出張坊主・西川舜優です。 -5ページ目

出張坊主・西川舜優です。

真宗高田派 義明寺 衆徒 
株式会社 舜 代表取締役

皆さま、お恥ずかしながらお久しぶりでございます。本当に久々の更新は自分の不真面目さからくる申し訳なさで赤面しております。まことにごめんなさい。

まずは会社のご報告から。

本当に皆さま、こんな小さな信用もあるかないかもわからない会社を愛して頂きましてありがとうございます。おかげ様で創業以来、今週はなんと毎日稼働することができております!

本当にありがとうございます。

そうこのブログを休んでいる間にホームページのSEO対策をめちゃめちゃ研究しておりました。そして会社の広告費にけっこうな金額を投入し、ド派手に継ぐド派手に宣伝計画を着々と進めておりました。

思えば昨年、無料で相談できるコンサル会社の方にホームページの月のアクセス数は500アクセスはないと話にならないと言われ、頑張ってようやく平均アクセス数が250くらいになってきたのですが、事件は先週の土日ですよ。

急に暖かくなってきたでしょう。そしたら途端に日のアクセス数が衝撃の0!え。西川さんの会社誰も興味ないじゃない。そう春日和は0アクセス!あわあわと焦っていましたら妻に言われました。

「人間万事塞翁(さいおう)が馬ということわざ知ってる?」

うん。知らない。さいおう?界王なら知ってるぜ。と心の中で思うも人は年を重ねるとダメですね。

「もちろん知っているさ。さいおうの馬だよね。そうか。ありがとう。」といって後から調べました。

ある馬がある日隣町へ逃げてしまいました。すると周りの人はお気の毒に。と買い主のおじいさんに声をかけました。しかしそのおじいさんは言いました。

「これが不幸なわけないだろう。」

後日その馬は駿馬を連れて帰ってきました。周りの人はよかったですね!ラッキーでしたね。とおじいさんに声をかけました。しかしおじいさんは「これが幸福なわけないだろう。」

後日その駿馬に乗馬していた息子が落馬して太ももを骨折しました。

人間、その瞬間悪かったとしても後によいことに繋がることもある。また逆によい事があったとしても後に悪い結果につながることがある。

その瞬間の一喜一憂ほど愚かなことはない。ということわざです。

しかし、しかーーーし一喜一憂する楽しさをこのおじいさんは越えて話をしていると思うんですよ。そう西川舜優は一喜一憂したい。その瞬間の感情を表現したい。だからアクセス数0はもうね、反省しました。

というわけで今日は「死のポイント」

 

ここ3年間はみなさん死というものをいっぱい想像したのではないでしょうか。コロナから始まり今はなんと隣国が戦争中です。3年前では信じられない死に方で亡くなっていく方が増えています。

では私たちはある日突然死ぬのでしょうか?

僕はその答えに対してはノーだといいたい。

仏教には諸行無常という言葉があります。全ての事象はうつりゆくんですね。同じ状態には常にいない。なのになぜだか自分の死に関してはある日急に死のポイントがあるかのように思ってしまう。

私たちは産まれたばかりの頃は生95%死5%。生きることを続けていって生40%死60%のように移り変わっていく。もちろんその割合は必ずしもなだらかなグラフを描くとは限らない。

だって僕たちには精神という心もあるし、社会という大きな枠組みで生きていますから戦争や不況、交通事故なんかの縁にあってしまうこともあります。

ただ私たちはあるときから急に死なのではなくて究極的に言ってしまえば毎日が生50%死50%くらいで生きているのではないかな。と思っています。

残念ながら死後の世界を、本当に残念ながら一度死を体験して皆さまに死後の世界を伝えることは不可能ですからそういった意味で死の話はできませんが死を感じる話はできます。

ロシアがこのまま怒りを増幅させて核を使用しない保証はどこにもない。

コロナが恐ろしいウィルスに変異しないとも限らない。私たちの生死というのは常に移ろっているんですよね。

だから最近聞くようになった安楽死というのも、生きながらにして心も身体も死の割合がいっぱいになって最終的に死100%になる。自殺もそうだ。

ここで死とは悪いものかどうかを考えてみてほしい。生きたくとも生きられない人もいるから生きた方がいい。食べたくとも食べられない人がいるから残飯をだしてはいけない。

そんなこと人間は考えられないいきものだと思いませんか。他人に対してはいくらでもそういった価値観を押し付けられるけれども人間の本質は自分が生きたいから生きる。死にたくないから生きる。食べたいから食べる。結果残してしまったら、ごめんなさい。で終わらすのが人間でしょう。

