アウトレイジ最終章を見ての、自分なりの解釈です。とっ散らかっていますが、こんな考え方もあるのだと参考にして頂けたら幸いです。
大友の行動原理は仇を取る為、仁義を貫く為のもの。木村を殺した2人を始末した時点で、目的は全て遂行された。
1で片岡に言われた「生きていれば仇が取れるでしょう」という台詞が伏線となっている。
韓国の混沌とした街のシーンは仁義なき戦いに出てくる、昭和の日本の様。張会長の勢力を描いている。
野村が殺されるシーンは北陸代理戦争。
野村が殺されかけ子分に八つ当たりするシーンは、ソナチネでの大杉漣へのオマージュ?
大友と市川の関係性は、まるで深見千三郎師匠とたけしさんの様。小指ネタを挟むあたり特に。
大友が市川に「キムチ鍋食べさせてな」というシーンは、アル北郷さんとたけしさんのエピソードを彷彿とさせる。市川はアル北郷さんなのではないか。
李が西野に「うちはヤクザじゃないんで」というシーン。カタギには手を出すなという意味なのか、または自分達が警察やヤクザ以上の存在だと示しているのか。それを理解できない野村の様な者は、いずれにせよ消される運命にある。
今までのヤクザものと決定的に違うのは、張グループが大きくもならなければ金を手にする訳でもない。行動原理が金でも名誉でもない所、これは大友と共通する。
組織の中で生きられない繁田はもう一人の大友。大友が繁田に言った「チンピラ!」という言葉は、お互いチンピラ同士だという大友の歪んだ親愛の情の表れか。
裏テーマは輪廻転生?この映画に今までの北野武監督作品のあらゆるシーンや要素が輪廻転生している。
そして最後の太刀魚は大友の生まれ変わりなのでは。
張会長の側でパソコンを打つ男がいる構図は「その男、凶暴につき」。
花田を殺す方法は「花火」。その花火の爆発音で振り向く大友と市川は「ソナチネ」。
冒頭で市川の「偽物」という言葉に反応する大友。自分が本当のヤクザではなく、チンピラである事を気にしているのか。
繁田が立ち去るシーンで映っているのは「BAR KABON」。小ネタ。
過去の作品のオマージュが至る所に散りばめられており、既視感が連続する。これ自体がTakeshis'や監督ばんざいのオマージュなのでは。