未来デザインプランナーとして
新しいスタイルのマーケッターを目指す
舟木真貴子です。
母のいない母の日も…
もう4回目になりました。。。
4年たった今も、
母はずっと私の中にいる気がします💓
そして…
生きていた頃には
したことのなかった仕事の話を、
母としたいと願ってしまいます。
庭作りの好きだった母の花園には、
この季節、溢れるほどのクリスマスローズが咲いていました。
植物を育てるのが得意で、
手先が器用で、
社交的で華やかだった母。
でも…生涯一度も働いたことがなかった母を
私は絵に描いたような専業主婦だと思っていました(o^^o)
そして反面教師のように、
私はお仕事大好きになりました。
なので…
知らないうちにを工房を作って
個展を何回もやっちゃって
ステンドグラス作家になっていた母は
私の知らない人でした。
50代で、大阪から両親の実家のある香川に
父の転勤で行ってしまってから10年…
母の中で何が起こっていたのか?
私の知っている母は、
カルチャースクールでちっちゃなステンドグラスを習っていたはずなのに…
師も持たずに独学で…
ガラスやスタンドの仕入れ先も見つけて…
何十万…
もしくは
軽自動車一台分くらいする
ティファニーレプリカのスタンドを
楽しそうに作っては
数がたまると
個展を開いて
自分のお気に入りの手放せない作品以外を
販売するスタイルを作っていたらしい。。。
好きを仕事に…
ってことを、
もっとも身近に見てしまった。。。
母の作品はとても美しくて、
私も好きなものを何個かもらって飾っていたけれど…
まさかそれを仕事にしちゃうなんて❤️
大阪から香川に戻って
なんだかつまんなそうだった母。。。
きっと自分の望んだ暮らしではなかったのだろうと思います。
なので…
願った世界を創っちゃったんですね。
大好きなガラスとランプに囲まれて、
個展が終わるとヨーロッパを旅しながら、
お高いステンドグラスに憧れて飾る奥様たちに
先生❤️って呼ばれるお付き合いをして
娘や孫には時々お小遣いや
ブランドのバックを買ってくれながら
シニアライフを満喫した暮らしを
60歳を過ぎるまで
働いたことのなかった母は作っていました。
起業なんて言葉、
たぶん死ぬまで知らなかったと思うけど…
それでも好きを仕事に❣️
を生きた母。
ねぇ…ママ💓
教えてほしいなぁ。
私にも出来るかな(o^^o)
「大丈夫、私の娘だから」って
きっと笑うんだろうな。
そして
「知らないうちにこうなっちゃってたから…
教えることなんてないわ」
ってきっと何にも教えては
もらえないんだろうなぁ。。。
人にはそれぞれ、
似合うやり方やスタイルがあるのだけれど…
コツコツ積み上げることの大切さを
母は自然と身につけていました。
そして母には…
超やり手だった父が後ろにいたことを
父の遺伝子を受け取った
戦略家な娘の私は知ってます
好きを仕事に…
起業の世界で良く
聞いたり目にするたびに
母のことを思います❤️