公衆の面前 | ケセラセラとテイクイットイージー

ケセラセラとテイクイットイージー

以前はヤフーブログで長い事記事更新を行っていました。
ほとんど準備をせずにいきなり引っ越しをいたしましたので、徐々に体裁を整えていく予定です。

皆様は以下の状況に置かれたときに、どのように感じられるでしょうか?

 

 

今日の昼、彼女と洋食屋へ行ったんだけど、注文した直後に乳児連れの母親が店に入ってきた。
入ってきた時から鳴きまくっているし、母親はゴミ虫ちゃ~んゴミ虫ちゃ~んと揺するだけで席から全く動こうとしない。
鳴き止んだと思ったら、即鳴き始めて本当に喧しかった。
我慢の限界がきたから、店を出ることにした。彼女に出ようと促したら、でも注文がとモタモタしている。
そうしているうちに、こちらが頼んだ料理が来たけど、それ、もう要らないからさっさと会計してと突き返した。
そうしたら漸く、ゴミ虫母子のところに店員が走って行って静かにさせるか外に出るか迫っていたけど、こちらはもうこんな店で何か食べる気にならないから会計して貰った。
お代は要らないみたいなこと言われたけど、1万円放り投げて店を出た。
店を出たら、彼女が文句を言ってくる。乳児連れの母親は大変なんだし、少しぐらい大目にみるべき。あの位の子供は泣くのが仕事なんだよ。と
つまり、こいつの将来は、あのゴミ虫母子で、申し訳ないとかいう気持ちは皆無で、当然のように騒音を撒き散らすのかと思うと一気に醒めた。
その場で別れを告げて、置いて帰ったけど電話攻勢が凄い。
着拒してたら、共通の知人使って文句を言ってくる。
知人からもこんなことで別れるなんてどうかと言われたけど、ここまで意見が合わないなら別れるしかないと思うのだが。
夕方近くに元彼女が家に来て文句垂れてきたけど相手にせず、車で1時間位の距離で置いて帰ったのはさすがに拙かったかと思い、そこだけは謝罪して、交通費として2万床に放り投げてドアを閉めた。
直後に何か叫びながらドアを蹴ってたけど、5分位して様子見たら金はしっかり回収して居なくなっていた。
そこまではいいんだけど、元彼女が俺にDVされたとか周りに根回ししているんだけど、殴った覚えもないのに殴られたとかふれ回っているらしい。
改めて別れて良かったと思うけど、周りからの謝罪要求が鬱陶しい。

 

 

これはかなり極端に誇張された話だと思いますが、私も似たような感覚を持っています。

さすがにお金を投げつけるような乱暴な事はしませんが、「公共の場で子供や赤ん坊を騒がせて、迷惑をかけるのはイケナイ。」と固く信じていました。

従って、我が家で子供を連れて外食するのは、一番下の子が5~6才になってからだったと思います。

私の子供時代は「人様に迷惑をかけるような事をしてはいけない」と厳しく躾けられて、実際に公共の面前で五月蠅くしていると、周囲の大人達から叱られたものでした。

この様にして育った人達には、レストランで泣く子供は「五月蠅い、ジャマだ」としか思えないのだと思います。

 

常々書いて来ていますが、バブル以降人々の意識が大きく変わりました。

欧米のように個人主義が強くなり、あまり人の目を気にする事が少なくなりましたね。

今の私は孫達が居るので、小さな子に対して容認するようになってきていますが、それでも人前で騒ぐような事はさせないようにしています。

子供家族と食事に出かけたときは、ぐずる赤ん坊を私が抱いてあやしながら彼方此方をグルグルと回って「先に食べちゃいな」とやっています。

子供や奥さんが食べ終わったら、赤ん坊を渡して私が食事をします。

 

日本人の美徳に「おもてなし」というものがあり、一時期この言葉が流行った事がありましたね。

このお「おもてなし」とは、ただ相手に親切にするのではなく、まずは「相手の気持ちに寄り添って」「何を必要としているか」を考え、「相手に喜んで貰う事をする」のだと思います。

実はキリスト教の教えに「黄金律」というものがあり、これは聖書の中でイエス様が語られた「自分がして貰いたいと思う事は、まず自分が人にしてあげなさい」という言葉です。

つまり、相手を思いやるという事が、キリスト教の教えの神髄ですので、欧米社会でもそういう感覚があって然るべきだと思うのですが、何故か身勝手な人が多いですね。