1年2か月ぶりに再会した時、
わざわざ俺にくれた、
「聞間拓」君のCDを聞いていた。

横殴りの雨が窓を叩く昼間から。
彼のガナル歌声のような音で、
水滴たちは空からコンクリートへ体当たりしてた。
雨は止むどころか、
ずっと勢いを増していた。
CDは6曲目に入った。
ゾクっとした。
いや。
ゾクっとしたあの日の事を、
思い出してゾクっとした。
言うならば、
「思い出し震え」。
あれは確か活動休止まで残り、
一ヶ月を切った2014年の2月だった。
共演した彼らは、
ライブハウスの一番後ろで、
見ていた俺たちに向かってとうとつに、
「カケラバンクに捧げます」
って言って歌ってくれた曲だった。
「どこまでもドア」
初めてその時聞いたのに、
鳥肌が立って涙がこみ上げてきた。
「次のドアを蹴破っても
また同じようなドアがあって
跳ね返されて吹っ飛んで
それでも体当たりをするんだ
何千何万同じでも
その先が必ずあるから
負けんな
負けんな
負けんな
俺の未来
行くぜ
どこまでもドア」
この歌詞とメロディに、
涙腺をつつかれた。
10年くらい前に作った自分の、
「西暦5050年」と似てたのも手伝って。
今日はでも泣かなかった。
あの日から俺は変わったから。
「ドア」は悪い物でも、
恐い物でも嫌な物でもなく、
横断歩道のように、
歩いていれば現れる、
ただの「物」だと思えるようになったから。
そして、
ドアが目の前にあったら、
まずはドアノブを探す。
そして閉まってたら、
体を左に回転させて、
違う道を歩く。
またドアが見えて、
鍵がしまってたら、
体を右に回転させて、
違う道を歩く。
そしたら半開きのドアに出会う。
まるで手招きしてるかのように。
自然体でスッと中に入ったら、
少し色の違う世界に出る。
そこで予期せぬ人と出会う。
そんな感じで生きている。
もしあの鍵のかかってたドアを、
どうにかして無理やり開けても、
新しい出会いはあるだろう。
どっちが良くてどっちが悪いとかじゃない。
ただ、
エネルギーを、
ドアをこじ開ける事よりも、
その中で繰り広げられる、
色んな事に使いたくなっただけ。
そう今は楽に思えてる。
「そうじゃないよ!
変わったな!」
拓君が聞いたら、
そう言うかもしれない。
「男ってのはさ!夢ってのはさ!」
そう言うかもしれない。
でも俺は言う。
「俺は変わってないよ!
だって俺は今でもドアを探す為に、
歩いて歩いて歩いてるから!」
歩みをやめた訳じゃない。
歩き方を変えただけ。
戦う事を諦めた訳じゃない。
戦い方を変えただけ。
だって、
どう生きようが、
ドアなんてそこらじゅうある。
ドアのない人生なんてない。
まさしくこの世界は、
「どこでもドア」。
だからこそ、
もっともっと先へ行く為に、
開かないドアがあったなら、
歩みをやめずに開いてるドアを、
探す為に俺は体をひねってただただ歩く。
もう誰にも負けない。
だって俺はもう、
誰とも戦っていないから負ける訳がない。
拓君!
違うか?
話しの続きは7月26日にやろうね。
1年5ヶ月ぶりの共演。
何も変わっちゃいない所と、
随分変わった所をお互い、
ステージで見せつけ合って、
泣かされた方がビールをおごる。
そんな遊びでもしようか。
そんな事を思ってたら、
雨はすっかり上がっていた。
空は何かを乾かそうと。
※上記写真:櫻井幹也(京都・伏見)






