去年の11月にインドにお連れした方から電話がありました。
内容は、去年の11月に私がインドのラメシュワラムにお連れしたとき言った一言を
ずっと、「どうしてそんなに冷たいことを言うのか?」と一年近く思っておられたそうで
「最近、感謝できるようになり直接感謝を述べたくて連絡しました」ということでした。
私が言った一言と云うのは
ラメシュワラムの22箇所の井戸水を掛けるのが終わった時点で
自分も放心状態だったのですが同行者のカップルを確認すると
女性の方は、井戸水でカルマが洗い流され凄く透明なエネルギーだったのですが
男性の方は、かなり表面上のカルマが残っていたので
「どうして残っているのか?」と考えたところ
井戸の水を浴びるときに使えない井戸があると
「壊れているから1つ浴びれなく問題ないのか?また、この壊れている井戸が修復されてから浴びに来ないといけないのか?」等ガイドに聞いて欲しいということで訳して聞いたりしたのですが
上記は、一例ですが井戸での工程を振り返って「単に水を浴びることだけに」集中できていないのが理由だと私は思ったのです。
なので
『本来此処で落とすべきカルマが残っていると思います。もう一度一人で井戸水を浴びに行かれた方が良いと思います』
と言いました。
この一言を、相方の女性がずっと一年近く「どうしてこんな冷たいことを言うのか?」と思っておられたようです。
たぶん一人で井戸を周ることを冷たく思われたと思います。
この2017年11月の『霊性修行の旅』の背景ですが
女性の方は、確か以前にも2度このラメシュワラムに来れていて井戸の行をされているのですが
男性の方は、今まで2回このラメシュワラムに来ようとインドに来て
ラメシュワラムに来る途中で乗っていた車が故障したりで2回ともインドには来れたのですがラメシュワラムに辿り着くことができなかったのです。
そして、決定的なのが今までインドで霊性のガイドをしてくれていた友人であり尊敬していたインド人が亡くなったので
『普通に観光で行くラメシュワラムにはしたくなく霊性修行で行きたい』ということで私と行くことになったのです。
私としたら霊性修行で来ているならカルマが残っていることに気付いて何も言わない方が冷たいと思うのですが・・・
それに結局は、自分のカルマは自分で刈り取ることしかできないのです。
このことに他者は、一切介入できないのです。
私なら自分が集中出来ておらず本来落とすべきカルマが残っていれば
一人で何度でも行くのですが
このお連れしたカップルには、非常に難易度が高かったみたいです。
ただ観光旅行でなく霊性修行で来たいと言って、3度目の正直でやっとたどり着けたのなら、そこは妥協できない部分では無いでしょうか?
またインドに来ないといけないことを考慮しても、インドに来るより井戸を周る一時間我慢するだけだと思ったのですが
ただ、この男性には、このインドに来る前に2時間を2回個人レッスン受けて頂いて基礎はお伝えしていたのですが
インドで呼びに部屋に行くとテレビがついていたり、タバコの煙りで充満していたりだったので本人も同室の女性の方も部屋で瞑想等は難しい状況だったと思うのです。
やはりインドで寺院に参る時だけでなく
部屋でも出来れば一人になって、落ち着いて自分を見つめるべきなのです。
こういった今まで来ようとしたけど来れなかった場所というのは
特に自分の内側に深く沈澱している「何かしらの感情(カルマ)」が表面に出てくるのです。
そういった点から言うと準備がまだ出来ていなかったとも言えると思います。
このカップルの2人とも私より少し年上なのですが2人とも本当に純粋で人よりも強いエネルギーを持っておられ社会的にも成功されている方なので周りに与える影響も大きいと思います。
インドでは多いのですがこの日本では本音で言い合える人って少ないと思いませんか?
この男性は、常に本音で話してくれるので私は、すごく好きなんです。
2ヵ月くらい前にお会いしたとき「100日連続して瞑想にチャレンジしておられた」というにで聞くと携帯のアプリを使って呼吸法をされておられたということです。
さすがにそれは悲しくなってしまいました。
それは瞑想ではないですし、教えたことがちゃんと伝わっていないということなので
忙しければ毎日5分だけでも良いので心の思考から離れてハートの純粋な意識に目を向けてもらえたらと思います。