パリのノートルダム大聖堂
ローマからヘルシンキへのフライトがキャンセルされたので、JALの日本行きのチケットをヘルシンキ経由からパリ経由へ変更。
JALとエアーフランスは違うグループなので、通常はJALのサイトで検索してもフランス経由は出てきた記憶はありません。
提示された東京までの便が、パリに着いた翌日夜7時発だったので、えっ、パリに行ける!?子供たちも学校でフランス語を勉強しているし、ともう気持ちは初めてのパリで予期せぬ展開です。
何より一番大きかったのは、パリ在住の作家の辻仁成さんがDesign Storiesに毎日上げている文章を読んでいて、パリの様子が少し分かっていたことでした。
それとパリの日本大使館のサイトも確認したり、コロナ対策もイタリア並みに進んでいるだろうと思い、時間まで市内に出て観光をすることにしました。
パリの地図だけローマで買っていき、後は事前に調べてスクリーンショットを取りました。
できれば、リュックはホテルに預けて行きたかったのですが、コロナ対策で荷物は預けられないそうで、仕方なく背負いました。娘の宿題道具が重くて、息子のリュックには娘の分厚いラテン語の辞書まで入っていました。
空港から電車で市内へ出て、地下鉄を乗り継いでエッフェル塔まで行こうとしたら、その地下鉄の路線が動いていなくて、駅から歩くことにしました。
電車を降りたのはノートルダム駅だったので、ノートルダム大聖堂近くまで歩くことにしました。
セーヌ川の手前で噴水に遭遇。1860年に完成したサンミッシェルの噴水だそうです。
セーヌ川を渡る時に大聖堂が見えてきました↓
大聖堂はセーヌ川の中洲の島にあるんですね。地図を持った息子が説明してくれました。
時間がなかったので、ここから大聖堂を眺めて後にしました。
セーヌ川を渡る手前にこの建物があり↓とんがり屋根が可愛かったのでこの写真を撮ったのですが、日本に帰ってから調べたら、コンシェルジュリーというマリー・アントワネットも投獄された牢獄だったんそうです。元々は王宮として建てられて、1370年から牢獄として使われたそうです。
ノートルダム大聖堂がある中洲のシテ島は、紀元前に
パリシイ族が住んだパリ発祥の地だそうです。シテ島も英語のCityの語源の由来とか。
街歩き続きます。