During Early Years 青年時代
長兄のサバパティは、タミール文学を雄弁に語ることができたので、裕福な人々の要望に答えて、彼らの家で講義をした。
これにより、彼はいくらかの報酬を得て、家族は安心して暮らした。
また、サバパティは、チェンナイのある裕福な人物と契約を結び、ペリアプラーナム(12巻からなるシヴァ神の聖歌)の一連の講義をすることになった。
数日は順調に進んだが、ある日、彼は高熱を出し講義を続けられなくなった。彼はどうしたらよいかわからず困惑し、同時に、主催者と聴衆をがっかりさせたくないと思った。
彼の妻は、幼い弟の才能を知りつつ、誰にもそれを明らかにしていなかったが、彼女は夫に、弟をその場所に行かせ、契約を果たすように願い出た。
兄は弟の能力をまったく知らなかったので、初めは彼女の要望を拒んだ。しかし、他に選択肢が無かったので、最終的に、彼は弟を自分の代わりにその場に行かせることに同意した。彼は弟を呼び、聴衆の前で1節2節を読むことと、主催者に兄が契約を果たせないことを詫びるように頼んだ。
説教の場で、ラーマリンガが、兄が急病で講義ができないことを伝えると、主催者は非常に落胆した。その頃には、ホールに人が大勢集まっていた。聴衆の動揺を避けるため、また、他に誰も講義ができる者がいなかったので、主催者は、しぶしぶこの少年に何か話すように頼んだ。少年は聴衆の前に座り、講義を始めた。講義の題目は質が高く、優秀な人だけが扱える内容だったので、聴衆はこの年若い少年が何を話し始めるのか、見守っていた。
ペリアプラーナムの最初の言葉ウラゲラム(Ulagelam)の説明から始まり、言葉は川の流れのように、彼の口からほとばしり出た。
聴衆は静まり返り、誰もが、この年若い少年の類いまれなる雄弁さに驚嘆した。
その場にいたすべての人々が、彼は天の賜物だと感じた。
真夜中になっても、はじめの1節の2行の説明さえ終わっていなかった。
一つの言葉の説明が滝のように流れ出るからだ。
しかし、講義が真夜中に及んでいることに抗議するものは、ひとりもいなかった。参加者全員から、講義はこの少年によってされるべきだという一致した意見が出され、主催者もそれに同意し、すぐにサバパティにその旨が伝えられた。
サバパティは、ラーマリンガによる講義を懇願する意見が多いことを聞いて、非常に動揺した。彼の良心は痛み、どうして学校にも行かない弟がこのような素晴らしい講義ができるのか、疑問に思った。しかし、彼はラーマリンガが講義を続けることを許した。
実は、サバパティは、誰にも知られないように(弟にも気づかれないように)ホールの片隅で、彼の講義を聞いていたのだ。
はじめ、彼は夢を見ていると思った。しかし、これは夢ではなく現実なのだと、彼は思った。この講義は、他の誰でもない弟のラーマリンガによってなされていた。
家に戻ると、彼は、ラーマリンガをより理解していた、最愛の妻にすべてを順序だてて話した。そしてふたりは、ラーマリンガはただ単なる少年ではなく、神の聖なる愛で最高に満たされた神の代理人であるという結論に達した。ラーマリンガは、講義が済むと、家に帰った。
サバパティは、ラーマリンガに対するすべての無礼な行為をとても後悔し、また、申し訳なく思い、弟を優しく抱擁し、今まで彼が与えた困難の数々を許してほしいと頼んだ。
ラーマリンガは、兄から与えられた困難など知らなかったかのように静かにたたずみ、穏やかに神の愛の流れに漂うように、心の中で神を讃えていた。このように、長いドラマの最初の場面は、めでたく終わりを迎えることになった。
この話は近所のあらゆる場所に瞬く間に広がり、人々は、彼を一目見ようと、また、彼の口から発せられる聖なる声を聞こうと、集まってきた。それは、美しい花の甘い香りに魅せられて集まるハチのようであった。
著名な学者や宗教指導者たちは、彼の生徒や弟子になった。トズブール(Thozuvur)のベーラユダ・ムダリアー(Velayudah Mudaliar)はチェンナイ大学の大学長で、タミール文学の代表であったが、彼の最初の入門者となった。他の数人もそれに続き、彼らは彼を「ラーマリンガ・アディガラール(Ramalinnga Adigalar)」と呼んだ。
ラーマリンガは、チェンナイから8kmほどのティルボッティユールに行き、そこで祀られている神に祈りを捧げる事が、日常的な活動になった。これに加えて、彼は神を讃える詩の数々を印刷し、後にこれらは弟子たちによって1巻に編集され、人々に示されるようになった。講義や、神に捧げる詩を歌うことの他に、彼に会いに来た人々に、深い瞑想だけが正しい答えを導くことを示し、彼らの疑念を晴らした。
彼は、チェンナイの南部地方のすべての寺院に巡礼し、彼が行ったすべての場所で、祀られている神を歌によって讃えた。これらの詩は数千にもおよび、すべての詩は2巻に編集され、のちに、世に出ることになった。
最終的に彼は、ネリベリから10kmほどの村、カルングリに落ち着いた。そこで9年を過ごした。
「ティル・アルッパ(Thiru Arutpa)」は、数千の詩・いくつかの散文・弟子たちへの返事として書かれた手紙・散文で書かれた神への祈りで構成されており、2巻に印刷され、一般に公開されるようになった。
ラーマリンガが後に経験したすべてが詳しく記載されているのは、この2巻目の書物だけという点で、それは非常に重要である。すべての詩の中でも、「Arul Vilakkamalaio (神の愛を述べた花の輪)」と「Anubava Malai(経験の花の輪)」は、それぞれ100編以上の詩を含み、チィル・アルッパ(Thiru Arutpa)に無くてはならない部分だと考えられている。
※下のタグ付けの『ワララール』から全部の【ワララール ラーマリンガ・スワミ物語】をお読みいただけます。