Sean's Room

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悩めるあなたへの生きるヒント・・・

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大切におもうということ。

自分を愛するということ。

あなたという命を大切に思うこと。

自分のまわりを助けるということ。

自分が救われるということ。

すべては自分を救うためというのこと。

それは自分のことだけをいうのではなく大切なあなたを含めてのこと。

大切に想うということ。

それは自分、そしてなによりもあなたのために誰よりも一歩さきに進むということ。

生きるということ。

守り守られること。

あなたと一緒にいるということ。

何に揺るぐことなく、自分自身を愛すること。

またあなたに逢える日に。

胸を張って好きでしたと。

ちょっとした・・・

絵心もない。


音符も読めない、楽器も弾けない。


物をカタチとして残せない僕たちは一体どうやって自分達の存在を世の中に具現化していくのですか?


今の俺にちょっとした人生のモチベーションを与えてくれるちょっとしたテーマ。

親愛なる過去なる我社へ

かくして僕はいよいよ会社を辞めることに致しました。


自分のためとはいうなれど、いざとなるとやり残したことのひとつやふたつはあるもので・・・


そんなやり残したことのひとつをつづってみようと思う。



はてさて、


勤めている間、自分はいろんなひとの未来に対するとても悲観的な声をずいぶんと聞いてきました。


理由はさまざまなものだと思うし、それはうちの会社特有の何かだとも重々承知しています。


ここでそれが何か問いただすのもいいのですが辞めてしまった僕にしてみればそれより・・・


不幸な境遇にあると思われる現状のなかでシアワセとは何かについて考えてみてはと。



シアワセは歩いてこない、だから歩いていくんだよ”


ではでは、そもそも、シアワセとは一体何でありましょうか?


今まで過去にもシアワセについて何度も深く考え、自分にとってのシアワセとは何かをあくなきまでに追求してみました。


節制はせずに酒やタバコも全てやり、節約はせずに、我慢もしない。


こと恋愛においては感情の赴くままにやみくもに。


出会いを求め浪費を辞せず、失恋を恐れず思いをぶつけ、結果を受け入れそして飲み込み。


どうやらシアワセとは好きなことを好きなだけするとは違うようです。


ではシアワセとは一体なんぞやと?


多分シアワセっていうのは自分が望む未来像に向かってまっすぐに進む姿勢そのものなのではないかと。


得意の恋愛で例えるなら理想の人を求め、それと出会い、結ばれるまでの過程とそれに対する自分なりの努力と真摯な姿勢。


職場で例えるのなら・・・


例えば会社における自分の立場の確立と将来的な未来像構築のための姿勢


そうに考えてみるとやっぱりシアワセっていうのは歩いてくるもんじゃなくて歩いていくもの、いや、歩いていくことそのものがシアワセなんじゃないかと。


下向きがちに暗い現状を嘆くより、


胸を張って、上を向いて、おかれている現状を打開してシアワセ探しをしてみては?




そんなももんさ。

「男らしい」なんて言葉を考えたのは絶対女だと思う。


それも多分、「男らしい」という言葉は「男らしくない」という言葉の派生語だと思う。いわばセカンドだ。


そもそも「男らしさ」とは何か?


こんなこと考えるまでもない。 「男らしさ」なんて個々の女が自分の都合のいいように解釈するのだ。


「俺に黙ってついてこい」を男らしさというのなら「相手を思いやる優しさ」も男らしさというのだ。


相手の気持ちや都合を無視して自分のやりたいことをする横暴さが「男らしさ」ならまた自分の意見を殺して相手を考える優柔不断さもまた「男らしさ」と呼ぶのか?


最近の男性は男らしくないとよく聞く。


こんなことをいい始めた奴は絶対勘違い女だ。 間違いない。


まぁここでいくら説こう「男の付き合い」の意味のわからぬ女に「柔と剛」の本当の意味は理解できまい。



井の中の蛙

テレビで星の光の話をしていた。


「北極星」


地球からの距離は3784兆Km・・・ 想像できないけどなんせ約430光年、光の速度で行って430年かかるところにあるらしい。


だから今、見えてる光は430年前に発せられた光ということになる。

なんか歴史感じるよね。 1570年なんて言ったら信長とかの戦国時代だよ?

3784兆Kmの距離を430年かけて地球に届けるそのエネルギーを想像すると星を見るだけで胸が高鳴る。


意外と知られていない事実なんだけど「北極星」っていうのは単体の星の固有名詞ではない。

地球の自転軸の延長線上にある星のことを北極星って呼ぶんだって。

だから北極星は時代によって移り変わる。 

ちなみに現在の北極星は「ポラリス(キノスラ)」という星らしく8300年後には「デネブ」、12000年後には「ベガ」という星が北極星の座に着くそうだ。

今では星の中のスーパースター「北極星」に君臨しているキノスラさんも長い月日を経ていずれはその座を譲る日がくる。 諸行無常とはいうもののそのスケールの大きさにまたまた感動する。


よくする表現で「星の数」ほどというが肉眼で確認できる星はせいぜい3000ちょっとらしい。


女の数にしてみると多いんだか、少ないんだか・・・

う~ん・・・


そんなことを悩んでることすらスケールの小ささを感じる・・・



だから歩いて行くんだよ

(続)


俺は「恋するハニカミ」が大嫌いだ。


あの番組を見てると身の毛がよだつ! 