だから私たちはそういったわがままと精神と肉体年齢のなかで生と死を同時に感じながら朝を迎えないといけないと思うんです。私たちはある日突然死を迎えるのではない。

その瞬間の一喜一憂を楽しんで真剣に感情を表現しないといけないのではないかな。と塞翁が馬のことわざに一石を投じてみました。

ブログ更新をさぼっていたお坊さんに直接文句を言いたい時は

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アクセス数0をたたき出した情けないホームページは

 

 

 

ブログをやめたの?さぼってるの?忙しいの?という声をあちらこちらから頂きまして更新をさせていただきます。

このブログを僕はやめてもないし、さぼっているつもりでもなく、ましてや忙しいなんて人生に今まで経験したこともなく単純に更新のタイミングを失っていただけです。

一番の原因はお風呂に近頃はまってしまったことが大きいです。少なくとも90分はお風呂場からはでてきません。ひたすら湯舟に浸かって水を飲んでいます。2ℓは軽く飲むくらいの意識高めです!

そしてお風呂からでるとひたすらクリームで肌をいたわります。通院している整体が筋膜マッサージを毎回するので毎回脱ぐのですが、毎回裸をみられていると段々自分の身体に意識が高まっていくから不思議です。

今までさして気にもしていなかったことに気を使い始めた生活をもう1ヶ月くらい続けていまして、気持ち健康体になった気がします。人間界で一番使うこの肉体のことを考えることは非常にいいような気がします。

というわけで今日は「教祖のはなし」

 

教祖ってのはいつの時代も誕生するものだ。新興宗教しかり既存の伝統宗教しかりカリスマ性をもった教祖がいてその宗教が興隆していくものだ。

縁がある施設に、昔1万人以上の信者をもったことがある教祖がだんだんぼけてきて入所した。

僕はその施設に身内がいるものだから差し入れなんかを持っていくのだけれどもその時に不思議な雰囲気のするおじいさんがいた。物腰というか空気感がとても柔らかくて話し方もおっとりした感じだ。

いつも廊下や談話室で合うと少し会話をするのだが会話をしていると必ずといってもいいほど3~4人くらいの同じ施設に入所している人がジュースやお菓子、菓子パンを持ってくる。

入所している人が入所している人に物をあげるのはありそうなことなんだけれどもそのあげ方にいつも違和感を感じていました。なんというか「はいどうぞ。」というかんじではなく「ありがとうございます。」といって渡しているのだ。

そして今日の話だ。

「きみ、悩んでいることがあるね。」と話しかけられた。悩みというのは常にいばらのように降りそそいでいるものだろ。だからあえて悩みがあるね。と話しかけてくる人間は黄色信号だ。

「お久しぶりですね。悩みがあるのわかりますか?」と好奇心と恐怖感の半分半分でそう答えてみた。

「もちろんわかるよ。僕の部屋に特別な水晶玉があるんだ。よかったらみにこないか?」

もうね、限りなく赤色に近い点滅信号だ。しかしもし仮にだ、このおじいさんがゲイだったとしてもお坊さんパンチでなんとかなると思った僕はこの怪しい提案にのることにしました。

部屋は殺風景でベッドとちょっと座るところがあるくらいだった。おじいさんは小さな冷蔵庫から缶コーヒーをだしてきたがなぜか一口も口に入れたくない気持ちになった。

「きみの悩みはとても深いところにあるね。私が助けてあげたいのだけれども助けるには君が助けられる空気にならないといけない。その為にこの水晶玉をもっておくといい。」

と15cm程の水晶という名のガラス玉を僕に差し出してきた。「高価なものなんですか?」と手にとって体温がすぐに伝わる玉を落とさないように慎重にもって聞くと

「うん。7万円だよ。」

7万円!!!

中途半端に手がでる金額じゃないか!ここで僕の前にある選択肢は3つある。

①ガラス玉を割ってこんな詐欺はやめろ。と忠告する。

②ガラス玉を割って悩みが消えた。と感謝する。

③ガラス玉を割ってあんた何者なんだ。と問い詰める。

なんということでしょう。現状よりも前に進むためにはガラス玉を割るしかないというところまで追いつめられてしまいました・・・。

・・・よし割ろう。と腹を決めてぐっと玉を握った。

 

「割ったらだめだよ。」

なんだこのじいさんはエスパーなのか。行動を読み取られたショックで冷静になった僕は玉をおじいさんに返して、急いで部屋をでました。職員の方がいる部屋によって先程の事を伝えると

「あっ〇〇さんね。私たちも変な数珠とか押し付けられて困っているんですよ。個人情報は言えないですが絶対になにか買ったりしないでください。」と念をおされました。

帰りに自販機の前にいたおじいさんにコーヒーをおごって〇〇さんの話を聞くと、教祖だったころの名前を教えてもらいネットで検索すると信者が1万人規模くらいの教祖だってこと。ぼけ始めて息子にがこの施設にいれたこと。施設のなかでも信者が増えて物品を巻き上げているということを聞きました。

〇〇さんの常套句は

「死んだ後の悩みも水晶玉が守ってくれるよ。」だそうだ。

生きるのが終わったら死ぬことも終わります。その後の悩みってなんだろう。と思いませんか?

