ぼくは高校生・大学生・社会人と経験していますが、つい数年前まで「受験勉強」というものが分かっていませんでした。

「受験勉強」というものを知りませんでした。

 

一方、社会人になり仕事の関係上、いつくかの資格試験を受けました。

テキストを読んで、内容を理解し、覚える。問題集で演習する。そして試験本番です。

大体、こんな感じで資格を獲得していきました。

しかし、ある難しめの資格試験では会社が外部講師を招いて一定期間 講義を受けました。

独学ではありません。

重要なところの解説を聞きながら、ポイントを頭に入れていきます。

テキストに蛍光ペンで色を付けていきます。

 

そんな中、聞き慣れない言葉を聞きました。

過去問を3回 回して下さい。

 

「過去問を回す」って・・・と”?”な状況でした。

30歳を超えていました。

 

実際に「過去問」を解いてみました。

非常に難しく、記憶は定かではありませんが、例えば3~4割程度のできだったでしょうか?

正直に言うとショックを受けました。あまりにもできなさ過ぎて。

「難しい」

できなかった問題は解答・解説を読んで復習します。

過去 3回分を解きました。

そうすると似たような問題が毎回出題されていることに気付きます。

 

2周目です。

例えば5~6割程度のできだったでしょうか?

同じ問題なのに満点ではありません。

数学の解法暗記は無駄?」にあるように、同じ問題なら解ける問題や同じ問題でも解けない問題などに選別されてきます。

計算問題も非常に似ています。数字が違うだけで「解き方(解く手順)」は同じです。

問題文にあるAという数字とBという数字から計算してCという数字を出します。そして、このCという数字と問題文にあるDと数字を計算してEという数字を出します。こうして答えまで導かれます。

 

そして、3周目です。

それでも例えば7割5分程度でしょうか?

しかし、合格が見えてきました。

できない問題を徹底的に潰していきます。

「理解しているか?」より「できるか?」が合格するためには重要です。

理解していなくでも正解にたどり着くことが重要です。

 

そして見事に試験に合格しました。

もう一度 言います。

合格しましたが「ぼくが本当に理解できていたか?」は定かではありません。

それが試験です。

 

「過去問」の威力を知りました。

その後、何か資格を取らなければならないときは「過去問」から勉強するようになりました。

簡単な資格試験です。

多くの場合、「正しいものを選べ」や「間違っているものを選べ」のような形式で問われます。

「正しいものを選べ」の場合は、正しい選択肢だけではなく、間違った選択肢のどこが間違っているのかを調べるようになりました。

「間違っているものを選べ」の場合は、間違っている選択肢のどこが間違っているのかを調べ、正しい選択肢も覚えるようにしました。

そして、これらの選択肢一つ一つをテキストの中で探します。

あるいは空欄補充問題です。

正しい用語を空欄に当てはめます。

これらの用語もテキストの中で探します。

 

そのとき頼りになるのが「目次」です。

いくつかの「章・単元」に分かれています。そしてそれらの中に「節・小単元」があります。

「目次」を頼りにある程度の宛てを付け、その部分を読み込みます。

「目次」を参考にし、「過去問」で出題された一文や用語を探し出し、蛍光ペンで色をつけます。

同じ箇所があれば何度も色を付けます。

少しずつ濃くなっていきます。だから薄めの蛍光ペンを使っています。

 

1周目は、ものすごく時間がかかります。

「過去問」3回分とか5回分とかをこのやり方で読み込んで行くと、あちこちに蛍光ペンで色が付いたテキストが出来上がります。

出来上がったテキストを見ると、物の見事に各「章・単元」に満遍なく蛍光ペンの色が付いています。

そこが、過去に出題された箇所になります(「過去問」)。重要な箇所になります。

「過去問」(試験問題の出題)に直結する箇所が分かれば、テキストを読むのにも役立ちます。

ここまではテキストの部分・部分を読んでいましたが、「目次」(全体像)がある程度 頭に入り、重要な箇所を中心に、テキストを通して読んでいくと理解が深まってきます。

 全体の流れと重要なポイントが分かっているため濃淡を付けて読むことができます。

 少し理解が出来た状態で再度 読むと、更に理解が深まります。これを繰り返すことにより理解はより深まっていきます。

 単なる資格試験でもテキストを読み、問題集を解くだけでは、試験本番で跳ね返されます。自動車免許の学科でも落ちる人はいます。

 

