出張坊主・西川舜優です。 -3ページ目

出張坊主・西川舜優です。

真宗高田派 義明寺 衆徒 
株式会社 舜 代表取締役

JAみえなかプレゼンツ わいわいフェスティバル イン サンデルタ香良洲で講演の依頼が来ました。

おいおいあんたそんな公の人じゃねーだろ!と思われた方!

もちろんこれには理由がある。

皆さまは「アマデウス大西」という演奏家をご存知だろうか。

11月にアマデウス大西氏が急逝なされました。心より合掌いたします。

でこの方は全国各地で講演をされており、予定されていた講演は中止となったり代理を探したりというまさに「残された者がなんとかしていく。」という状況が全国で発生しています。

 

弊社に問い合わせをされる方の20%くらいは自分が死んだときに子供に迷惑をかけたくないから葬式やその後の法要を決めておきたい。という問い合わせだ。

僕は毎回「残された者たちがちゃんとやりますよ。むしろそれくらいは残されてもいいんじゃないですか。」と伝えます。もちろん不安が消えるくらいには見積りをだします。しかしながら当然ですがそれは有効期限がある見積りになる。

 

いつ物価が高騰したり下落したりするか分からないですからね。

で話を戻すと、光栄なことに三重県のJAさんから代理で選ばれたのが説教使であり経営者であり、日本でもトップレベルでスケジュールが押さえやすい僕だったのだ。

かくして12月10日の午前中に講演をすることになったのですが、与えらられた演題が「残りの人生楽しく生きる」である。

これには困りました・・・

だってさ、これはほぼほぼ間違いなくギャルがこないじゃないか!

「楽しく」って言われても、1日が24時間あってそのうち7時間くらいは寝ていて、起きている時間の中で不機嫌になることもあるし、楽しくなるときもあるし、悩んでいたりもするし1つの感情に支配される1日もあるじゃない。

どう生きたってどの感情も心の中に湧きおこってくると思うんだよね。

まぁ絶対に誰でも公平になんてことはないんだけれども。

残りの人生あと1週間です。と言われたらいろんなことするよ。思い出の場所にいったり、会いたい人にあったり、食べたいものを食べたり。その時に心の中から湧きあがってくる感情は楽しいという感情だけではないだろうね。

感情は入り乱れるものなんだから楽しくない人生だった。と命終えるのも楽しい人生だった。と命終えるのもそれはそこまで重要なことではないと僕は常々感じている。

大切なことは誰かやなにかに感謝することではないだろうか。そしたら命終える時のまさにその瞬間の感情は穏やかなるものだと思うんです。後悔のない生き方があるならそれは阿呆だ。

とにかく講演会は楽しく笑って頂くいつもの西川舜優の説教を展開したい!

株式会社舜へのお問合せは
0120-176-152
ホームページは
 
 
 

 

皆さまお久しぶりです。

そうブログ更新を一切しないでリアルではないフォロワーの数が増えたお知らせだけを受け取っていた西川舜優が帰ってきました。

最近はSNS発信をするお坊さんも増えてきまして、法要の時に複数のお坊さんがいる時の控室での会話は

「ツイッターのフォロワー何人になりました?」

「この前のスポティファイの対談面白かったです。」

とかもう皆さんが想像しているよりもかなり、SNSに舵を切っている業界になっています。

まぁよくよく考えれば布教することも大切な僧侶としての勤めでもありますから複数に発信できるSNSとはとても相性がよいのだと思います。

そして強く強く思いました。

 

僕も人気僧侶になりたい!

 

と思いまして人気僧侶の市場調査をしてきました。

 

すると特徴が3つありました。

つまりこの3つさえ完璧にこなせば日本で人気僧侶になれるということだ!

そしてこの3つを僕は社外秘とします。

 

 

・・・まぁ教えるんだけどね。

①なにか一点に特化しているということ。

②言葉を発しているということ

③いい話をしているということ

 

でもさ、②と③はしない方が実は人気だったりしますよね。

 

冒頭の話は実は今日の話のメインではないんです。

いつもお説教にいくと枕が長いとクレームの嵐の説教使です。

 

 

実はものすごく悩む事実があったんですよ。

そう「24時間テレビ愛は地球を救う」

日本で恒例のチャリティー番組ですよね。

あの番組は放映されるたびに

偽善番組だ!

とか

障害者でお金を稼いでいる!

とか

出演タレントにギャラが発生するのはおかしい!

