帰りたいよ~
迎えに来てくれ~
早く~
死んじまうよ~
ひもじいよ~
大変なところに来ちゃったよ~、ご飯もくれないよ~
ちなみに、ご飯はしっかり召し上がり、さらに足りず、死んじまうよ~と言うので、おやつまで召し上がるのだけれど、お腹空いてしまうらしい。
別の認知症の方も、やはり食べても、食べていないと主張し、ヘルパーさんがご自身の夜食としてお持ちになったものを、分けてもらったりしていますが、、、またすぐに忘れてしまう。
ご飯くれないんだよ、鬼だよ、うちの嫁は!と、近所にふれまわるお姑様に苦しむお嫁さんも多いけど、ヘルパーさんも大変だ、、、
身内の場合、特にお嫁さんの場合、鬼だよ!なんて言葉を信じてしまう人もいたりする。悲しいけど、元気そうだと、お年寄りの言葉の方が正しいように見えてしまったりする。
うちも、義父がラーメン大好きで、食べたいと言うからラーメンを作る機会を増やしたら、やはり身内から苦情がきた。体に悪いものを出すなと。家庭料理を出せと。
当時のケアマネさんに言ったら、ちゃんと野菜たっぷりの家庭料理だし、夜ご飯は手をかけているし、忙しいのにきちんとご飯作ってるよ!と言ってくださり、うるうるした。
頑張っても、そんな風にしか見てもらえない立場の人も居るんだよね、世の中には。
人を見る目、現実を見る目、自分ならできるのかと考える力、、、必要であると思う。
これは、介護をする上でだけでなく、普通に生きるためにも必要ではないのだろうか。
こういうことができる人でありたいなと思う。
批判するのは簡単。でも、自分ならできる?と考えたら、自分ができないことであるならば、批判すべきではなく、手伝うべきではないのだろうか。
実家の親の介護しながら、義父の食事三食作りながら、子供たちの受験と卒業準備をしながら、他にも色々抱えながら、一人で全てやるために、寝る時間も削って生きていた。不整脈を起こして、でも放置して、ひたすら頑張っていた。
あの時期を乗り越えたら、もう他のことは些細なことのように感じる。
元気復活したし、働いているし、、ひたすら批判されるだけでは、やっぱり幸せな気持ちは芽生えにくい。
批判するより、実は褒める方がずっとずっと効果的で、色々やってもらえるのだ。
憎いから批判するならしかたない。いじめぬいてやりたいならしかたない。だけど、本当にやってもらいたいなら、やり方は逆だ。
できる人って、それを上手くやるように思う。でも、なかなか難しくて、やってくれないことへの怒りばかりが出てきてしまう。
器大きく、優しく、おおらかに生きたいものだ。笑顔が消えてしまうような毎日は幸せではないから。笑顔作れる人でありたい。
、、、お笑い芸人目指してるわけじゃないですよ!