*日記 2冊目。2冊目からはノートに日記を記入。メモはなくなり通常の日記っぽくなる。
大正12年7月31日より10月6日まで(日にちの範囲が手帖とかさなっている)
7月31日
日光湯元に出発。ひと夏を過ごす。
湯の湖に宿泊。
[読書]ゲーテのイフゲナイアを読む。
実に美と力と知恵にとんだ作品と云ふ気がする。イフゲナイアの美にして優しく、而かも王女らしい尊厳と処女のしほらしさを具備してゐる点で、流石にゲーテの婦人と云ふ気がする」(55)
(タウリケのイピゲネイアはエウリピデスによる古代ギリシア悲劇の一つ。これをゲーテが翻案したのが「タウリスのイフィゲーニエ」。
ゲーテ全集 新装普及版だと第5巻に収録
岩波文庫の「タウリス島のイフィゲーニエ」は品切れだった。
)
湯の湖:「この夕方の山々や湖畔の景色は実に絶景であった。水墨山水の妙をつくしてゐるものとおもふ。あらゆる種類の灰色と黒と紺のとの交錯、湖面の暗い藍遠近に依って濃淡を異にして行く、入江と岬。日本画家に毛筆と墨に依る描き方がいかに大切であるかをしみじみおもった。これは油では決して表現し得ない光景と信ずる」(56)。
・[読書]ショオのシイザアとクレオペートラを読み始める。
ショオの一幕がすむ。平気によめるからうれしい。何等の困難もない。笑ひ笑ひおかしがりながらよめる」(58)
「ショオの三幕目読了。この幕はきっとやんやといふ喝采を博するものだらうとおもふ」(65)
(バーナード・ショーの「シーザーとクレオパトラ」。
原書を読んでいるらしい。平易な英語みたい。
この戯曲、滑稽なところが多々あるようだ。
こんな風に書かれるとぜひ読まねばと思ってしまう。
つい読みたくなる書評というと、筒井康隆と高橋源一郎を思い出す。
野上弥生子とバーナード・ショー
--『シーザーとクレオパトラ』--
田村道美
というのを見つけた
)
8月24日旦那さん(野上豊一郎)を残し帰宅。豊一郎さんは春のめざめの翻訳を仕上げるまで日光に残っているそうだ。