 「過去問」で実力を試し、「過去問」が解けるように復習と演習を繰り返します。

 ここで大切なことは、どうすれば解けない「過去問」が解けるようになるのか考えることです。

 何を勉強し直せば良いのか?、どの参考書・どの問題集に戻ればいいのか?(復習)がわかっていることです。

 「過去問」演習からの「復習」です。

 「復習」とは「再び、勉強すること」です。「再び」です。一度は勉強しているからこその「再び」です。

 一度も勉強していないのに「復習」などありえません。

 

 60分とか80分とかの制限時間の資格試験なので、ほんの数か月の勉強で対応可能です。

 しかし、大学受験は違います。

 受験科目・教科の数だけ「過去問」演習しなければなりません。

 同時に複数の資格試験を受けるようなものです。

 同じ「英語」でも、東大と京大、共通テスト、早稲田の各学部ごとに試験は違います。

 今年 公表された武田塾の「2024年 武田塾参考書ルート 英語編 1/2」「2024年 武田塾参考書ルート 英語編 2/2」でも、最後の東大と京大の対策が違っています。

 それぞれに「過去問」演習を行い、それぞれに対策しなければなりません。

 東大に合格しても早稲田や慶應に不合格と言うこともザラにあります。

 MARCHレベルの大学に合格しても、日東駒専レベルの大学に不合格の場合もあります。

 

 もう受験日は決まっています。

 各人が高3生の1月の10日過ぎの土・日がセンター試験の試験日になります。

 各人が高3生の2月25日くらいが国公立二次試験当日になります。

 試験日、受験日当日は既にほぼ決まっています。

 

 大学入試において、何が重要かというとこの「過去問」演習です。

 志望大学に合格するためにはこの「過去問」演習を十二分に行う必要があると思っています。

 国公立大学であると志望倍率が大体 2~3倍程度だと思います。

 2人に1人合格するか、3人に1人合格するかの確率です。

 合否を分けるのは、この「過去問」演習だと思っています。

 

 ぼくが高校生だった頃を思い出すと、ぼくは「大学受験」に関して全く情報を持っていませんでした。

 中学生が当たり前のように高校生になるように、高校生は当たり前のように大学生になるものだと思っていました。

 しかし、現実は違いました。

 

 ぼくの経験やぼくの子ども達の勉強姿を見ていて感じることは、志望校に”合格”するためには、この志望校の「過去問」演習をいかにこなすか、精度を上げるかだと思うようになりました。

 教科書・参考書、そして問題集を勉強しても志望校には合格できません。

 なぜなら「志望校に合格するための勉強」をしていなからです。

 

 ぼくが受験勉強の勉強をするようになり、真っ先に感じたのは「こんな勉強があるのか?」ということです。

 そこには「受験勉強」が存在したのです。

 「学校の勉強」とは違う「受験勉強」です。

 

 そうぼくに感じさせたのは、ぼくの”子ども1”の中学受験の経験です。

 地方の地方に中学受験などありませんでした。

 一部 存在したのはどの都道府県にも存在するであろう「○○大学付属○○中学校」や「○○大学教育学部付属○○中学校」のような国立大学(教育学部)の付属中学校への受験です。

 ぼくは、そのために塾に通っている生徒というのを聞いたことがありませんでした。

 小学生が塾に通うなんて想像できませんでした。

 小学生が通うと言えば、”勉強”ではなく”書道”や”そろばん”や一部 女の子が通う”ピアノ”でした。

 勉強とは学校で習い、宿題をして終わりです。

 勉強とは「学校の勉強」でした。

 伝聞で知る「過熱する中学受験」についてよく理解していませんでした。

 

