つづき



国道6号線方面を目指す

常磐線と6号を通過

ここからがややこしい






コンビニの角を左折

道なりに進み橋とコンビニの前に出る

学習が必要






大堀川に出る

行は橋を渡り右岸を走った道








後は川沿いに進む

同じ道でも

行と帰りは景色が違う







16号をアンダーパス

ヒビの入った道は危険

桜の木で地盤がよくなるらしいけど






『ウナギの水切り場』

川沿いに走るもう一つは『うなぎ街道』と呼ばれる道

流山加岸と布施弁天を繋ぐ








少し走ってうなぎ道を走る

『かしわで』で寄り道








近所に源氏の寄った寺と神社がある

この辺は平安時代から存在する

(諏訪神社と成顕寺(じょうけんじ))







今回は駒木橋を渡り坂を上がって帰ります

おおたかの森から帰れば坂なしで帰れますが

今までのルートを紹介












坂を上がると『豊四季駅』前の道に出る

ところが、真っすぐ行けません

なので踏切に迂回(左折)

(車が多いので注意)






再び駅前の道に出る

有名なパン工場の前を通る








かなり急な坂

ここを登るのは大変

でもこの坂を一つ登れば手賀沼に行ける


野田線を越えるのが難所

おおたかの森の踏切か、豊四季の踏切かだけど

まだまだ違うルートはあるのかも








坂を下ると坂川の源流


手賀沼と地下で繋がっている


『北千葉導水路』


公園にもなっています






後は坂川沿いに帰るだけ

八木南橋の学校脇の道は


◎柏駅方面へ坂無しで行けるルート!

(6号のイオン前まで行ける)






流山の免許センターの前の道を進む

橋の下は坂川と分岐する富士川


◎この川沿いに行くと旧水戸街道に坂1つで行けるルート


旧水戸街道からも手賀沼に行けるが

一般道なので車と並走して走ることになる


サイクリングロードの方が安心して走れる





幸田は丘になっているエリア

体力に自信のある人は登った方が近いかも

低地のヘリに沿って走る






消防署の辺りから小金城趾駅を目指す

駅横の踏切を渡る







横須賀の橋の道に出る

この橋は昔TVで紹介され有名になるも

残念なことが起きタブーとなる






武蔵野線のアンダーパスを通れば

終点

約45k位


最短コースで行けばもっと近いかもだけど

最楽コースの方が長距離を走れる

色々と試すのがいいかも






では




馬橋から行く『印西道』が古代道ではないか検診

今回は柏の藤心、塚崎まで

その先が『香取の海』だったら陸は通れないはずなので






ここが『馬橋』の地名の由来となった橋

東京の杉並区にも同じ地名が残る

旧水戸街道はここを通っています

昔のメインストリートはこの道






そしてその下を流れているのが『長津川』

名前の由来が今一つ分かっていません

津が付くのだから『港』ではないかと推測

『中根長津町』の地名が残る

(川の河口の方が長津町)






旧水戸街道の萬満寺に向かう途中に

『中根寺』がある

江戸時代に移転してここにあるらしいのだが・・

寺でも個人宅ぽい系

本来は凄い寺院で地名の元でもある






臨済宗大徳寺派法王山萬満寺

鎌倉時代創建で元は真言宗の『大日寺』

戦国時代に臨済宗の萬満寺に改宗


なぜ、低地に建てたのか疑問

裏に高い丘があるのにあえて

街道沿いに意味があるのだろうか

水戸街道もココでクランクする

真っすぐ行けば小金まで坂は少ないのに

道は坂を登って行くルート


萬満寺の前の道に東条と西条の小字名が残る

元は街道ではなく城下町のような集落だったのかもしれない

『城之越』の小字名も残るので何もない土地では無いはず


お城の登場は戦国時代辺り

それ以前は館とか砦

お寺も僧兵がいるように武装されている






このクランクして坂道を上がっていくのが『印西道』でもある

そっちが先か?水戸街道が先なのか?なぞ

(旧水戸街道は鎌倉街道の下ノ道とも言われる)


この坂は『江戸見坂』とも言われ

ここがら下総台地に入る

関東平野はここまで







バス停の所に

『馬橋厳島弁財天』がある

今は小さいが昔は『弁天』という小字名になるほどの神社

(広島の厳島弁財天は平清盛が保護した神社系)






