大切な人を亡くした方のケア。
これ、人により、必要な場合と、そうではない場合があるのかもしれません。
が、親や兄妹を亡くしたり、子供だったり、またペットロスなんて言葉もあるように、その人との関係の深さにより、ケアが必要な場合もある。
配偶者を亡くした場合は、生活が一変してしまうため、死別のダメージに、さらにそうした変化に対応することの疲れなどもあり、心にかかるストレスは大きい。
死別仲間たちのお話しを聞いてみて思う。支えがある人は幸せかなと。
主婦で、収入が無ければ、親や兄弟が支えてくれたり、心のダメージが大きくて病気になっても、しっかり支えてもらえる方もいらっしゃる。
また、シングルマザーでは大変だからと、重荷は全てご兄弟が背負い、自分の家族を守ることだけに力を尽くせといってくれるようなお宅もある。
また、なぜか苦労は連鎖するのか、親の介護がいきなりやってきて、仕事を辞めて介護するしかないような状態の人もいれば、死別しても、亡くなった配偶者の介護を強要される人も居たりする。
嫁の場合は、配偶者の親が亡くなっても、相続人ではないから、介護が終われば、はい、さようなら!なんです。これもまた、厳しい現実。
お手伝いさんみたいなものだから、誰もお嫁さんの幸せを願っていない、、、そんな印象を受けてしまうお話しだったり。
しかし、これも、立場を変えてみると、ちょっと色々見えてくる。
親や兄弟を亡くしたら、グリーフケアが必要なくらい、病的なくらい、気持ちが沈んだり、立ち直れないくらいのダメージを受けてしまう人も居る。
そんな状態の方に、他の人の幸せ願い、考える余裕なんてありません。
まずは、自分のケア、また、自分が立ち直るために、いかに人を動かすかを考えたら、結果、ちょっとどうなの?と思うようなことになったりします。
受け止める器は、人により、全然大きさが違います。
精神的に弱い人が、看取りという大きな試練にぶつかると、苦しさが爆発してしまったりするのかもしれない。
自分が立ち直るためには、残された物に愛を感じたりするのかな、、遺産の取り合いするお宅も多くありますね。
夫を看取った病院のロビーでは、まだ生きてる方の財産のお話しするご家族が沢山居て、非常に驚き、また、嫌な気持ちになりました。
でも、誠意とか、愛は、お金や豊かさを与えられることで感じるのかもしれない。
そるが本当の愛ではなくても、やはり、豊かでいられることの幸福感が、大切なのかな、、
週末は、毎回こんな話をする人が集まっていて、色々考えさせられた。
亡くなるまでの間に、その人に尽くす愛はないの?受けとりたいだけで、与える愛はないの?
私は、やはり、与える愛は持っていたい。
これは、片思いかな???
でも、親や夫を次々看取り、思った。
尽くして、頑張ると、ちょっと看取りも気持ちが楽になる。後悔が少ないように頑張ると、わかる人にはわかるから、頑張ったね、良くやったねって言ってもらえて、気持ちが楽になり、グリーフケアは必要ないくらい、落ち着いていられる。
悲しみが無いわけではない。
もう、9年も前に夫を看取りましたが、今もまだ、夫を亡くした方のお話しを聞けば、ウルウルする。昨日は大竹しのぶさんの、亡くなったご主人さまのお話がテレビで流れていて、そんなご主人さまを思って作られた歌を歌われていて、号泣でした、、、
亡くなったときも、葬儀でも、涙は見せなかった。でも、傷が無いはずは無いです。みんなある。深い傷があるけど、でも、自分の傷が一番深い気がして、周りを見る余裕がないひともいる。
見えないだけで、みんな色々ある。
だから、看取りのあとは、みんな普通ではないのかもしれない。だから、そんな時のことは、あまり気にしないで、ゆっくりこれからを考える方が良いのかもしれない。