「風立ちぬ」は、幼少期に家で流れるBGMが「ロンバケ」と松田聖子さんであった私にとっては、何とも感慨深い一曲であります。
作詞・松本隆、作曲・大滝詠一、ときて編曲・多羅尾伴内(大滝詠一)、ギターに鈴木茂さん。“ほぼ”はっぴいえんど、です。そしてコーラスの女性三人は“シンガーズ・スリー”として70年代のナイアガラのアルバム、そして「ロンバケ」でも大活躍した方々です。
もうこれだけでもナイアガラ・ファンには堪らないのに、歌を歌うのが松田聖子さんです(´Д` )。
聖子さんの歌の凄さの分析は前回書きましたのでそちらに譲りますが、この時期の聖子さんの歌姫っぷりは凄まじいものがありますね。その声を聴いた瞬間、80年代にタイムトリップ、もうこれは国民的歌声と言って良いと思います。
話は少し遡りますが「NORTH WIND」のラストに収録された「しなやかな夜」、この曲の衝撃はかなりのものがあります。メジャー・キーのイメージが圧倒的に強い聖子さんですが、この曲はマイナー・キー。このマイナー・キーの曲を歌う聖子さんの“情念”は凄まじいの一言に尽きます。しかもその情念が決して押し付けがましいものではなく、自然に滲み出たものである事が聖子さんの凄さの一つであると思います(個人的にはビョークに近いものを感じます)。
そしてこの「しなやかな夜」の世界観は、山口百恵さんの世界観に通じると思います。この共通する世界観は意図的なものかそうじゃないのかそれは分かりませんが、“国民的歌姫”の交代をここで“しなやかに”宣言している様な気がしてなりません。
さて話を「風立ちぬ」に戻します。
ここでの松本隆氏の歌詞は失恋をテーマにしたもの。しかし素晴らしいのは失恋の辛い気持ちを直接的な表現を用いずに、心象風景から描き出している点です。
“忘れたい 忘れない あなたの笑顔”と逡巡する心。それを描く事により、切ない想いを表す辺りは松本隆ワールドの真骨頂だと思います。
そして“さよなら さよなら さよなら”が、実は“SAYONARA SAYONARA SAYONARA”である点は重要です。
“さよなら”は“SAYONARA”に置き換えられる事により、意味を奪われ単なる記号へと化し、更には“音”となりその響きは空間に取り残されます。
(これは例えばムッシュかまやつさんの「バンバンバン」、きゃりーぱみゅぱみゅさんの「つけまつける」にも共通した無意味性を感じます。その記号的な響きの単語にあるものはメッセージではなく、言葉の役割を持たない“音”です。)
“SAYONARA SAYONARA SAYONARA”
この音の空虚感には、思わずドキッとさせられます。
そしてもう一つ耳に残るフレーズが、
“すみれ ひまわり フリージア”
…でしょう。
これもまた心の空虚感・思考の空白を描きだしているのだと思います。思考の空白を表すのに、これ程美しい表現が他にあるでしょうか(´Д` )。
はっぴいえんどというバンドで“ももんが~”というサビの曲(暗闇坂むささび変化)を歌っていた若者たちが、10年後には“松田聖子”という時代を象徴するアイドルに曲を提供するのだから面白いものです。
そして「風立ちぬ」には参加していない細野晴臣氏が、その後提供した名曲が「天国のキッス」。
“ももんが~”から“KISS IN BLUE HEAVEN”への跳躍力たるや、凄まじいものがありますね。ももんがが暗闇坂をむささび変化しながら登った先は天国だった訳です。
再び「風立ちぬ」。
“別れはひとつの旅立ちだから”…。
大滝さん、素晴らしい曲をありがとうございました。