坂を上がると八ヶ崎の交差点

ここに『石碑』がある

旧水戸街道は国道6号と合流する





更に坂を上がっていくのが『印西道』

ここが追分でもあり1里塚もあった場所

一里塚は水戸街道のもの


明治の地図では南側の道に木下道と表記

区画整理で道が一部消える

今回はバス通りを進






桜並木のバス通り

バス停にも昔の字名が残る大事な情報源

バス停には『上ノ台』と付いていて

この辺りに『北道合・南道合』の名が公園に残る


この先道なりに真っすぐ進んでいく

旧道は『子安神社』の方を通る道ですが

明治の地図には神社と寺が載っていない


『地図は嘘をつく』

軍国主義の時代は重要な施設などは載せないようにしているとか

道の大きさなんかも軍事上、曖昧の方がいい

正確な地図は敵に攻略されやすくなる恐れがある







『水砂』って何?この土地の状況を示しているのか?

他にも『吾妻』という小字名が残る

大和ぽいかも

新堀込とか大作とかはお城に関連してそうだけど

野馬追の意味合いもあるので判断は難しい





八坂神社前から一方通行になる

自転車は真っすぐ進める

それが自転車の利点







佐野八坂神社

気になるのは『八坂大神』にしてあること

大神にする意味はなんだろう


『佐野』と『川越』の地名が残る

移住してきた前の地名を付けたらしい

でもこの地域は重要な起点

古代道と交差する地点だからだ


明治の地図には

木下道・手賀沼道・松戸道と書いてあり

印西道とは書かれていない

なぜ?


水戸街道は明治に入って『陸前浜街道』と改名

でも浸透していない

東京というのはこの頃から使われる



つづく




























つづき


八坂神社から2又に分かれる

その次に古代道候補と合流する

印西道の一部は古代道でもあったのだ


しかし、ここからのルートが問題

柏の呼塚の方面なのか?藤心の方面なのか?

香取の海をどう渡ったのかがポイントとなる


右側のルートは鎌ヶ谷方面に向かっており

『お鹿狩り』の道である

将軍様一行が五香の『御立場(おたつば)』へ向かう






なんでアメリカ?ホダシ内って?

小金原方面に行く道で区画整理され新しく出来た道

『茂呂神社』へ行く道は消滅

由緒ある神社なんだけど小字名は残っていないのが残念


この道が古代道とは違うとなると

市川・矢切・松戸・馬橋から

流山の東福寺・三輪野山・茂呂神社・諏訪神社・成顕寺から

柏の呼塚から手賀沼(香取の海)を避けて

我孫子を通過していったルートだったのかもしれなくなる


そうなると、本土寺はどの道で行ったのだろうと疑問が残る


印西には金ケ作から五香へ行き鮮魚街道ルートもある

印西の浦部に行くのは1つではないかも










そっちではなく直進する

ホダシの意味は、馬の足にからませて歩けないようにする綱。 ... 手かせ。足かせ。身動きできないように人の手足にからませるもの。 ... 妨げ。さし障り。束縛するもの。

小作とか大作もあるので野馬除けの可能性が高い


アメリカ風のフウは『楓(かえで)』と書く木の名前のこと

他にも『たいわんふう』もある

松戸市には『ハワイ通り』もあるのでまぎわらしい





古代道候補との合流地点

まったくそれらしき雰囲気は無し

うっかりすると通り過ぎてしまう





しかし以前に『軍用線』の通っていた場所

石碑はなくなったが新京成電鉄の前身はこっちの方まで走っていました

なぜこっちの方までひいていたのだろう

この辺に何か重要なモノはあったのだろうか

意外に軍用線と古代道候補とは同じルートを走っていた


地盤がいいのかな?

鉄道は基本的に高低差が少ない道に造る







石碑があるも読めない

地蔵と合体タイプ

大師道?





柏市に入る

この県道51号が官道の可能性もあるけど

藤心、塚崎、印西方面ではない

逆井で分岐する





町の案内板

公園に『右大道』という名がある

公園、橋、バス停には小字名が残っているので要注









庚申塚が多めにある

こういうのがあると古道感が増す

平安時代から庚申信仰はあったらしいけど

これは江戸時代のものらしい

小字名は『庚申塚』







印西道はここから右

逆井駅方面へ

金ケ作の所もそうだけど

神社や寺が無いのは何でだろう

重要な追分にも思うのだが

小金牧だったからか


つづく