「風街レジェンド2015」8/22(土)東京国際フォーラム 番外編
「さらばシベリア鉄道考 ~シベリア鉄道の車窓から~」
前回のブログ記事を書くにあたり、太田裕美さんの「さらばシベリア鉄道」と、大滝詠一さんご本人のバージョンを聴き比べてみたところ、幾つか新たな発見がありましたので番外編と称して書き記しておこうと思います。
聴き比べて気付いたのは、その印象が太田さん版は暖かく、大滝さん版は冷ややかである事です。
歌詞の内容からするとロシアにいるのは女性の方なのに、その女性版から暖かさを感じるのです。
ここで前回に続き、大滝詠一さんご本人の言葉をお借りします。
“特にサビの歌い回しで、裕美バージョンは、いつかは心が伝わる様な明るい感じが、逆に大滝バージョンはシベリアの空に消えてしまって伝わらない感じを表しているように思うのですが、いかがでしょうか?”(EIICHI OHTAKI Song Book Ⅰ 解説より引用)
私は松本隆さんの詞の真髄は、女性の強さを描いている事にあると思っております。だからこそ失恋の歌でもジメジメせずに、不思議な明るさや爽快感すら感じさせられるのだと思います。
しかし男性心理を描く場合は、未練たらたらなものが多い事が特徴的です(「恋するカレン」に顕著です)。
これらの特徴が大滝詠一さんの“さらばシベリア鉄道考”と見事に一致しています。
そしてロシアから手紙を送った女性からは、斉藤由貴さんの「卒業」の主人公である“卒業式で泣かない 冷たい人と言われそう”な女の子と通じる強さを感じます。
また私が、松本隆ワールドの女性像を表すのにこれ以上ないと常日頃思っているセンテンスがこちらです。
“逢いたいのは未練じゃなく
サヨナラって涼しく言うためよ”
「レモネードの夏」松田聖子
この女性の強さ、そして前を向いて進もうという逞しさが太陽の光の様に、風街ソングを永遠に照らし続けているのです。
再び「さらばシベリア鉄道」に戻ると、太田裕美さん版が太陽の光を感じさせる暖かいサウンドで、大滝詠一さん版が白い氷原の吹雪を想起させる冷ややかなサウンドであるという事が、見事に松本隆さんの世界観と一致しています。
そしてそのサウンドは、歌詞の内容ではなくそれぞれの気持ちを表している様に思えます。
太田裕美さんがこの曲を歌った事は、大滝詠一さんのある種の閃きによるものだったそうです。そのお陰でこの曲により一層深みが与えられた事は、何ともナイアガラ的であり、また風街的であると思います。
そして。
この曲のルーツにあるのは、
「Johnny Remember Me(邦題:霧の中のジョニー)」Jhon Leyton 1961年
です。
プロデューサーは“英国のフィル・スペクター”と呼ばれるジョー・ミーク。
フィル・スペクターのイメージが強い「ロンバケ」のアンコールとして収録された「さらばシベリア鉄道」。そのルーツは英国にあり、大滝詠一さんご自身が“ブリティッシュ”と表現する「EACH TIME」を「ロンバケ」のラストで既に示唆していたのです。
ナイアガラーと風街の住人は、シベリア鉄道に乗り、カナリア諸島から英国へと辿り着いた訳だったのですね。
“この線路の向こうには 何があるの?”
これから先もまだ我々の知らぬ風街の風景が、シベリア鉄道の窓越しに広がる事でしょう。いついつ いつまでも待っています。
「さらばシベリア鉄道考 ~シベリア鉄道の車窓から~」完。
以下は余談なり。
水木しげる氏の「墓場の鬼太郎」に“霧の中のジョニー”という吸血鬼が登場したそうです。
そのジョニーの必殺技は“音響催眠術”。
ジョニーの正体は、フィル・スペクターなのかジョー・ミークなのか、はたまた福生の仙人なのか…。
答えは12月の旅人のみぞ知る…。