抜き書き及び、内容紹介。

 一般の武士の話。特権も何もなくなって大抵は唯の無職になる。今の時代も似てゐる気がする。下っ端はほっぽり出されておしまい。


・貞操教育の崩壊
 懐刀は「いざというときにはいつでも自害できること、そして自害は女が身を守る最後の手段であるることにつながっている」(52)
(親からこんなふうにしつけられてはいたのだが…、という話が後で出てくる)

今泉みね『名ごりのゆめ』から(蘭医桂川家の娘)
 「一体その頃は、番地をきかれても自分の住んでいる所も知らない位に、ぼんやりしているのが女はいいとされました」。
 そんなみねが明治になり、蝋燭と油を町に買いに行く。油屋にはきたが入る勇気がでず店の前を行ったり来たり。なんとか入ったがおどおどして口がきけない。下駄を脱いで店に上がり「振り袖姿でぴたりと坐り、両手をついて、油のいれものを恐る恐る前に置いて、『どうぞ、油を少々いただきとうございます』と言った」。お店の人は風采、態度から士族と察して、「『私がおともしましょう』と油を持ってついてきてくれた。おたくはどこか、ときかれてもみねは答えることができない。方角も場所も覚えていない。油屋の主婦は探し探してやっと家まで油とみねを送っていった。(52-53)
 みねの夫、今泉利春は大隈重信の親友で、もと娼妓の大隈の妻は今泉が仲にたって請出したもの。妻は元幕臣の娘。兄が上野の戦いで討死し、一家が生活に困って売られた。維新後十数年経っても同様なことは頻繁に起こった(相馬黒光も黒光が小学校時代に同様なことがあったと記していた。『黙移』だったと思う)。


 松平すず(聞書き当時76歳)の談話など。
 伯父の松平保真、武士は二君にまみえずで、維新後は職を求めず、居食いの生活。家財を売り払いそれがなくなると娘を売りに出した。三人の娘を売ってしまうと、先妻との間に生まれ他家に嫁いでいる娘に目を付けた。娘の夫が留守中に婚家を襲い嫁入りの荷物と娘を連れ戻す。荷物を売り払った後、娘を東京の遊郭に売り飛ばした。
 生活に窮すれば娘を売ることが維新の初期から起こった。「死をもって守れと説き続けてきた最高の操を、みごとにすっぱり親の手で断ち切ってみせた」。
 「妾を持つことが不道徳でなければ、金で女を買う事も不道徳で無くなる。丸抱えか、一時払いかの違いだけである」。「金で女を売買できる制度では女のほんらいの人権などありえようがない」(58)。

・天職意識
 士族の多くの娘たちは、都会に出て高等教育を学ぼうとする。父親の承諾を得ることは難しかったが、大半の親は結局は承諾している。また娘が職業に就くことへも抵抗は少なかった。働くことは「世のため人のため」という大義名分があった(士族の意識で。貧乏だからではない)。

 軽輩武士では内職が盛んに行われた。内職しなければ食べていけなかったから公然と許された(山川菊枝の本にもそうあった。『武家の娘』だったかな。違ったらごめん)。三田村鳶魚(えんぎょ)によれば、麻布の草花、下谷の金魚、巣鴨大久保の植木や羽根、青山の傘、根室百人組の提灯など多岐にわたる(『武家の生活』)。