お坊さんはこういったことには敏感で、普段から

「やらない善よりやる偽善!」

と叫んでいるお坊さんに限ってこういった番組を批判したりなんかするからなかなか影響がある番組だなーと感じております。

人間には無限の可能性があるなんていう思想が差別を生む手助けをしている気がするんですよ。

人間には諦めないという選択肢が人生にあるだけでしょう。

近所にイオンのスーパーがあるんだけれどもそこに初めて行ったのは今から7年も前だ。そのイオンでは知的障害者なのか発達障害者なのかわからないがなにかしらのハンディキャップをもった男の人が働いている。

初めて行った日から7年後の今でも彼は30代に足が入るくらいの見た目でいつもカートを整理したりレジのカゴを整理したりしている。

 

僕の友達で心が壊れてしまった絵描きがいる。彼はなかなか収入が入らずに困っているが心の病で働けずにいる。

僕のよく知っているお坊さんは片耳が聞こえなくて父親が経営している音響の会社を継ぐことができずすごく悩んでいた。と言っていました。

無限の可能性というのは腕や足がないのに格闘家になりたくて腕や足を得るということ。

無限の可能性というのは脳に障害があるのに法律家や教授になりたくて脳の障害がなくなるということ。

いや、無理だと思いませんか。君には無限の可能性がある。という思想は有限の可能性を選択せざるを得ない民を無意識的に差別してしまうのではないだろうか。

でもさ他人の人生の可能性に有限をつけたところで自分の人生が豊かになってはいきません。

だから人間には諦めないという選択肢が人生にあるだけな気がするんですよね。

諦めなかったらなにかしらの形で格闘家でも野球でも音楽でも法律でも関わっていけると思いませんか。それでも現実的に経済面や情報面で乏しいならそれぞれの業界が手を差し伸べるところから始まる気がしたんですよ。

ということでなんと坊主業界からは異色の手を伸ばさせて頂きます。

 

葬儀0円キャンペーン!

 

大切な方を亡くしたけれども葬儀をあげられない。

現実的に生活があるが親戚の手前、葬儀をあげないといけない。

お寺さんと付き合いがないから葬儀にいくら渡せばいいかわからない。

 

悩みや現実的なハンディキャップは人それぞれ。いや、家庭それぞれ。

 

そこでもう一度書きますよ。

 

葬儀0円キャンペーンやっております。

 

告知が遅くなりましたが第一弾は限定先着3名様なんです。

 

そして10月3日からやってましてすでに1名様が体験してしまいました。

つまり残り2名様です。

いや、本当にブログさぼっていまして告知おそくなりごめんなさい。

詳しくはホームページにてよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

気温の乱高下が激しすぎて外出時だけでなく家の中できる服にも困っています。

昨晩は高校から20代前半までよく遊んでいた友達がガンで亡くなりまして通夜に参列してきました。

遺体は思い出の彼とは大きくかけ離れていて頬がこけて、首なんか2まわり、いや3まわりは細くなっていて闘病の壮絶さを物語っていました。

僕の人生で僕が知っている限りで彼を含めて5人の友人が僕よりも早い年齢で娑婆に別れをつげています。

娑婆の世界の苦しみには心が引き裂かれるようなことがある。

病という苦しみはいつだれに襲ってくるか分からないのだ。皮肉にも昨日は母の日。だれもが望んでいないことがあるのがこの娑婆の世界なのだ。

勘違いしてほしくないのが仏教とは悲しみやつらいことから目をそらす宗教ではない。ということだ。人間界には苦しいことばかりだから仏の国に逃げましょう。というのが仏教ではないのである。

疎遠になっていたが話すきっかけがあればおしゃべりをしたかった友人が、楽しくて仕方ないと言われる黄金の1週間にもう永遠に話す機会すらも叶わないということ。

母の日に息子の通夜の施主をつとめるということ。

これらの悲しみは大切な人間が誕生し、出会ったから起こりえたことではないか。故人に対し悲しみと同時に感謝が生まれるからこそそこに仏教が存在するのではないか。と私は一人の僧侶として思います。

あのときご飯を一緒に食べてくれてありがとう。

あのとき話をしてくれてありがとう。

あのときあんなおもしろい遊びをおしえてくれてありがとう。

たくさんの思い出をありがとう。

彼は仏教式で葬儀をしたので同じ仏教徒です。

彼をよろしくおねがいしますと仏が宿るといわれている右手、私の溢れでる感情を左手に右手と左手、両手を合わせて「仏凡一体」と南無阿弥陀仏と合掌します。

ありがとうね。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