 ぼくの奥さんが”子ども1”を「中学受験」させると聞いたとき、ぼくは「そんなものは必要ない」と思っていました。

 実際に塾に通い始めて宿題の多さに驚きました。

 毎日 夜遅くまで母・子で宿題をこなしていました。

 ぼくの経験でも小学生がそんなに勉強することなんてあるのかな?と思っていました。

 ぼくの奥さんは、ぼくが受験勉強に関わるのを嫌っていました。

 ある日、こっそり本棚からテキスト・プリントを盗み見してみました。

 驚いたことに「こんなこと小学校で勉強したかな?」いうレベルのことを勉強していました。

 大人のぼくから見ればそんなに難しくはありませんでしたが、例えば「算数」では、”場合の数”や”規則性”などのように高校数学に登場するような用語が至る所にありました。

 「理科」の”水溶液”や”酸化・還元”などもそうですし、「社会」の”地理”や”歴史”もそうでした。

 明らかに小学校で習う学習範囲を超えているように思えました。

 

 子どもの中学受験から、改めて「受験」「受験勉強」に関心を持ち、ネット上で情報を集めるようになり、実際に自分で勉強するようになりました。

 武田塾の「参考書ルート」やCASTDICE の「先取り学習」など存在を知りました。

 荒いですが、鉄緑会の勉強カリキュラムや様々な超進学中高一貫校の内実なども垣間見ることができました。

 首都圏にある超難関な中学校や高校の受験を突破した学力優秀な生徒達が鉄緑会をはじめとする塾に通い大学受験に備えています。

 そんな中で「学校の勉強」と「受験勉強」は違うことに気がつきました。

 

 「学校の勉強」だけをしても志望大学・学部への合格には続きません。

 志望大学・学部に合格するためには「受験勉強」が必要です。

 首都圏や関西圏にいる中学受験をする子ども達は、その先もズッと「受験勉強」をし続けることになります。

 「学校の勉強」とは別に「受験勉強」もし続けます。

 

 ぼくは、いまこう考えるようになりました。

 「学校の勉強」は、いま通っている学校(中学校・高校など)の卒業に繋がる勉強です。

 決して志望する学校(高校・大学など)に繋がっている勉強ではありません。

 中学生であれば中学校の卒業証書をもらうために、高校生であれば高校の卒業証書をもらうための勉強です。それが「学校の勉強」、だと考えた方が良さそうです。

 全ての高校生が大学進学するわけではありません。

 公立高校であれば、先生も定期的に異動します。

 志望する学校に合格するためには、その志望校のための「受験勉強」が必要です。

 

 しかし、全国の大半の公立中学・公立高校ルートを歩む生徒にとって、人生で初めて経験する公立高校受験は都道府県内のすべての公立高校がいっせいに同じ問題を解く入学試験になっています。

 どの公立高校もです。

 普通科であれ、工業科であれ、商業科であれです。

 いっせいに同じ問題を解きます。

 偏差値帯は様々ですが、同じ問題を解きます。

 公立中学校での「学校の勉強」がなんとなく、志望する公立高校に繋がっているいる気がしてます。

 ただし、公立高校受験では誰もが不思議な「内申点」という「下駄」を履いています。

 この下駄の高さが本人もわからないと言う摩訶不思議な入学試験です。

 公立中学・公立高校であれば、学習指導要領に沿って「学校で勉強」し、入学試験も作成されます。

 

 しかし、全国の全ての受験生が参加できる「大学受験」の一般入試は公立高校入試とは大きく異なります。

 大学ごとに試験問題が異なります。

 国公立大学では文系の問題、理系の問題と違いはありますが「英語」は同じだったりします。

 そもそも受験科目が「英語」「国語」「社会」と「英語」「数学」「理科」の違いだったりします。

 旧帝大レベルになれば、文系学部でも「数学」は受験科目になっていたりします。

 私立大学になれば、同じ大学でも学部ごとに試験問題が違ってきます。

 同じようなレベル帯、出題傾向の大学もあれば、学部により異なる大学もあります。

 大学に行きたいのなら「受験勉強」が必要です。

 志望大学に行きたいのなら、その「志望大学に対応した受験勉強」が必要です。

 おそらく、このことがわかっていない生徒が多いのではないかと思っています。

 同じ高校の同じクラスの友達同士でさえ、志望大学・学部が違えば「違う受験勉強」をすることになります。

 それが「大学受験」です。

 

