6.普遍性とオーケストラ
ベートーヴェンの姿勢もキリスト教に起源がある。「闇の世界に神の裁きがくだり、そののち光の世界が訪れるといった、普遍的な黙示録的世界観の主人公を、神から人間へと変化させたのが、特に交響曲に顕著に見られるベートーヴェンの世界観だった。そしてそのような世界観にもとづくベートーヴェン作品を、内容や編成といった点でモデルとし、さまざまな対立を繰り返しつつも全体的に見れば音楽の豊饒という普遍性を形作ったのが、ロマン派や国民学派に分類される」19世紀に活躍した作曲家(128)。
7.専門家のユートピア
演奏会のための常設オーケストラはずっと存在しなかったが、1812年にウィーン学友協会が設立される。構成員は音楽を愛する市民や貴族たち。自主演奏会を開くことが活動の大きな柱で、協会が主催する演奏会のための常設オーケストラとして「楽友協会管弦楽団」が結成された。良き聴き手が良き弾き手でもあった。
(
自分たちが聴きたい音楽を演奏する、とも書いてあったと記憶している。)
音楽家が独立すると、芸術性を追求するようになる。演奏するオーケストラにもそれなりの技量が必要となり、楽友協会のオーケストラなどでは演奏できなくなる。1842年に宮廷歌劇場のメンバーが集まって作ったのがウィーン・フィルだったという。
8.機械仕掛けの管弦楽
ベートーヴェンの『戦争交響曲』(イギリス軍対フランス軍の戦闘を描く)はヨハン・ネポムク・メルツェルが考案したパンハルモニコンという自動演奏機のために創られた曲。
9.共同体の夢と現実
バロック音楽では通奏低音の奏者がオーケストラをリードすることが多かった。
古典派の時代になると、メロディ担当楽器のヴァイオリン奏者がコンサートマスターを務めるようになる。
19世紀に入るとオーケストラにスペクタクル性が入ってくる。巨大な楽団、巨大な音響。ワーグナーやチャイコフスキーの『悲愴』やブラームスの交響曲第4番のいずれも第3楽章は、シニカルな意味合いも込め派手派手しいスペクタクル性を提示する。バッハの作品もマンモスオーケストラ、マンモス合唱団で上演するケースも多かった。
広く人々に開かれたオーケストラといえば、シュトラウス・カペレはその典型的な存在。ウィーンをはじめヨーロッパ各地のほか、アメリカ公演も行った。ダンス音楽や軽音楽を主として演奏。
ヨハン・シュトラウス1世のカペレに属していた人の一部がベルリンに移る。そこでビルゼ・カペレのメンバーになるがビルゼの経営方針に反発した人が離反し、別のカペレを作る。その後シリアス・クラシック路線をひた走る(これが後にベルリン・フィルになる)。
市民革命の後、その中から勝ち組がブルジョアジーとして君臨。旧貴族と手を組んで支配体制を作る。また芸術の主たるパトロンとなる(オーケストラの支援やオペラ劇場のボックスを通し券で買ったりした)。
彼らは芸術を装飾品替わりとする人々を「俗物」と呼び(自らはエリート)、「俗物」な人々はグランド・オペラに向かう。
エリート思想はオーケストラの在り方も変える。ワーグナーのバイロイト祝祭劇場はその典型。オーケストラ・ピットを隠し(奏者を見えなくした)、客席の明かりを消し、居眠り防止のために堅い木の椅子が用いられた。舞台に専念してもらうため。
各地のホールでも似たような事がおこる。
姿の見えないオーケストラは、「レコードに代表される複製技術の誕生を下準備したともいえよう」(214)
10.崩れゆく世界の彼方に
第一次世界大戦は、社会のみならずオーケストラも変えていく。その予兆はシェーンベルク。『室内交響曲第一番』。ウィーンでの初演時、客席が賛成派と反対派い分裂し乱闘騒ぎも起こった。「室内交響曲で興味深いのは、オーケストラの縮小と、音楽的な革新が、同時に起きている点」。(219)
第1次大戦後、労働者階級を中心とした人々の心をとらえた音楽はジャズであった。またジャズのビッグバンドはオーケストラを名乗るようになる。