やはりあの時にガラス玉を割っておくべきだった。と後悔したお坊さんは0120-176-152

ようやくアクセス数を倍の月200アクセスにしたホームページへは

 

 

 

 

とても大きな広告費を投入しての勝負をしようと思い、ここのところ打ち合わせを連日していて気が付いたことがあります。

編集者や営業の方って喫茶店で打ち合わせしすぎて頼んだ飲み物ほとんど飲まない!

僕は頼んだコーヒーは全部飲みます。しかしあの打ち合わせ前にお腹がすいているときってケーキセットとか頼んでいいものなのか真剣に悩みます。自分でお金払うから頼んでいいですか。って聞くのも違う気がして悩みは解決できそうにありません。

さらにこの悩みには続きがある。名古屋で打ち合わせってなったときに営業マンのかたに「場所は池下のコメダで。」って伝えてからものすごく後悔した。

思えば親父が「舜優、ちょっと話でもしよう。あそこのコメダで。」とよく言われた。コメダってのはタバコ臭いおっさんが行くイメージしかない。それがいざ自分が打ち合わせってなってでてきた言葉が「池下のコメダで!」

ださすぎる。自分に喫茶店の引き出しがなさすぎてうんざりしました。しかも2回もやりました。コメダで打ち合わせ(泣)

明日も別の会社の方と打ち合わせなのですが、迷った末にアップルパイがおいしいカフェにしました。そして先程それを妻に伝えたら

「は?おっさんが3人で昼間からアップルパイって、やばいの3文字しかないし(笑)近くにコメダあるからそこにすれば?」

 

妻よ・・・愛する妻よ・・・コメダしか知らないおっさんを卒業したいのだよ・・・。

というわけで今日は先日話したお釈迦様の涅槃の話。

 

一度はどこかでみたことあるかも知れないこの絵。これは涅槃図(ねはんず)といいます。お釈迦様がご入滅あそばされたときの様子です。

詳しい絵の説明は広大なネットの海にたくさんあるので興味あるかたは探してみてください。もしくはコロナが収まって西川舜優がどこかで絵解き説教をするときに足を運んでください。

ならばおまえのこのブログは今回、涅槃図を仏縁にしてなにを伝えるのだ。と思われた皆さま

今回はお釈迦様がその肉体の死を迎えることになった理由を伝えようではないか。イエス・キリストはゴルゴタの丘で十字架にはりつけになって死を迎えました。

ノートに名前を書くとその人間に死を与えられるノートを手にして世界に正義と秩序を強いろうとした夜神月は2010年1月28日に逝きたくない。とそのノートに殺されることになって死を迎えました。

今から2500年前にインド中を歩いて仏法を伝えていたお釈迦様はチュンダという青年から豚肉をお布施として差し出されました。この豚肉、腐っていたのですがお釈迦様は布施なので頂きます。といって口にされまして食中毒で肉体の死を迎えられました。

入滅直前の様子が涅槃図です。ちなみにチュンダはここに描かれています。

チュンダは責任を感じます。だって自分が差し出した豚肉が原因でインドの宝・お釈迦様が死を迎えられるのですから。するとお釈迦さまは泣いて詫びるチュンダにこう言いました。

「チュンダよ。私には生涯忘れられない布施が二つある。一つは私が長い苦行の末に倒れたときにスジャータが布施してくれた乳粥だ。そしてもう一つはお前が布施してくれた豚肉だ。本当においしかった。ありがとう。」

チュンダは布施を完全に悟りました。ちなみにこの話はキノコという説もあります。

人は人に対して思いもよらないことで迷惑をかけてしまうことがある。よかれと思っても結果迷惑をかけてしまうこともある。加害者は誠意をもって謝るかどうか。の二択で被害者はどう受け入れるかの二択だ。

最近相手のミスによって被害を被ることになったことが3件立て続けに起きました。僕の心は怒りの炎でいっぱいになった。どうやって相手を許せばいいのかわからないほどに心がつまらない感情に支配されていました。

この感情に支配される時間いる?いや完全にいらない。支配されている時間にブログの更新でもした方がよっぽど楽しいです。

相手を許し、認め、感謝する。そして相手が気が付く。ここまでがセットでお釈迦様の教えなのだな。とそしてそれは怒りに支配されない生き方なのだと頂きました。

明日おっさん3人でアップルパイを食べる地獄絵図のような風景をつくりだすお坊さんへは

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法要から納骨まで