 「志望大学に対応した受験勉強」の最終局面が「志望大学の過去問」演習になります。

 国公立大学志望なら「共通テストの過去問」演習も加わります。

 共通テストは土日を使った試験になります。

 1年分の「過去問」に挑めば、土日が1回 潰れるということです。

 これに分析・復習する時間が加わります。

 「過去問」何年分に挑むのでしょうか?

 「過去問」を何周するのでしょうか? 

 

 まさか「過去問」演習をすることもなく志望大学を受験するつもりではないですか?

 ぼくがそうでした。

 「過去問」を解きっぱなしにしていませんか?

 「模試」もそうですし、学校の「定期テスト」もそうです。

 できないところ、覚えていないことを一つ一つ潰していきます。

 「できないこと」を一つ一つ「できる」ようにし、「覚えていないこと」を一つ一つ「覚えて」いきます。

 武田塾のいう「日大レベル」や「MARCH・地方国公立レベル」や「早慶・旧帝大レベル」は、あくまでも「レベル」です。

 この先に「志望大学の過去問」演習が入ります。

 ここからが最終的な「受験勉強」になります。

 ここからが志望大学対策になります。

 ここからが合否の分かれ目です。

 

 高1のときに覚えていなかったこと・できなかったことが、高3になると勝手に覚えていたり・できるようになることはありません。

 覚えたり・できるようにしない限り、覚えたり・できるようになることはありません。

 

 教科書や参考書、問題集を一生懸命勉強しても最後の「志望大学の過去問」演習をやらなければ志望校の合格は難しいと思われます。

 なぜなら受験生の多くはこの「過去問」演習の重要性を知っていて、合格する人はおそらくみんな十分な対策をしているはずです。

 共通テストにしても「数学」や「日本史」などは、相当な文章量を読まされます。

 読んでいる間に「?」な感じになります。

 「何を問うているのかな?」と思うかも知れません。

 「英語」も最初から全てを丁寧に読んでいたら終わりません。

 試験には制限時間があります。

 制限時間内にどれくらい点数をかき集めるかの勝負です。

 入学試験は「思考力・判断力・表現力」ではありません。残念ながら「処理能力」が問われています。

 

 だからこその「過去問」演習です。

 「過去問」に挑むのが試験本番の1週間前なのか?、1か月前なのか?、高3の9月からなのか?高3の夏休みからなのか?高3のゴールデンウィークからなのか?・・・

 そうすると志望大学のレベルである「日大レベル」や「MARCH・地方国公立レベル」などをいつまでに終えるのか・・・

 逆算しながらカリキュラム・スケジュールを立てる必要があります。

 

 「学校の勉強」はその学校の「卒業証書」に繋がっています。

 志望大学の「合格」を手に入れるためには「志望大学に向けた受験勉強」が必要になります。

 一般には「受験勉強」と言われますが、正確には「志望大学に向けた受験勉強」だと思っています。

 

 大学ごとに、学部ごとに入試問題のレベル帯や出題形式が異なれば、高校で指導するのに限界があります。公立高校に多くの期待するのは少し無理があるように思います。

 

 志望大学に「合格」したいのなら「志望大学に向けた受験勉強」をする必要があります。

 「受験勉強」ではなく、「志望大学に向けた受験勉強」です。

 まずは受験科目を知り、センター試験と二次試験の配点を知ることから始めて下さい。

 参考書ルートなどを参考に勉強を進めますが、最終局面では「志望大学の過去問」演習です。

 これに相当な時間がかかるはずです。

  

 志望大学に「合格」したいなら「志望大学に向けた受験勉強」が必要です。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。