だいいち、名もない芸能人のちゃらんぽらんなやらせも甚だしい茶番劇を見てなにが楽しいんだかさっぱりわからない。


あほ臭さを通り越して軽い怒りすらおぼえる。


でもあの番組からヒントを得たのさ。


人はそれを自分の言葉にして発して初めてそれを具現化していくのかもね。


自分に迷いがあるときは本音を声に出して言ってみ。


「好きだ」

「いやだ」

「したい」

「できない」

「わからない」


幸せをつかむって以外と自分らしく生きるってことじゃないかしら?

木から落ちるリンゴ

「エネルギー保存の法則」はもちろん知ってるね?


閉じた体系の中のエネルギーの量は変化しないっていうニュートン力学の法則なんさ。


簡単にいうと世の中には一定のエネルギーしかなくてそれが順繰り順繰りにいろんなところにとどまることなくつかわれているというわけさ。


この法則を「幸せ」に当てはめてみた。

「幸せ♪保存の法則」


この世には一定の幸せしかなくてそれをみんなが順番に順番に使っているんじゃなのか?


俺がいいたいのは個人個人の一生の幸せ度数が一緒って言ってるわけじゃないよ。

もちろん死ぬまで幸せなやつもいるし逆に不幸なやつもいる。


ただ世の中トータルでみたら一定の幸せしかないんじゃないかなと考えたらおもしろい。


自分が不幸なときはその分誰かが幸せになってると思えば多少の不幸もなんてことないじゃないかと思えるだろ?


逆に自分が幸せなときはその分誰かが不幸になっていると思ってこそ初めて「みんな幸せ」なんてばかなことを思わずに謹んでいきていけるじゃないか。


「人の不幸は蜜の味」とはよくいったもので、そう、誰かが不幸になってこそ初めて自分もその分幸せをおすそ分けしてもらえる確立が高くなる。 ふむふむそんなに悪くない考えだ。


続く・・・




幸せってなんだっけ?

大切なものについて考えてみよう。


家庭

健康

仕事

財産

友情

恋人

・・・




あんちゃんいいのかい?四枚目のイーソーだぜ・・・

H氏の運営するカナダ発の「Aki'sWebsite」に僕の知的好奇心を猛烈に刺激する書き込みがあった。


みなさん旅行の際は十分気を付けて楽しんで下さい。 って最近良く言われますが,正直そんなん運が細いだけだろ?」 (N氏)


はてさて、確かによく聴く言葉だが


事故とは本当に、気を付けようのあるものなのだろうか? これはN氏の言うとおり実はその人が持ってうまれた「運の太さ」問題であって実際気をつけようのないものなのだ。


だいいち、事故に遭いたくて遭うやつはいなし、遭いたくて遭う事故は事故ではない。


千葉在住のM氏はこれに関して


自分の不注意とかで起きる事故とかもあるわけじゃん。よそ見とか。居眠り運転とか。
そういうのを「気をつけましょう。」「気をつけてね。」って言ってるんでしょ?


と、反論するが、


よそ見をしたくてするやつはいなし、だいたい、よそ見をしたくてするよそ見は「ガン見」だし、

居眠りとはまさにうっかりと寝てしまうこと、すなわち居眠りそのものが限りなく「事故」なので気のつけようがない。ちなみにしたくてする居眠りは「ガン寝」じゃないのか?



「事故」という言葉を辞書で引いてみた。


事故とは


思いがけずに起こった災難


読んで字の如し、気を付けようがない。


事故に気を付けるより自分の運管理に気を付けるとよい。





だから転ばぬ先の杖なんさ。

なんだかんだ言ったて自分を守るのは自分自身なんさ。


友達がいたり、親がいたり、上司がいたり、奥さんがいたり、いろいろあるけどさ。


そういう日頃からお世話になっている人だからこそ、いざという時には迷惑を掛けないようにさ。


誰になにを話したって自分の境遇をわかるのは自分しかいないし。


自分がしたいこと、したくないこと、できること、できないこと、全部を伝えてぶつかるしかないんじゃない?


折り合いがつかなきゃその局面とはそれこそ破局だよ。


それでもいいじゃん。我慢するよりはさ。自分がしたいことのために戦えるのもそんな大切な人たちがいるからこそなんだよ。


自分が今いる環境はすでに与えられたものなんだ。それを自分の環境に変えられるのは自分しかないじゃん。


大丈夫、素晴らしいものをもってるじゃん。その弱さだったり、曖昧さだったり、落ち着きのなさだったり。


みんなそれを含めて大好きなんだよ。


だから助けてくれる。


迷わず行けよ。 行けばわかるさ。


悩める人たちよ、悩んで、悩んでそして報われなさい。