花がふってくるとおもう | a tiniest hope

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ちっぽけな希望の話

 

こんばんは

 

今日は朝少しだけ在宅で仕事をして

お昼ごろ母を車に乗せてドライブしました

ほとんど寝たきりの母は

ほんの時折ですが

思い出したように「外を見たい」と言います

そういうとき

母はとても真剣な顔をしてドライブをねだります

 

母にとって“外”とは

恐ろしい世界でもあり

懐かしい世界でもあるのでしょう

ドライブした日は深く眠れるみたいです

 

クローバー

 

昨夜は一度UPした記事を消去しました

自分の結婚についての記事だったのだけど

なんだかほんとうに伝えたいことが

伝わっていない気がして

 

朝早くに目が覚めて

ふと、わたしが書きたかったことは

結婚というカタチにこだわらなくても

幸せでいられる自分への祝福だったのだと気づきました

 

自分が今、ある種の幸せを感じていること

それは

離婚したから得られたものなのかもしれない

彼と離婚しなければ

今ある彼との豊かな時間はなかったかもしれない

 

それはとてもありがたく

愛おしいことだなって

 

結婚も離婚も人それぞれの価値や想いが詰め込まれていて

いい悪いで表現することができないとても曖昧で

だけどとても尊い人生経験だと思うんです

 

人生に起こるすべての出来事は

目的ではなくて過程なんじゃないでしょうか

 

だから

生きてることそれ自体が

とてつもなく大きなシステム

 

結婚しても離婚しても

過食しても拒食しても

泣いても笑っても

すべて何かの通過点に過ぎないのだとしたら

ちょっと気持ちが楽になる気がします

 

ときどき

わたしはどこに向かっているのかなぁっておもう

人生が過程なら

わたしの目的は何なのかなって

 

クローバー

 

歌を歌っていて思うのはね

わたしは歌を歌っているんじゃなくて

歌を運んでいるんじゃないかってこと

 

歌や詩に限らず

実体のあるなしにかかわらず

人が生み出したものの一部が

後々まで残ってゆくことがある

 

それって誰もが

誰かが生み出したものを受け取って

知らぬ間に運んでいるからだと思うんですよね

今この瞬間から

未来へと

 

漆器を作る人がね

「わたしは器を作っているんじゃない

作らされてるんですよ」って言ってた

意思を持っているのは器の方で

職人たちはその意思を受け取って

誰かに

あるいは何処かに

またあるいはいつかの時間に向かって

その形や意味を運ぶために作品をつくっている

 

この前、遺伝子にもその考え方があることを知って

なるほど、と思った

わたし達は自分の意思で自分のために生きている

と見せかけて

シンプルに遺伝子を運んでいるだけ

地球が終わりの日を迎えるときまで

 

クローバー

 

なんだかちょっと哲学的な話になっちゃいましたね

 

今日はこの辺にしておきます

 

今日は曇り空でちょっと寒かったけど

空が灰色の壁に見えたのがよかった

 

米津さんの『flowerwall』を口ずさみながら

 

この空の壁はたぶん

わたしを守ってくれている

もう少ししたら花がふってくる

 

そう思いました

 

 

わこ