迎えた入替戦。
4Qでけんすけ、おかそう、奥田とりょうた、ぎーたでゴールを守っている時間はずっと幸せだった。あの後の飲み会も最高やったな。4年間やりきって良かったと、心の底から実感した。
今なら、親父の言う「今しかできないことをやれ」の本質が理解できる気がする。
高校時代、ある先生が「計画された偶発性理論」の話をしていた。
18歳の時志した夢を叶えた人間はわずか2%しかおらず、世の中の成功した人の大半は予想していなかった偶然を掴みとっている。そのために、自分自身はより質の高い偶然を得ることのできる環境に身を置いて縁を手繰り寄せていき、偶然を味方につけるべきだ、というものだ。
確かに4年後の自分がこんな事をやっているなんて予想もしていなかった。
だが今まで積み上げた一つ一つの選択は間違いではなかったという確信がある。立命館ラクロスで出逢った偉大な先輩とコーチ、かけがえのない同期、可愛い後輩、そして学連執行部の仲間たちという素晴らしい縁に巡り合うことができたし、十分すぎる経験を沢山させて貰った。そして、最後には最高の感情でシーズンを終えることができた。
これは、自分が「今しかできないこと」を選び続けた結果で、ここまでやり切ることができたのは本当に運が良かったと思っている。
ラクロスに出会えて本当に良かった。
以上が、俺なりの「挑み、尽くす」。
本当にいい言葉。ブログ初めの方だったので、タイトルいただいちゃいました。
最後に恒例の感謝タイム。
まず、学連執行部のみんな。
こゆびさんおとさん、自分を選んでくれてありがとうございました。
おかげさまで本当に苦労しました(笑)。「決めの問題」なことが無茶苦茶ありましたが、ある程度正解にできた気がします。
あわぱぴ、なかじりりぃ、共に戦ってくれてありがとう。少ない少ないリソースの中で本当によく頑張った。間違いなく俺の居場所でした。
学生広報部のお前たち、来年の執行部は任せたよ。学生主体を思いっきり楽しんでください。(言われなくても楽しんでくれそうなので心配してません。)
昌宏さんをあまり困らせないように。タームBと総会後のエアビ、楽しみです。またいつでもご飯食べにおいで。
他にもここに書ききれないほどの自分と関わってくれた他大学の先輩、友人、後輩たち、本当にありがとうございました。
“Lacrosse makes friends”の輪によって、こんなにもこゆびの大切にしていた「繋がり」が増えるとは思っていませんでした。来年度以降も関西ラクロスを観に来るので、是非会場で会うことができたら声をかけてください。それを密かな楽しみにしておきます。
Lリーグのマックス、りょうた、岡田(、ばやちゃん)
3回生の時Lリーグが開幕してなかったら、、、と考えるとゾっとします。完全に心の拠り所でした。卓を購入したのも、飲みの後に岡田の家に向かったのも、2ハッピーしたのも、、、アホすぎました(笑)
また開催しようね。いつでも旗振ります。熱中症にだけは気を付けよう。
最後にくっすん、やすとも
2回生、3回生の中で一番関わりが多かった2人。2人は性格が俺に近いと勝手に思ってる。人に気を遣うあまり苦労することも多いと思うけど、これは優しい奴の宿命です。人のために頑張るのは簡単なのに、自分のために頑張るって難しいよな。僕は君たちのことを1番応援しています。困ったことがあればいつでも呼んでください。
次は僕の親友の一人である楓に回したいと思います。
グランパティー小柿、懐かしすぎますね。シンクの三角コーナーがいるかいらないかで喧嘩したのをなぜか思い出しました。
彼とも長い付き合いになりそうです。年に1回は4人で集まろうな。
--------------------------
#96 DF 名井遼太郎